私と彼の1週間ー7日目ー人魚姫は泡になってー




「私が好きなのは────あなたです──……」


 意を決して伝えたその言葉に、私のすぐ近くで彼の喉が鳴る。

「……本当、だな? 本当に私を……その、好いている……と?」

 硬い声色でたずねるシリル君に、私は羞恥心でどうにかなりそうになりながら、

「本当です!! ……私はもう、ずっとあなたしか見ていないんですから……」と告げた。


 恥ずかしい……!!

 羞恥プレイが過ぎる……!!


 刹那、私への締め付けはさらに強くなり、同時に「あぁ……よかった……」と熱い息と共に呟きが降ってきた。


 よかった?

 それは……いや、でも……。

 期待はしないと決めていても、つい期待してしまう。


「私も、同じ気持ち……らしい」

 やがて小さく放たれた言葉に、私は一瞬考えることを停止させた。


「へ……? それって……」

「私も、君が好きだということだ」

「っ!!」


 そんなまさか……。

 私を……?

 信じられない思いでシリル君を見上げると彼は少しだけ眉間に皺を寄せ、何かを考えるように視線を落とした。

 そして──。


「君には、話しておかねばならないと思っていたことがある」

 視線を再び私に移し、あらたまったように真剣な表情で言葉を紡ぐシリル君。


「私は、今まで一人の女性との約束のために生きてきた」


 あ……これ……。

 何を話そうとしているかわかった。

 やっぱり、律儀で誠実な人だな、シリル君は。


「シリル君。その前にもう一つ聞いて欲しいんです」

 言葉を遮って不躾なことをしていると思うけれど、シリル君は不快な顔一つせず、「あ、あぁ、どうした?」と背筋を伸ばし私の言葉を待ってくれた。


 言ってしまおう。

 これもどうせ、すぐに忘れてしまう。


 私は意識を集中させ、できる限りの魔力を放出させた。

 その瞬間から、ゆっくりと瞳へと集中していく熱。

 私の目が焼けるように熱くなるのと比例するように、シリル君のアイスブルーが大きく見開かれていく。


「っ……!! ────姫君プリンシア──……!!」

「はい」

「本当に……“あなた”……なのか?」

 まるでその存在を確かめるように、そっと私の頬に触れるシリル君の黒い手袋越しの手。


「……はい。あの日、王と王妃、そしてシルヴァ様の魔法で異世界へと逃されたようです。幼すぎた私にはその頃の記憶はないんですけど……。この事を未来で知った私は、ちょっといろんな出来事が重なって、どうしていいのかわからなくなって……不安に押しつぶされそうになって……。落ち着いて考えるために、学園長がここへ寄越したんです。……シリル君、姫君プリンシアのこと、心配かけてごめんなさ──っ!!」


 言い終わる前に私は再び彼の固く引き締まった腕に抱きしめられた。

 さっきよりも、もっと強く。

 まるで、もう離さないと言うかのように。


「よかった……!! 本当に──!!」

 震えながら掠れた声がこぼれ落ちる。


 シリル君……泣いてる?


「……姫君プリンシア。いや、今まで通りヒメと呼んでもいいか?」

「っ……!!」


 私が姫君プリンシアであったことを言ってしまえば、先生は【神崎ヒメ】ではなく、【姫君プリンシア】として私を見るだろう。

 そう思っていた。

 だから怖くて、言えないまま、私は先生とすれ違ってあの時代から姿を消した。


 でも今、彼はちゃんと見てくれている。

 私を、私だと。

 そのままの名で呼んでくれる彼に、私は声を詰まらせ、こくんと頷いた。

 と同時に、赤く熱く染まった瞳からスゥッとまるで波が引いていくかのように熱が引いていく。



「ヒメ。私は──君を愛している。私と、今度こそ共にあって欲しい」

「……っ!!」


 まるでプロポーズのようなその言葉に、私の中から湧き上がる思い。

 なんて幸せな夢だろう。

 このままずっと、こうしていたい。

 大好きな人と思いが通じ合う……そんな諦めていたことが今、現実になっているんだから。


 でも──。



「できない……ですよ……」

 やっとの思いで絞り出した声は、震えてしまって聞き取れたかどうかわからない。

 大粒の涙が、桜色に戻った瞳からぽろりとこぼれ落ちる。


「だって……っ……、私が帰ったら、シリル君や私に関わった人の記憶は、フォース学園長によって消されてしまいますからっ……。そして……きっとあなたは別の人を好きになる」


