小さな電脳のメロディ

2010年制作。

2022年12月追記、ログイン数がアレだったんで10倍しました。




 


 瞼をゆっくりと開くと、そこは、電脳空間だった。


 目に映るのはリンクで繋げられた摩天楼のビル群、そのビルの一つの屋上に彼女は立っている。無機質なビルと空だけがある空間。彼女はこの場所が好きだと感じている。風が吹く。それは彼女のアバターの髪を揺らす。その風は実際の生身の頬や髪には当らないのだが、気持ちが良い。


 彼女の手には一枚のカード。“アカウント”と記載されている、そのカードを空を切り裂くように投げつけると彼女の目の前の空に様々なデータの巨大空中映像が映し出された。その巨大空中映像は現在のログイン数などを表示している。現在の総ログイン数は202433名。ランクをA以上に検索したなら9815名。約5%の人間だけがランクA以上だ。


 アカウントを証明する音声パスワードをどうぞ、とアナウンスが流れる。別に音声認識パスワードにしなくても生体情報パスワードだけで良いのだが、彼女はそうしている。彼女はこの瞬間が好きだ。なぜなら現実よりも生きている感じがするから。彼女は少しだけ口元に笑みを浮かべ、自らを誇るように言った。


「私は、私の存在を証明する!」


 パスワード承認。『スペル・バインダー』の世界へようこそ、“ファイアフォックスガール”。あなたに戦闘の申し込みが345件入っています。リスト化しますか?



 YES。



 すぐに対戦希望者のリストが表示される。その中に“パンプキンヘッド”の名前を見つけ、彼女は少し驚いた。彼女のプレイヤー名“ファイアフォックスガール”は『スペル・バインダー』内で有数の支持を誇っているのだが、“パンプキンヘッド”はスペル・バインダー内で別格な程強く、『スペル・バインダー』の神様とまで言われているプレイヤーで公開対戦では『スペル・バインダー』にログインしている者全員が対戦を観戦しようとするくらいの存在だ。彼にあやかった偽アカウントも多いがランクが低く低支持なのですぐに判明する。『スペル・バインダー』には支持レベルというものがあり、そこをクリアしないとランク上位には行けないシステムとなっている。

 

 並みのプレイヤーでは会いたくても会えない。会いたければ強くなければならない。会いたかった。全部計算しているように、鮮やかな、それでいて素早い状況判断とカード操作で、とても綺麗な魔法の組み立て方するプレイヤー。会いたい。会いたかった。自分の理想がそこに居て、惹かれないはずがなかった。“パンプキンヘッド”の勝率は8割を超える。これはSランクとしては信じられないほど高い勝率で、実力的にはACEクラスだろう。“パンプキンヘッド”というプレイヤーがいたから私も『スペル・バインダー』にハマったのかもしれない。私は“ファイアフォックスガール”だから、炎系のデッキで例えダメージを食らったとしても炎で焼き尽くすのが私の戦い方だった。


 “パンプキンヘッド”はそのあまりの強さ故に対戦者を選ぶ。そうしなければプレイランクの格差が出てしまい一瞬にしてゲームエンドとなるからだ。“パンプキンヘッド”から有料非公開ゲームの誘いが来ている。何故、私に? 選ばれたという事なのだろうか。“パンプキンヘッド”の戦い方からすると私の戦い方は汚いように見える。


 だから“パンプキンヘッド”に会いたくても、会いたくなかった。恐らく“パンプキンヘッド”も私の戦い方を知っていて、それで対戦希望を出しているのだろう、けど。


 どうにも判断が付かないので彼女は『ブラインダー』と呼ばれる軽量の電脳メガネ、つまりスマグラと呼ばれるARグラスを外した。その瞬間、“ファイアフォックスガール”こと、彼女は、ただの普通の女子高生である“片倉里緒かたくらりお”に戻る。彼女の居るところは高校の屋上だった。そして今は昼食と昼休みの時間で、片倉は隣に置いていた薬のような匂いがする炭酸系の飲料を口に運んだ。季節は秋、しかし晴れていたため、汗が額に滲み、手の甲で拭った。


『スペル・バインダー』とは、トレーディングカードゲームの一つで元となった『スペル・バインダー』は数年前にリリース、そしてシリーズの終了となったが、『ブラインダー』並びに通信機器の発展、手や指の動きを認識する技術によって、今までアナログだったトレーディングカードゲームが次々と移植された。『スペル・バインダー』もその一つで、最初からアプリとして『ブラインダー』にインストールされている。


 トレーディングカードゲームは『マジック・ザ・ギャザリング』から始まったと言っても良い。アメリカで1993年に発売、日本では1995年に翻訳版が出て、その頃からだろうか、日本ではアニメや漫画が次々とトレーディングカードゲーム化される事になった。そしてトレーディングカードゲームをメインに扱った漫画が超が付くほどの人気になり、日本でのトレーディングカードゲームはゲームとして、やや特殊な形だが、一般化した。


