第22話 目醒めの盃(3)




 殿下は不貞腐れたように空になった瓶を床に立て、窓の外に広がる月が大きく見える春の夜空のどこか遠くを見た。こういう動作がいちいち様になる野郎だ、狡い。でも女に振られてヤケ酒してるだけだしなぁ、やっぱりだっせぇ。


「たぶん、これは俺なりの贖罪だ」


「贖罪?」


「全てを奪ってしまったから、何でも与えたくなってしまう。その結果俺の望みが叶わないとわかっても、アイシャが幸せならそれでいいと、思えてしまうんだ」


「……じゃあ、諦めて騎士にしてやるの?」


「望むものは全て与えてやりたい。その気持ちは変わらない」


「……あのさぁ」


 殊勝な態度で独り善がりな感傷に浸る男にどうにも我慢ができなくなって、ボタンを外して緩くなったシャツの襟を掴んで引き寄せる。乱暴な行動に驚いたみたいだが、知るか。ウジウジしやがって、面倒くさい。


「アイシャはずっと、あんたの女になりたかったんだよ」


「は……?」


 呆けた間抜け顔を見て確信した。やっぱり気づいてなかったな、こいつ。


「なのにあんたがいつまでもウジウジウッジウジいらねー気遣いしてっから、待ちくたびれて騎士になるとか言い出したんだろうが」


「ウジウジって……俺は彼女のためを思って、」


「あいつを非力でか弱い悲劇の御令嬢だと思ってるなら目ぇ腐ってるから出直して来い。アイシャはな、理不尽を素手でぶん殴るような女なんだよ。お前が守ってやらなきゃいけねーほど弱くねぇし、あいつの周りにはお前だけじゃなくて俺やロイさんや、騎士団のみんながいる。難しいことなんて何にも考えなくていいから、とにかくアイシャを幸せにしろ。じゃないと……本当に俺が貰っちまうぞ、このヘタレ野郎」


 女々しい言葉ばかり並べる情けない男を前に、皇族とか不敬とかそんな体裁が吹っ飛んでしまった。


 目の前に引き寄せた紫の瞳が大きく見開かれる。そうだ、大局だけじゃなくて目の前のこともちゃんと見ろ。アイシャのためって言うのなら、そもそも気まぐれに近づくべきではなかった。もう二度と顔を合わせないってくらい徹底的に距離を取って完全に忘れさせてやるくらいの覚悟が必要だった。それなのにテメーの気持ちを抑えられずに不用意に手を出してしまったのなら、あれこれ面倒な理由作って意固地になっているあいつごと抱き潰すくらいの気概を見せてくれよ、まどろっこしい。ヤケ酒してる場合じゃないっつーの。


 俺の横暴な要求に酔いも迷いも覚めたらしい。襟首を掴む手を振りほどいて、こちらを見上げて不遜に笑ういつもの殿下がいた。


「脳筋君にやるくらいなら、泣かれても俺が手籠めにした方がマシだ」


「ハッ!言っとくけど俺は一度決めたことは曲げねぇから毎日プロポーズするからな。どーぞ指咥えて見ててください、童貞殿下~」


「お前マジで牢にぶち込むぞ。それに十三になる年に卒業したっつーの、皇族ナメんな」


「じ、じゅうさん……!?」


 砕けた口調で予想外の爆弾を被弾した。俺なんて騎士の初任給貰った十七歳の時だったのに……!皇族のエリート性教育のダメージは予想以上に大きかった。


「いやでも男は捨てたスピードじゃない、そこからの経験人数だから……」


「はぁ?回数よりも一回の濃度の方が重要だろうが。帝国一の剣士は恋人がいたことないのか?」


「う゛ぐッ……!」


 涼しい顔でとことん急所を抉ってきやがる。わかりやすく項垂れた俺に殿下は「女の口説き方、教えてやろうか?」と得意げに言い放った。は、腹立つゥ!!あんただって初恋拗らせまくってついさっき振られた癖に!


