第9話 団体交渉(2)
錬が連れられたのは、鉱山のふもとにある館の前だった。
山林の切れ目にレンガ造りの立派な建物があり、門の中には色とりどりの草花が咲き乱れる庭園が広がる。
伯爵はここに住んでいるようだ。
奴隷使いのリーダーが門番小屋の戸をノックすると中から男が顔を出し、何事かを話すと血相を変えて屋敷へ走って行った。
「ここで待ってろ。じきに伯爵様がおいでになる」
「中で話さないんですか?」
「薄汚ぇ亜人奴隷どもを屋敷に招く貴族がいるかよ。てめぇらと話すのは外だ」
てっきり部屋まで通されるものと思っていたが、伯爵の方から足を運ぶとは驚きだ。
ジエットも困惑した様子で錬の手を握ってきた。
「敷地に入る事も許されないんだね……」
「よほど嫌われているらしいな」
そうしてしばらく待っていると、剣と皮鎧で武装した十人ほどの歩兵や竜騎兵を連れて伯爵が姿を現した。
ジエットはすぐさまひざまずき、頭を垂れる。
姫として生まれただけあって教養があり、この世界の礼節に詳しいのだろう。改めて見ると様になっている。
礼を失して交渉決裂しては元も子もない。錬も彼女に倣って膝をついた。
「伯爵様、このたびはお忙しい中ご足労いただきありがとうございます」
「前置きはよい。用件を申せ」
「端的に申し上げますと、達成不可能な指示を撤回していただきたいのです」
「……つまり、ノルマを減らせと?」
「はい。徐々にノルマを上げていくのであれば対処のしようもあります。ですが、一足飛びに百倍ものノルマを課されては、できるものもできなくなります。なにとぞご一考を……」
伯爵は何かを考えるように、ヒゲを撫でながら錬を見下ろした。
「ふむ。たしかに百倍ものノルマをいきなり課したのはやりすぎであったかもしれぬな。命を省みず我輩へ嘆願しに来たその勇気に免じて、特別に配慮してやってもよい」
「本当ですか!?」
「本当だとも。お前が誠意を見せてくれるのであればな」
「誠意……とは?」
「魔法具に関する知識だ。魔石エンジンと言ったか? それの製法を教えよ」
したり顔で伯爵は言う。
その思惑を察し、錬は薄ら寒くなった。
(最初からそれが狙いだったって事か……)
食事の改善要求を受け入れた直後にノルマ百倍などという無茶を指示したのは、つまりこの状況を作るためだったのだろう。
知識は錬の最大の武器であり、防具でもある。その価値の高さによって伯爵から身を守る事ができている。
しかし伯爵はそれを寄越せと言う。自分は武器をちらつかせ、相手には武装解除しテーブルへ着けと要求しているのだ。
こんなものは交渉とは言えない。単なる恫喝、搾取だ。
「……申し訳ありませんが、今は教えられません」
「今は? それはいずれ教えても構わないという事かね?」
「……状況が許せば」
「なるほど……残念だ」
伯爵が目配せすると、兵達が前に出た。
一触即発の危機に、魔石銃を持つ手に汗が滲む。
「お待ちください伯爵様!」
叫んだのはジエットだ。錬を守るように立ち上がり、注目を集めている。
「何だ小娘? 命乞いならば聞かぬぞ」
「命乞いではありません。争いではなく話し合いがしたいのです!」
「卑しい奴隷ごときが貴族と対等に話し合えるとでも?」
「それは……貴族と対等に話せる立場の者なら話し合いに応じるという事ですか?」
「何を当たり前の事を。そのような問答ではぐらかすつもりならば許さぬぞ」
睨み付けられたジエットは一瞬怯んだが、威圧感をはね除けるように深呼吸して口を開いた。
「申し遅れました。私はジエッタニア=リィン=ヴァールハイト。この国の第七王女にございます」
「は……?」
意表を突かれたのか、伯爵は目を丸くしている。どうやら驚かせるくらいの効果はあったようだ。