 特殊と言えるのはアニメや漫画、ゲームなどに依存しているからだった。そして、小型ICチップカードによるアーケード連動のトレーディングカードゲームなどが増えていった。アナログではそれぞれ別の作品のキャラが1つのトレーディングカードゲームのカードとして販売するという動きが見られ、それは現在でも続いている。


 しかしアニメや漫画、ゲームなどに依存しているという事は対象年齢が自然と低くなり、大人であるならば、デジタルゲームに慣れ親しんだオタクや、いわゆる萌え系のマニアが購入するという動きで一般に浸透したとは言え、特殊なゲームだと思われていた。


 それが『ブラインダー』などの機器によって状況が一変する。カードは全てデジタルデータであり、物体としてのカードを持つ必要が無く、どこでも通信できて対戦できる事から『ブラインダー』でのトレーディングカードゲームのムーブメントが発生した。興味深いのはアニメや漫画、小説やゲームなどに依存していないトレーディングカードゲームも遊ばれるようになり、また『スペル・バインダー』もその一つである。


 『スペル・バインダー』というゲームは言うなれば魔法対戦である。中央に魔法を成型する魔法陣があり、魔法プログラムカードと呼ばれる簡単な英単語を組み合わせ魔法を作り、相手に攻撃、または防御か回復をする。またモンスターなどを召喚する事もできる。そのような、一般的と言えば一般的なトレーディングカードゲームであったが、『ブラインダー』に移植された『スペル・バインダー』はターン制、つまり先手・後手が順番にカードを引いて行動するというシステムを破棄、10分間のリアルタイム制にした。よって勝利するためには相手より素早くカードを組み上げなければいけない。このシステムが『ブラインダー』での『スペル・バインダー』の人気を高めた。


 「なーにしてんの片倉」と、屋上に居るはずなのに何故か上から声がしたのでビクッとしながら声の方向に振り向くと、守口の顔が見えた。片倉が背にしていたコンクリートの建物の上に、この守口がいたのだ。まだ大人になりきれないあどけない少年の顔をしている。守口航もりぐちわたる。クラスメイトであり、私が『スペル・バインダー』のプレイヤーである事は知らないが、『ブラインダー』でのゲーマーだとは知っている人間。ゲーマーだと知られているので更にやりにくい。自分が知っているだろうゲームの話題を振ってくるからだ。


「…いつからそこにいたのよ」

「3時間目からだねえ。体育だるくね? 1000m走なんてさー、こっからみんなを応援してた」

「……」


 そう、顔は少し真面目そうなのに、このサボリたがりの性格。これで成績も良く教師受け良しでついでにリア充なので嫌になってくる。片倉は守口とは正反対のような性格で、友達という友達もいない…ことも無いが、やはりいなかったので守口の姿を見るだけで自分が嫌になってしまうのだ。ちなみに今、私もサボっている。


 とりあえずここから立ち去ろうとして携帯栄養食品のお菓子をカバンに閉まって立ち上がろうとしたとき、守口から「ログインしたままでどこ行くの? “ファイアフォックスガール”」と言われ、ログインしたままだったのもそうだったのだが、守口どころか誰にも教えていない私のアカウント名を言われ、反射的に守口のところへ駆け寄り(正確にははしごを登り)、効果音を付けるなら、わなわなわなわな、というくらいに顔を真っ赤にして守口の胸倉を、ガッ、と掴んだ。


「どうしてその名を知っている!?」

「え、ちょ、とりあえず、タンマ、あの、危ないですから、片倉さん、落ちるとマジ死ぬるんで」

「何故だ! 私の『ブラインダー』を見た…ああ、それは関係ないな、ハッキングか? ああ!?」

「いやー、あの、話すんで、ちゃんと話しますんで、暴力的解決は良くないというか、片倉さんそんなキャラだったっけ?」

「キャラとか言うんじゃねえ!! …落とす」

「ええ? えー!? ちょ、ちょっと、本気?」

「何故か生かして置けない気がする」

「…あの、僕、嫌われてます?」

「今さっき決定的に排除対象だと感じた」


 助けてー、という弱々しい叫び声が屋上に響いたが誰にも届くはずがなく、現在、守口はコンクリートの上で正座、片倉がそれを虫けらのように見下ろすというドMにはたまらない状況が出来上がっていた。


