第十九話 毒の正体

 シュツェルツがお茶に誘うと、ダヴィデは南国を思わせるいつもの笑みを浮かべ、「いいよ」と言った。

 ダヴィデの部屋からシュツェルツの部屋に移動し、向かい合って長椅子にかける。

 シュツェルツはテーブルの上に置いたベルを鳴らし、女官を呼ぶ。


「お茶を淹れてきて欲しいんだ。叔父上は何をご所望ですか?」


「シュツェルツと同じものでいいよ」


「じゃあ、マロウブルーティーを。ご存知かもしれませんが、マロウブルーティーは待てば青から紫に変色する不思議なお茶です。さらに、レモンを入れるとピンク色に変わるのですよ」


「へえ、そんなお茶があるんだね。楽しみだな」


 用件を聞いた女官が部屋を出ていくと、シュツェルツはくつろいでいるダヴィデに顔を向けた。ダヴィデ自身はシュツェルツに好意を持ってくれていることが分かっていても、イペルセ国王の意向を聞き出すとなると、やはり緊張してしまう。


「シュツェルツ、どうしたんだ?」


 こちらの様子に気づいたらしいダヴィデが声をかけてくる。シュツェルツは小さく息を吸い込んだ。


「──実はですね、叔父上が半年もの間、こちらにご滞在なさる理由を知っておきたくて」


「なるほど。アウリールの差し金かな?」


 少し意地悪な叔父の言葉に、シュツェルツは背筋を伸ばした。


「確かに、アウリールたちと話し合って決めたことですが、僕の意思です。叔父上もご存知の通り、僕は今、命を狙われています。現在、首謀者を特定している最中で、イペルセ国王にもわずかながらその嫌疑がかかっておいでです。友邦たるイペルセの疑いを解くためにも、なにとぞご協力いただけませんか」


「それは構わないけど」


 ダヴィデはそう前置きし、セルリアンブルーの瞳でこちらをじっと見つめた。


「確かにわたしは大人の事情というやつでマレを訪れた。だが、君とアルトゥルをどうにかしようという気は、兄王にはないよ。そんなことをしても無意味だからね。……アルトゥルの病状は、それだけ深刻だ」


 シュツェルツは息を呑んだ。

 ダヴィデは憂いを含んだ微笑を浮かべる。


「わたしは医学を学んだ、と言ったろう? たとえ、兄王が姉上に請われて、君を排除しようと思ったとしても、わたしがありのままを伝えて思いとどまらせる。残念ながら外交に必要なのは、この先何十年にも渡ってお付き合いしていく相手だ。……これだけ言えば、賢い君には分かるだろう? わたしがどんな王命を受けてこの国に来たのかが」


 その言葉を聞いて、ようやくシュツェルツは理解した。叔父が兄王から課せられた使命はあまりに重く、ある意味では残酷なものだった。そして、自分が乗り越えなければならない試練と非常によく似ている。


 シュツェルツが答えを返そうとした時、扉を叩く音がして、お盆を持った女官が入室してきた。先ほどの女官ではなく、ゲルタだった。普段からどことなく気弱そうに見える彼女の顔を見て、シュツェルツは心配になる。


「ゲルタ、大丈夫? 顔色が悪いよ」


「は、はい。ありがとうございます、殿下」


「その仕事を終えたら、早退したほうがいいよ。僕からも首席私室女官に言っておくから」


「……はい、そういたします」


 ゲルタはお盆に載ったティーセットをローテーブルの上に置き、お茶を茶碗ティーボウルに注ぐと、そそくさと退出していった。茶碗の受け皿ソーサーには、輪切りのレモンが添えられている。


「シュツェルツは優しいねえ。ところで、マロウブルーティーと言ったっけ。想像以上に綺麗な色のお茶だ」


 ニコニコしてそう評しながら、ダヴィデが彼の分とシュツェルツの分のお茶を交互に見やる。気のせいか、彼の顔がわずかに強張った。

 ダヴィデとの会話の緊張をほぐし、新たに答え直すため、シュツェルツはお茶が紫に変わるのを待たずに、温かい茶碗に手をかけた。

 その瞬間、ダヴィデの甘い顔つきがさっと変わった。


「シュツェルツ! そのお茶を飲むな!」


 いつになく鋭いダヴィデの声。シュツェルツはびくりと身体を震わせ、茶碗から手を離した。澄んだ海のように青いお茶が茶碗の中で揺れている。

 ダヴィデは怖い顔のままシュツェルツに言った。


「シュツェルツ、アウリールを呼んでくれ。彼にも説明したほうがいい。それに、エリファレット以外の近衛騎士も何名か呼ぶんだ。さっきの女官を捕まえて追求する必要がある」