「獣人風情が何を下らぬ戯れ言を……たしかに第七王女殿下は半人半獣という話だが、七年前に亡くなられたと聞いたぞ」
「いいえ、死んではおりません。私は母であるオリエラ=リィン=ヴァールハイトにより王宮から逃がされ、その後に人さらいの手に落ち奴隷として売り飛ばされたのです。王都へ戻れば身の証を立てる術もございます。お話を聞いてはいただけませんか?」
「……王族の名を騙った者は、いかなる事情があれど死罪となる。その上で申しておるのだな?」
「はい」
凜々しく口元を引き結ぶジエットを目にし、伯爵は眉根を寄せた。
死罪と言われてなお微塵も揺るがぬ彼女の態度に説得力を感じたようだ。
「……なるほど、王女殿下であるというのも満更嘘ではなさそうだ。ならば我輩も相応の対応をせねばなりますまい」
伯爵は紳士的な態度で一礼する。
その様子を見てジエットは胸をなで下ろした。
「感謝します」
「とんでもございません。あなた様とここでお会いできたのはまさに僥倖、必ずや王家にご報告致しますぞ――訃報としてな」
伯爵が手を挙げるや、兵達が詠唱しながら抜剣した。
炎や風をまとう刃を向けられ、ジエットが後ずさる。
「ど、どうして!?」
「簡単なお話でございます。王族ではあれど、第七王女殿下は半獣の魔力なし。そして我輩が支持するハーヴィン王太子殿下は、魔力至上主義を掲げておられる御方。魔力なしの亜人など、王家に存在してはならぬのですよ」
「ハーヴィン……王太子? 王太子は第一王子であるランドールお兄様では……?」
「おや、ご存じなかったのですかな。ランドール王子殿下は一年ほど前にお亡くなりになられました」
「っ!?」
ジエットの血相が変わった。信じられないとばかりに肩を震わせ、よろめく。
「そん……な……なんで!? 何があったの!?」
「何でも公務中に護衛共々暗殺されたとか。いやはやまったく悲痛極まる出来事でございました。あぁ、首謀者一味は皆処刑されましたのでご安心くだされ」
さも悲しげな演技を披露し、伯爵は一礼する。
彼が手を下したとは言わないが、それでも悪意を感じるほどには感情が込められていない。
ランドール第一王子がどういう人物だったか錬にはわからないが、王族の中でジエットの唯一の味方という話だった。いずれ王位を継ぐであろう彼の存在が、ジエットにとっての最後の希望だったのだ。
それが今、潰えた。その絶望たるや錬には想像もできない。
「さて。我輩は忙しい身でございますゆえ、この辺りで終わりと致しましょうぞ」
「……ようするに交渉決裂か?」
「そうするしかあるまい。魔法具の製法は魅力的だが、我輩に御せぬ力など邪魔でしかないわ。安心せい、すぐには殺さぬ。貴様の知識もそうだが、第七王女殿下というのが事実なら、色々と使い道があるのでな」
「……っ!?」
にぃ、とおぞましい笑みを浮かべる伯爵に、ジエットが青ざめる。
「さぁお前達。こやつらを捕らえよ!」
「させるか!」
迫る敵兵の足元へ向けて錬はトリガーを引き絞る。
その瞬間、爆発音と共に地面が破裂し大量の土砂が舞った。驚いた騎竜達が悲鳴を上げ、たたらを踏む。
「なっ……魔法を使った!?」
「ジエット、逃げるぞ!」
「う、うん!」
ジエットの手を引き、錬は障害物の多い山林を目指して走る。数でも機動力でも負けている以上、少しでも地の利を活かして戦うほかない。
だがそんな作戦は敵側もすぐに思い付く事だ。
「逃がすな! 奴らを捕らえた者には金貨一枚をくれてやる!」
伯爵の宣言に敵兵達が色めき立つ。
(あんな奴らに好き勝手されてたまるか……!)
息せき切って走りながら、錬はジエットの手を強く握った。
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