「で、どうして私が“ファイアフォックスガール”だと分かった?」

「…言わなきゃ、ダメ…す、よね」


 片倉は返事をする代わりにコンクリートの壁を思いっきり蹴った。


「えーと、『スペル・バインダー』に通信機能ついてるのは、当然知っているとして…すれ違い通信機能もあるって知ってました?」

「…?」

「同じゲームをやっている人間が近くにいると情報を教えてくれるという機能で」

「…それが?」

「普通は設定でオフにするんですよ。ほら、人間って何かしらの用事があったりしていつでも遊べるわけじゃないから」

「…それで?」

「片倉さんの『ブラインダー』、設定オフになってないんだよね」

「……!!」


 『ブラインダー』を掛けて、アカウント情報を表示してみると──守口の言うとおり、オンのままだった。


「それで、私が“ファイアフォックスガール”だとこの町中に広まっているというわけか」

「あ、ええと、それも違って、半径100m以内なんですよ、デフォだと」

「ああ…全部わかった。守口もスペル・バインダーやって、すれ違い通信で私のアカウントがわかったと」

「うーんと、それもちょっと違くて、俺が『スペル・バインダー』やってるのはそうなんだけど、他の奴もやってたりしてて」

「その全員にバレてるのか!?」

「ち、ちがうちがう、『スペル・バインダー』のすれ違い通信って同じレベルくらいじゃないと反応しないんだ。でないとレベル格差バトルになるから」

「…ん? ちょっと待て、私はAランクだから…」

「Aラン以上かSラン。ACEも含まれるけど。さて、“ファイアフォックスガール”、すれ違い通信のログをどうぞ」

「言えばいいのに」

「いいから」


 すれ違い通信のログのリストを表示、最新で2分前…“パンプキンヘッド”と表示されている。


 その前も、その前も、その前も、その前も、その前も。


 “パンプキンヘッド”、『スペル・バインダー』での、神様。

 会いたくて、会いたくて、たまらなかった、その、プレイヤーが、…守口?


「いつまでたっても気付いてくれないんだもん、こっちから対戦希望出しちゃったよ」

「証拠がない。あるはずない。ないないないない、ないったらない」

「あー、事実から逃避するまえに、じゃあこっちからオンラインで繋ぎますから」


 “パンプキンヘッド”からオンラインチャットです。許可しますか。



……YES。



 “ずっと、待ってた。会いたかった。気付いてくれるのを待ってた。それと、好きです”


「はぁ!?」さっきとは別の意味で顔が赤くなる片倉。さっきまで暴力的だったが花の女子高生である。


 “今何時だっけ、もう直ぐ3時間目終わるから、一戦どう?”


 “今はやだ”


 “ぇー なんで?”


 “胸がどきどきして苦しい、なんだろ、おかしいおかしい、わたしおかしくなってる。3分待って”


 “待たない”


 “なんで?”


 “君の音声パスワード、「私は、私の存在を証明する」を聞きたい。隣で”


 “…恥ずいんですけど。いろいろな意味で”


 “良い言葉だなって思ってさ、だってつまり、ここにいる、って言葉だから。手、触っても良い?”


 いいよ、とも、だめ、とも返さなかった。


 ブラインダーの時計機能が1秒ずつ時を刻んで、それがとても遅く感じられて、ああ、これって「いいよ」と言っているのと同じだよなと思いつつ、ちょっとその準備をしてたけど、1分でやっと小指に触れて、守口も戸惑ってるようで、私から手を繋ぐと、好き、という意味になるから動かせなくて、でもどこかで守口のほうから繋いできて欲しいという気持ちもあって、薬指を守口の指へ重ねるようにしたら、そのまま自然と手を繋ぐ事ができた。


「言ってよ」

「…何を?」

「パスワードの、あれ」

「今言うと結婚式みたいじゃない」

「僕以外、誰がいるの?」


 ああ、守口はこういう奴だった。


「…私は、私の存在を証明する」

「うん」

「…ここにいるよ」

「うん」

「…待たせてごめんね」

「ううん、いいんだ」

「…このままサボっちゃおうか」

「いいね」

「“パンプキンヘッド”、ずっとずっと会いたかった、のかな」

「かなって何」

「こんなに近くにいるとは思わなかった」









 “パンプキンヘッド”から“ファイアフォックスガール”へ、ホットライン形成のお誘いが来ています。承認しますか?





YES。





──そしてここからは蛇足である。







「…で、なんで“パンプキンヘッド”というプレイヤーキャラクターなの?」

「……」


 片倉がそれを聞いた瞬間、守口の顔が悲しそうに俯いて、そして空を見た。


「聞いちゃいけなかった?」

「…いや、うん、どう言えばいいんだろう、カラッポ頭っていう意味なのはわかるよね」

「うん」

「うすのろまぬけ、いたずら好きのジャックオーランタン、ほらハロウィンのさ」

「うん、知ってる」

「なんか生きてる感じがしないなって、いつも思ってて」

「うん」

「そうしたら、『スペル・バインダー』でさ、ガリガリに全力で戦ってる奴がいたのよ、この学校で、私は私の存在を証明する、というプレイヤー」

「……」

「僕はからっぽでさ、何でも使うけど、あっさり相手を倒そうとだけしか考えなくて」

「うん、…あと、言わなくていいよ」

「ヴァーチャルであっても、全力でさ、私は私の存在を証明する、って肯定ではないな、意思だよね、ゲーマーとしての」

「……」

「あ、これは絶対、上に上がってくるなと思ってた。会いたかったのは僕の方かも」


 そう言って、守口は笑った。空に融けそうなくらいに透明な微笑みで、それで片倉は、守口の顔を見れなくなった。片倉の顔が赤い。


「もうちょっと握っててもいい? 手」

「…いつまでもいいよ」



 二人とも『ブラインダー』をつけているので電脳空間では離れ離れ。




 でも、繋いでいる。繋がってる。

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