第42話 アヌビスの天秤、嘘吐きは有罪だ


 ゆっくりと降りてきたのは二つの金色の天秤てんびんであった。それが二人の男、それぞれの目の前の高さまで来ると動きを止めた。


「き、金ピカだあ!すごく高価たかそう!」


「そうであろうな、これは純金の天秤だ」


「すげーッ!欲しいなあ!」


 アヌビスの言葉に丸刈り頭が甲高い声を上げた。


「うるせえよ。…って叩けねえと調子が出ねえ。クソッ、だけどこれで何が分かるって言うんだ」


 小男はわずかに身をよじらせる事が出来ただけで悔しそうに言った。


「その天秤、よく見てみるが良い」


 そう言われて二人は天秤をまじまじと見つめた。天秤の片方の受け皿に何やら握り拳ほどの血にまみれた何かが乗っている。それはドクドクと脈打つ見慣れないものであった。


「ん〜?何だコレ、気持ち悪い〜。なんだが動いてる〜」


「なぜだ?片方にしか物が乗っていないのにそちらが上に傾いている…。狂っているのか?何かの臓物ぞうもつのようだが…」


 二人が感想を言う。それにしても小男が言った通りその天秤は傾いている。それも物が乗っている側が上で、何も乗っていない側が下だ。天秤が狂っているのでないならあり得ない話である。


「心臓だ」


「「えっ?」」


 思いもよらぬ単語に二人が驚きの声を洩らした。


「そこに乗っておるのはお前達の心臓、神学しんがくに詳しい者ならこれをこう呼ぶであろう…。冥界神アヌビスの天秤…と」


 子犬にしか見えぬアヌビスがおごそかに告げた。



「ア、アヌビスの…」


「天秤…」


 二人組が呟いた、金色こんじきに輝く天秤を見つめながら…。


「…って何?」


 丸刈り頭が間の抜けた声で聞いた。


「…何も知らぬようだな。ならば御伽噺おとぎばなしにでも聞いた事はないか?人は死してのち、冥府で審判を受ける。復活にあたいするかを見極める為にな」


「ま、まさか…。そんな訳が…、ガキの頃の御伽噺に過ぎねえだろ…」


 小男が少しおそれを感じたような声で呟く。


「知ってはおるようだな。ではそちらの背の低い男…、心して誓うのだ。ここで見聞きした事は誰にも洩らさず、我が主…あの店の持ち主に一切の不利益となる行動はせぬと…」


「あ、ああ…。わ、分かった」


 小男がアヌビスの言葉に即座に返答した。


「…いけないのう、嘘を吐いては」


 シトリーがニヤニヤしながら言った。


「う、嘘なんて…」


「天秤を見てみよ…。どうだ、先程と変わってはおらぬか?」


「こ、これは…?さっきまでよりも傾きが急に…」


 天秤に乗る心臓の受け皿が先程よりも上に位置していた。それを見て小男は顔色を変えた。


「では…隣の丸刈り頭、心して答えよ。お前はどうなのだ?二度と誰も襲ったりせず、真っ当に生きる事を誓えるか?」


「うんッ!約束するよぉッ!」

「ば、馬鹿ッ!?お前はしゃべるなあッ!!」


 小男が必死になって止めたが丸刈り頭はすでに質問に答えていた。金色こんじきの天秤の皿が動き始める。


 すうっ…、かたぁんっ!!


 二つの天秤、その心臓が乗った片方の受け皿が上へと動き音を立てて止まった。留め具に引っかかり、これ以上は上がらない…そこにまで至ったのだ。


「ククク…。嘘はいかんのう、嘘は…。わらわには分かるぞ、しゅうてしゅうてたまらんのじゃろう?その純金の天秤が…」


「うんっ!」


 丸刈り頭が即座に返答する、天秤は動く素振りを見せない。


「その為には妾達を殺してでも…。そしてあわよくば妾達を殺さずに生かして捕えて売り飛ばせたら…などと考えているのじゃろ?」


「あれぇ?どうして分かったのかなあ?」


「お、お前…」


 丸刈り頭の男の受け答えに小男が絶望的な表情を浮かべた。


「丸刈り頭、お前は欲望にまっすぐじゃ、そのためには人に手をかける事を何とも思ってはいない。この馬鹿犬はこう問うた筈じゃ…、と…」


「うん、襲ったりしない!真っ当に生きるッ!子犬ワンちゃんに言われたからぁ!」


 がたがたがたっ!!


 天秤の受け皿はもうこれ以上は傾かない、しかしそれでも皿を動かそうとして留め具を揺らし音を立てた。


「お前はまた嘘を吐いた。我らや他の誰かをを襲う事も諦めず、物を盗む事もやめぬ…。冥府に行かずともこの場で裁いてくれる!その罪、未来永劫みらいえいごう消える事はない!」


 アヌビスが宣言するように言った。



「お、終わりだ…」


 小男が呟く。


「終わり?なんでぇ!?」


 丸刈り頭が問いかける。


「あ、ありゃあ死んだ人間があの世に行った時…、最初にその心臓を乗せる天秤だ。復活…、ああいつか生き返るって意味な。そうする価値がある人間かどうかを試すっていう道具だ。善良な奴ほどその天秤は受け皿を深く沈ませる…、そいつの心臓がより重い…。つまり生き返らせる価値があるってな」


「でも、俺達の天秤は…上がっちゃってるよぉ?こういう時、どうなるの?」


「ね、えんだ…」


「え、何がぁ?」


「俺達が生き返る事は無い、ずっと地獄で責め苦を受ける…」


「え〜!?嫌だよ、そんなの!」


「うるせえよ。俺だって嫌だ!し、死にたくねえ!死んだら永遠の地獄だ!」


 ぴくり、小男の言葉にアヌビスの耳が動いた。


「死にたく…ない、…だと?」


「ああ、死にたくねえよぉ!」


「ならばそう願った者に手をかけた事は無いのか!?答えてみよ、あるのなら即座に殺す!無いのなら助命してやっても良い。だがッ、この天秤がわずかでも嘘で動こうものなら即座にその首を落としてくれん!」


「ううっ!?あ、ああ………」


 小男は…、何も言える訳がない。正直に言っでも死、嘘を吐いても死。どちらにしても地獄行き、未来永劫の責め苦が待っている。小男は沈黙する事しか出来なかった。


「まあ待て、アヌビスよ…」


 そんな膠着こうちゃくした状況でシトリーが口を開いた。普段呼ぶ時の鹿ではなく、名前でアヌビスを呼んだ。


「む?なんだ…、シトリー?」


 アヌビスも同時に名前を呼び応じた。


「ここに来る前、なんじはこう申したであろう。と…。ならばここで首を落としてはその気持ちに逆らうのではないか?その手を血で汚しては…、のう?」


「む…」


「ここは妾に任せよ。納得のいく落とし前をつけさせてやる」


 そう言うとシトリーは再びその一対の黒い翼を広げ二人の男の顔の高さにその身を浮遊かせたのだった。


□ □ □


次回、『シトリーのミイラ』


お楽しみに

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