第82話 会敵

 分厚い雨雲に覆われた夕暮れ、聖堂騎士団が隊列を組んで進軍する。


 彼らに守られるように、錬はメリナと共に騎竜にまたがっていた。


「本当に付いて来てよかったのか?」


「構いません。レン様の魔法具があれば私でも戦う事はできますから」


 メリナはまっすぐ前を見据えている。その答えには微塵も迷いは感じられない。


 非戦闘員である彼女には砦に残る事を勧めたのだが、頑として譲らなかったのだ。


「この身はテラミス様に救っていただいたもの。ならば今こそ御恩を返す時です。たとえ命に代えても」


「……そこまで言うなら止めはしないけど、捨て身とかはやめてくれよ?」


「承知しております」


(本当にわかってるのかなぁ……)


 錬は嘆息する。


 テラミスを助けたいという気持ちは理解できるが、どうにもメリナからは殉教者のような雰囲気を感じてならない。


 そんな心配をしている間にくだんの町に差し掛かった。


「これはひどいな……」


 思わずそうつぶやくほど、町はひどい有様だった。


 建物は無残に破壊され、黒煙がくすぶっている。大通りには負傷者がそこかしこにおり、遺体は未だ道端に放置されている。うめき声や誰かの泣き声も聞こえる中、無事な人々が救助と復旧に駆けずり回っていた。


「聖堂騎士様だ!」


 不意に誰かが叫んだ。


「聖堂騎士様が来てくださったぞ!」


「おお……教会はまだお見捨てになられておらなんだか!」


「何卒さらわれた娘をお救いください……!」


 ある者は喝采し、ある者は声援を送る。娘をさらわれたという男などは泣きながら土下座していた。


「どうやら拉致や略奪もあったようですね」


「この町は王国の領土だろ……? なんで軍が同じ国民にそんな事するんだ?」


「上の方々が皆レン様のようなお考えなら、このような事にはなっていなかったでしょうね」


 メリナは感情を抑えた平坦な口調で言う。


「ここは果樹園と交易で栄えた町でした。レン様にお出ししたドライフルーツや果実水はここで作られたものなのですが、ご存じでしたか?」


「いや……。あれはうまかったな」


「果樹を育てるのは人手と知識がいりますが、魔力は特に必要とされません。だからこの町には魔力を持たない人々が比較的多く住んでいるのです」


「魔力なしでも働く場所があるって事か?」


「そうです。王都では考えられない事かもしれませんが、テラミス様がそのように整備されたのです。おかげでこの町では魔力なしに対する偏見も穏やかだったのですが……だからこそ魔獣部隊に狙われたのかもしれません」


 町を離れたところに生えていたであろう果樹園は木々が薙ぎ倒され、地竜に踏み荒らされている。この分ではしばらく生産も難しいだろう。


(これは社長――ハーヴィンが指示したんだろうか?)


 ふとそんな疑問が浮かんだ。


 前世で錬は人を殺した事などもちろんない。それはハーヴィンも同じだったはずだ。


 しかしこの世界に来て以降、ハーヴィンは人を殺す事にためらいがないように思える。


 暗殺、毒殺、冤罪、差別の蔓延。およそ思い付く限りの悪徳をばらまく今の彼は、もはや同じ世界から来た人間とは思えない。


(前世の倫理観を持ったまま、どうしてここまでの事ができる……? 王族生まれの環境が人を変えたとでも言うのか?)


 考えていると、騎士団長のゼノンが騎竜を寄せてきた。


「大賢者殿、斥候が敵軍を発見したそうですぞ」


「わかりました。では手はず通りにいきましょう」


 作戦は単純なものだ。


 まず、敵軍の進路に魔光石センサーのトラップを仕掛けておく。


 それに引っ掛かったら、三属性の魔光石シールドを持つゼノンが後方から突撃。地竜を倒してもらった後に単属性の魔光石シールドを装備した聖堂騎士団が敵の雑兵を叩くのである。


 今回の戦い最大の不安要素といえば、やはり魔石残量だろう。しかしちまちま使っていては二属性魔法を使う変異種の地竜を倒す事などできない。


 だから数少ないそれをゼノンに集中させ、一気呵成いっきかせいに敵を倒し、テラミス王女を救出するのだ。


「しかし二千を超える敵軍に、わずか百騎少々で挑むか……。今更ではあるが正気とは思えぬ作戦であるな」


「戦いは数と言いますが、テクノロジーはそれを覆す事もできるはずです」


「大賢者殿にそれを言われると返す言葉もありませぬな……」


 頭をぺちんと叩いて苦笑するゼノン。先の錬との戦いで身につまされる思いなのだろう。


 ちなみに今の錬は王立魔法学園のガウンを着ている。


 砦に保管されていた魔石銃や革のポーチなどもすべて回収し、できる限りの準備は整えた。


 錬の装備は魔石銃と魔光石シールドで、どちらも二属性のものだ。いざという時に対応できるよう予備兵力として後方で控える事になる。


「作戦の要はゼノン団長です。お願いしますよ」


「承知した。しかし、本当に我輩が三属性の魔法具を持っていて構わぬのか? 大賢者殿の方が相応しいのではないかと思うのだが……」


「前の一戦の事を言っているなら、俺は単に装備の差で勝っただけです。同条件で戦えば戦闘のプロであるゼノン団長の方が圧倒的に強いでしょう。だったら最強の騎士であるあなたにフル装備で突っ込んでもらうのが最も勝算があるはずですよ」