「はい……」


 答えながら、シュツェルツは現在の状況を理解し始めていた。

 おそらく、ゲルタはシュツェルツのお茶に毒を入れたのだ。毒に詳しいダヴィデには、それが分かったのだろう。ゲルタの様子がおかしかったのにも納得がいく。


 鮮やかな紫色に変わりゆくお茶を横目に、シュツェルツは暗澹あんたんたる気持ちでベルを鳴らし、アウリールとエリファレット、それにデニスとケヴィンを呼んだ。

 長椅子の脇に並び立つ彼らを前にして、開口一番ダヴィデは言った。


「シュツェルツのお茶に毒が入れられた」


 みなの顔に緊張が走る。シュツェルツは彼らに指示を出した。


「デニスとケヴィンは女官のゲルタを確保してきてくれ。彼女が何か知っているはずだ。エリファレットはここで待機。アウリールは毒を検出──」


「この毒は銀では検出されない。動物で実験でもしない限り、毒だとは分からないんだ」


 言い切ったダヴィデに、アウリールが細い眉を寄せて尋ねる。


「では、ダヴィデ殿下はなぜお気づきに?」


「液体に入れるとうっすらと白く色づくからね。それすらも、詳しい者でもない限り、気づくことはまずないと言っていい。私のお茶には毒が入っていなかったから、お茶を注ぐ前──ティーセットを用意した時にかな──シュツェルツの茶碗に毒を仕込んでいたんだろう。……ところで、そこの二人はシュツェルツに従わなくていいのか?」


 話に聞き入っていたデニスとケヴィンがハッとして、敬礼の直後に早足で部屋を出ていく。

 彼らを見送ったあとで、アウリールが語気を強めて問う。


「まさか、この期に及んで、その毒がなんであるかをおはぐらかしにはなりませんよね?」


 ダヴィデは降参したように両手を軽く挙げた。


「怖いねえ。さすがのわたしでも、そんなことはしないよ。この毒の名はモルス。口から摂取したり傷口から血液内に入ると、早くて三十分以内、遅くとも一時間後には心臓麻痺を起こして死に至る」


 シュツェルツは思わず大きな声を出していた。


「じゃあ、暗殺者たちもこの毒で……」


「そのようだね。この毒は、イペルセのバルロッツィという家の者たちが代々伝えてきた特殊な毒でね。育てるのが難しい植物から抽出される、イペルセ国内でも希少なものなんだ。外国にはまず流出しない。しかも、バルロッツィ家はこの毒を売る相手を選ぶんだ」


 アウリールが小首を傾げる。


「相手を選ぶ?」


「いわゆる『高貴な者』にしかモルスを売らないんだそうだよ。そうやって、歴史が動く様を見て満足しているんだとか、まことしやかに囁かれているが……。実際にバルロッツィ家の者に会った時、『本当か?』と訊いてみたら、何も答えずにほほえんでいるだけだったよ」


 シュツェルツは思わず顔をしかめた。


「うわ、悪趣味な上に怖い」


「まったく、その通りだね」


 苦笑するダヴィデに、アウリールが確認する。


「ああ、それでダヴィデ殿下はあの時、きっぱりと『首謀者は高貴な人物だろう』とおっしゃったのですね」


「まあね。わたしもその時点では、暗殺者たちの死因がモルスだと確信していたわけではないが」


 シュツェルツは気になっていたことをダヴィデに尋ねる。


「叔父上、暗殺者たちの短剣には、おそらく自害用にモルスが塗られていたのですよね。僕を狙った長剣にも塗られていたのでしょうか」


「多分ね。確実に君を亡き者にするためにそうしたはずだ」


 シュツェルツは急に室内の温度が下がったような気がした。もし、暗殺者たちの武器がエリファレットたちの身体を掠っていたら……そう思うだけで震え出しそうになるくらい恐ろしかった。

 毒への恐れを振り払うために、さらに質問する。


「モルスは皮膚からは吸収されないのですよね? 一体、どういう仕組みで人体に害を及ぼすのですか?」


「触れただけでは害にならないのは確かだが、皮膚からは吸収されくい、といったほうが正しいだろうね。モルスはさっきも言ったように、経口、もしくは傷口から生き物の体内に入ると、分解されていく過程で急激に毒性を増すんだ」


 ということは、直接体内に入らなければ、モルスは生き物にとって死に至る毒ではないのだ。

 シュツェルツは「あ」と呟いた。前にアウリールとした何気ない会話が鮮やかに蘇る。

 食べ物はエネルギーに変わる。薬は害にならないよう分解される。モルスはその逆なのだ。


 そうだ。あの時感じた引っかかり。それは、「物質が体内で変化するなら、毒に変わるものもあるのではないか」という仮説をおぼろげながら掴み取りかけていたからだったのだ。


「食べ物はエネルギーに変わって、薬は解毒されて排出されるのに、モルスは毒に変わるのですね」


「そういうことだ」


 甥から的を射た解答を聞いたからか、ダヴィデは嬉しそうに笑ったあとで、みなを見回す。


「説明はこの辺でいいかな? わたしは少し、アウリールと話がしたい」


「わたしと?」


「そう、君と」


 ダヴィデが頷いた時、ノックもそこそこに勢いよく部屋の扉が開かれた。デニスとケヴィンだった。


「シュツェルツ殿下! 大変でございます!」


「どうしたの?」


「女官のゲルタ嬢を発見したのですが……」


 先ほどの勢いとは打って変わったデニスの歯切れの悪さに、シュツェルツは眉をひそめた。


(まさか……)


 デニスに代わり、ケヴィンが言葉を引き取る。


「ゲルタ嬢は倒れた状態で発見されました。現在、意識不明の重体です」

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