 自分の人生全てを賭けてでも生き返らせようとする程に、きっと彼女を愛する。

 私なんて、お呼びじゃない。

 だってそれが、【マーメイドプリンセス】の設定なんだから。


「……なんだそれ……」

 低く唸るように吐き出されるシリル君の声。


「私の人生を勝手に決めるな!! 記憶を無くしたとしても、私は君を好きになる!! 過去も、現在いまも、未来も、どの君も、何度でも私はきっと君を愛する!! だから信じろ!! 私のことを!!」

「っでも────んっ……!!」


 言いかけてから、少しかさついた彼の唇によってピッタリと蓋をされる私の唇。


 力任せに押し付けられたそれは、あの突然のファーストキスよりも深く、強く、確実に刻まれていく。

 私はそれを拒むことなく、ただ身を任せた。


「っはぁっ……」

 名残惜しそうに唇が離れた時、シリル君は顔を真っ赤にしながら「約束だ」とつぶやいた。


 刹那、夏の生暖かい夜風が吹き荒び、木々の葉がザァァッと揺れる。


「っ!! ヒメ!! 身体が──!!」

 驚いたように私を見るシリル君に、私は自分の両手を目の前に掲げた。


「……泡……?」

 透明なシャボン玉のような泡が私の指先から溢れ出す。

 まるで糸がほどけていくかのように、泡と共に指先が透明になっていく──。


 あぁ、もう時間なんだ。

 不意にそう悟った。


「──もう……時間みたい、です」


 泡になって消えるなんて、まるで本当に人魚姫じゃない。

 全くもって悪趣味だ。


「……そうか……」

 苦しげに歪められる彼の綺麗な顔。

 しばしの静寂がその場を包むけれど、その間も時は待ってくれるはずもなく、私の足先はどんどん見えなくなっていった。



「……私……信じて待っていても……いいですか?」


 静寂を破って出てきた私の言葉に、シリル君が勢いよく顔をあげ私と視線を交わらせる。


 少しだけ、信じてもいいだろうか。

 ……私の、未来の可能性を──。


「あぁ……。信じて……いい」

 短い言葉が紡がれ、私は溢れる涙を拭うことなく、ふにゃりと微笑んだ。


 シリル君は大きなその右手で私の頬に触れ、そのまま親指を唇へと滑らせる。


「それまで、“ここ”は誰にも許すな。初めても、二度目も、その後も全部────私のものだ」


 シリル君の顔が再びゆっくりと近づき、熱を孕んだアイスブルーの瞳が揺れた。

 耳がほんのり赤いことがシリル君の心情を物語っていて──……。



 ──そして私たちの唇は、一つに溶け合った。




 どこからともなく現れた無数の光が私たちを包む。

 まるで二人を見守っていてくれるかのように。

 そして私の指先から、髪先から、つま先から……、次から次へと泡が溢れ出す。



 少しずつ唇の感触が薄れていく。

 あぁ、消える。

 この時代から。

 彼から──私が消えてしまう。


「っ……!! ヒメ──!!」

 離れた唇に、ほんの少しの寂しさを感じながら、私は涙も流れるままに再び彼にふにゃりと微笑んだ。


「未来で──待ってて────……!!」


「ヒメ!!」



 そして私は、泡となって夜の闇に消えた──。




挿絵

https://kakuyomu.jp/users/kagehana126/news/16817139558794718640



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