 錬の言葉に、ゼノンはこの上ないほど上機嫌になった。


「ふっ――大賢者殿にそこまで言われてはやるしかあるまい。ならば最強の騎士たる我輩が悪しき地竜どもを蹴散らしてご覧に入れようぞ!」


(案外チョロいんだな……)


 やる気に満ちたゼノンの顔を見て、錬はそんな事を思った。




 ***




「敵襲ーッ!」


 悲鳴にも似た声が耳に届いたのは、魔獣部隊隊長の男が地竜に引かれる竜車の中で勝利の晩酌を引っ掛けていた時だった。


 慌てた様子で兵士の一人が駆け込んでくる。


「隊長! 敵襲です! 隊の前方から攻撃を受けています!」


「なんだぁ? 聖堂騎士の残党どもか?」


「それが……わからねぇです!」


「わからないだとぉ……? どういう事だ!?」


「姿が見えんのです! 地面の下とか誰もいねぇ草むらとか、とても人がいるとは思えねぇ場所から魔法を撃ってきやがるんすよ!」


「なにぃ!? てめぇわけわかんねぇ事言ってんじゃねぇぞ!? 魔法を撃ってるってこたぁ、そこに魔法使いがいるって事だろうが!」


「でも実際いねぇんですよ! いくら探しても人っ子一人いねぇんす!」


 反論してくる兵士に、隊長の男はいらだちを隠せない。


(数と装備だけは一端だが、しょせん盗賊くずれのごろつきどもだ。どうせ酔っ払ってて見逃したに違いねぇ――)


「て、敵襲ーッ!」


 今度は後方から声が聞こえた。


 先ほどとはまた別の兵士がもう一人竜車のドアを乱暴に開ける。


「お頭! 敵です!」


「敵がいるのはわかってんだよ! というかお頭じゃなく隊長と呼べっつったろうが!」


「す、すんません! じゃなくて、新手ですぜ隊長! 前と後ろから挟み撃ちにされてます!」


「新手だぁ? 後ろの敵は何人だ?」


「一人です!」


「はぁ!? そんなもんとっととひねり潰しやがれ、バカヤロウ!」


「それが、敵は聖堂騎士団の団長ゼノン=ゾルダートなんですよ! 野郎、とんでもねぇ強さで仲間がバッタバッタと斬り伏せられてますぜ!」


「ゼノン……? ああ、あのハゲ頭の騎士か」


 その名前は隊長も聞いた事があった。


 何でもヴァールハイト王国屈指の剣技を誇り、二属性魔法まで使う事ができる凄腕らしい。その武勇は外国ですら広く知られ、名実ともに聖堂騎士団最強の戦士である。


「なるほど。あいつが出張ってきたってこたぁ、連中も本気のようだな。だったら地竜兵で囲んで始末しろ」


「もうやってます!!」


「はぁぁっ!? どういう事だてめぇ!?」


「ゼノンの野郎、地竜兵の連中と正面切って戦ってやがるんすよ!」


「バカ言うな! この隊にいる地竜は二属性魔法をぶっ放す変異種だぞ? いくら最強の騎士でも一人で複数を相手にできるわけねぇだろうが!!」


「その二属性魔法を食らってピンピンしてるから隊長に報告しに来てんですよォ!!」


 兵士は手振りも交えて必死に訴えかけてくる。


 鬼気迫るその態度に、さしもの隊長も気圧されてしまった。


(二属性魔法を食らってピンピンしてるなんて、そんな事があり得るのか? ……いや、まさかっ!?)


 ふと隊長は思い出した。


「……そういえば聖堂騎士どもは例の大賢者を捕縛したって話を聞いたな」


「大賢者……ですかい?」


「ああ。何でもいにしえの魔法具を作る知識を持ち、三属性魔法さえ自在に操るらしい」


「三属性ってそんな、おとぎ話の英雄じゃあるまいし」


「いや、王立魔法学園での一戦で実際に使われたらしいぞ。眉唾なんかじゃねぇ」


 となると兵士どもの報告にも信憑性が生まれる。


 姿の見えない魔法使いに、二属性魔法を食らっても倒れない騎士団長。これらの報告が事実ならば、もはや出し惜しみしている場合ではない。


「……よし、だったらとっておきのペットを出してやろう」


「とっておき……?」


 隊長は今乗っている竜車を引く地竜を親指で差し、壮絶な笑みを浮かべて兵士を睨んだ。


「――王太子殿下の開発された、三属性魔法を使う地竜の変異種だ。こいつをゼノンの野郎にぶつけてやれ!」

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