「ひ、一人の女に振られまくってやがる殿下に教わることなんて何にもなさそうですけどねぇ……!」


「シオン」


「はい?」


「シオンでいい。他人の目がなければその取ってつけたような下手くそな敬語もいらない」


 酒が残った俺のグラスを取って、フローリングの上で空っぽになっていた自分のそれに半分移す。殿下が俺に酒を注ぐ、その意味を理解して俺は唖然とした。


 こんな、廃れた酒場以下のボロい仮眠室で義兄弟の盃を交わすつもりか?本来は後見人が見守る中で皇室が管理している伝統の杯で酌み交わすことが通例のはず。つまりこれは非公式だが俺たち二人の間でのみ交わされる盟約だ。殿下の正気を疑ったが、そうだ、こいつは元々イカレ野郎だった。


「お前にみすみす彼女を譲る気はないが、お前以外の誰かに奪われるのも癪だ。それくらいには認めている」


「お、おう……」


「それに、あのクソ親父と腐れ宗教家野郎の性根を叩き直すには、テン、お前の力が必要だ。俺が描いた勝算にはお前の力量が含まれているからな」


「殿下って本当は口悪いんだな」


「シオンだ」


「し、シオン……」


 有無を言わさず呼び捨てタメ口を強制させられる。これってパワハラじゃねぇの?騎士団のホットラインってどこ!?


 冷や汗をかいている俺に、殿下……じゃなくて、シオンから半分ずつ酒を分けたグラスの片方をずいと渡された。小麦色に輝く安酒に映った困惑した表情のまま、おずおずとそれを受け取る。お澄まし野郎を酒でぶっ潰してスカッとするはずが、どうしてこんなことに……。

  

 俺の戸惑いを感じ取ったのか、シオンはいつもの意地の悪い笑みを零した。


「そんなに重く考えないでくれ。ちゃんとした義兄弟の盃はまた日を改めて……。これはそうだな、友と交わす杯ということで、どうだろう?」


「友ぉ?」


「ああ。同い年だし、身分も遜色ない。気兼ねなく語り合える年の近い友人がずっと欲しかったんだ。だから、お前で妥協してやろう」


 その不遜な物言いがシオンに友人がいないことをまざまざと証明しているようだった。こいつ、友だちの作り方知らないのか?ヤバイお友だちはたくさんいそうなのに。ルカも上っ面はいいけど腹を割って話せる友人がいないタイプで、二人が似ているなぁと思ったら段々憐れに見えてきた。殿下とか精霊士とかの前に、こいつも一人の人間なんだよなぁ……。


「……主従は勘弁だけど、友だちならいーよ」


「決まりだな」


「じゃあ俺とアイシャの結婚式で友人代表スピーチ頼むわ」


「そのまま花嫁を攫って逃げてもいいなら」


 ニヤリと意地悪く笑った減らず口のシオンとグラスを軽く合わせて、酒を一気に煽る。雑味が残る安酒が喉を焼いて腹が熱い。普段は全く酔わないのだけれど、今日に限って嫌に酒の周りが早い気がする。色々とすっきりして気分が良いからだろうか。上機嫌にカラカラと笑うシオンからは、当初の暗鬱な憂いが晴れたような清々しさが見える。今のこいつになら、アイシャを任せてもいいかもしれない。


「うっし、今日は朝まで飲み明かすぞ。おーいノース!昼間に俺から没収したウイスキー返せー!」


 隣の部屋で控えているノースに向かって大声で叫ぶ。ベニヤ板みたいなペラペラな壁は声がよく通る。数秒の内に血相を変えてドタバタと慌てて駆けつけたアイシャの副官が「護衛中なのに何で飲んでるんですかぁ!!」と喚き散らした。ああもう、あいつに似て頭が固い奴め。


 規則とか危機管理がどうのとか捲し立てる有能な副官に辟易としていると、成り行きを見守っていたシオンが「ノース」と声をかける。地べたに座って飲んだくれている皇子殿下の姿に、ノースは言葉を失って固まった。まぁ、そうなるわな。


「挽肉、明日には積み荷に混ざって届くからな」


「はぅあっ!……す、すぐお持ちします!」


 シオンの公務用営業スマイルを浴びて、あれほど口うるさかったノースが「ピューン!」と字幕が入りそうな俊足で廊下を駆けて行く。そのコミカルな動きに二人で顔を見合わせて、どちらからともなく吹き出した。ほんっと食えねぇな、こいつ。おもしれー。



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