13

 指輪は必死に叫んでいた。

『主はずっと和子に感謝し、そして申し訳なく思ってきた』と。

「何やの、それ……私があの人を恨むんは筋違いやって言うのん?」

「そうやない。もっと……もっと主さんを信じたってほしいんです」

「信じられへんわ! 信じてもろたことなんて一回もないし、信じられることをしてくれたことだってない。それやのに、いったい何を信じろって言うの?」

 和子は、息を切らせながら叫んだ。指輪が何も言わなくなると、今度は弥次郎に向かって言い募った。

「何でこんなん聞かせるん? 俺がここで待っとる。絶対にいつでもここにおるから、最後にどこにも行く場所がなかったら俺のところに帰ってきたらええって……そう言うてくれたやないの」

 弥次郎は静かに首を横に振った。

「聞け。人の関係いうのは、変わっていくもんや。お前と旦那の関係も。それを全部なかったことにしていいんか?」

「いいに決まってる! 私は、あの人のおかげで何にもなられへんかった! ようやく自由になれるのに、まだあの人に縛られなあかんの? ずっとあの人に縛られとけって言うの?」

「そうやない。もう一回、ちゃんと、指輪を見てみ」

 弥次郎に強く言われ、和子はもう一度、指輪に目を向けた。指輪は、ただじっと和子を見上げていた。

「何か、見えへんか?」

「何が?」

 首をかしげる和子に、弥次郎は指を指示して見せた。

 つられて、初名も指輪の姿を見つめていた。すると、何かが輝いているのが、見えた。

「きれいやろ」

「きれいやけど……ずっとしまってたからやないの」

 確かに、指輪はずっとしまったまま空気にも何にもさらされていなかった分、艶を保っていた。だがそれだけではない輝きがあった。

 よく目を凝らして見ると、ぼんやりとした光を放っていた。さながら、自ら光り輝く星のようなじんわりと温かな、澄んだ光だ。

「これは……何?」

「お前が、頑張って来た証や」

「私が?」

 和子は、まだ怪訝な面持ちで見ていた。だが、そろそろと指輪の方に手を伸ばし、ゆっくりと触れてみた。恐れているように、同時に、慈しむように。

「お前が頑張って、嫌なことも全部我慢してきて旦那を支えた。だから旦那は、感謝の気持ちをちゃんと持っとった。この指輪にはな、その感謝の気持ちだけが籠っとるんや。60年分のな」

「感謝……」

「別に感謝し返せとは言わん。旦那がやった仕打ちも帳消しにできるもんやない。旦那を恨む気持ちも、捨てる必要なんぞない。ただ、自分を否定するな」

 和子は、初めて弥次郎から視線を逸らせた。それ以上の言葉を拒むかのようだった。

 だが弥次郎に次いで、指輪がトコトコと近寄り、和子の顔を覗き込んだ。

「ごりょんさま。人の気持ちいうんは、一つやあれへんでしょう。主さんは確かにひどい夫でした。そやけど主さんの心ん中は、あんさんを疎かにするだけやなかった。ちゃんと大事にする気持ちかて……」

「思うだけなら、誰でもできます。やるかやらんか……結局はそこでしょ? 私は、嫌やったけどあの人を大事にしてきた。あの人は、大事にしたいて思ってても、せぇへんかった。それがすべてやないの」

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