第25話


 ひたすら運転する今野の横で、時宗は仕事にとりかかった。

 顧問弁護士の名前は小林と書かれていた。事務所の電話番号は、時宗自身が弥二郎から受け取ったファイルに書かれていたのと同じだ。

 時宗はまず、スマホで事務所について調べた。日本橋に実在する事務所だ。かなり大手で、ビジネス関係に強い。あ~、家族関係はあんまりってところかな? じいさんがこっちに仕事を投げたのは、そのせいかもしれない。

 とにかく、架空の事務所じゃなくてよかった。

 時宗は電話をかけてみる。応対してくれた女性に、丁寧に自分のことと要件を告げ、小林の名前を出す。女性はなぜか焦ったような反応をした。

『少々お待ちください!』

 勢いよくそう言い、唐突な感じで保留音に切り替える。

 軽やかな保留音を聞きながら、待つこと5分。

 長いな。

 いるならいる、いないならいない。別な依頼人と応対中なら、後でかけ直す。それらの処理はされず、保留音がひたすら鳴っている。

 隣の今野も電話を気にしている。

「誰もいないんか?」

「わからん。事務所は実在してるし、割と大手で、弁護士本人もちゃんと在籍してるっぽいんだが……手が空かないのかな」

 流れていく景色をぼんやり眺めながら、時宗はさらに待った。景色はやはり、田舎の広々とした場所か、山や丘か、どっちかしかない。

 さらに5分。

 コールセンターじゃあるまいし、この待ち時間はおかしくないか?

 一旦切ろうかとも思ったが、時宗は根気強く待った。弁護士が対応の方法を考えているのか、あるいは依頼人に連絡を取っているのか。

 15分待って、保留音が切れた。さっきの女性が早口で話し始めた。

『大変お待たせいたしまして、申し訳ございません。小林はその、ただいま連絡がつかない状況でして、わたくしどもも現在事実確認をしているところでございます』

「連絡がつかない? 行方不明ってことですか?」

『そう……ですね。自宅の方からの話ですと、昨夜仕事の後に「これから帰る」という連絡を自宅に入れたのに、帰宅しなかったと』

 隣で、今野が唇を引き結んだ。

「つまり、夕べから自宅にも帰っていないし、今日も仕事にいらしていないと?」

『左様でございます。現在、警察と相談して行方を捜している状況でして、もし何か伝言がおありであれば、承っておきますが』

 さぁて本格的に事件になりつつある。弁護士にまで手を出すなんて、何考えてる? よほどのアホだな。弥二郎にじいさんの名前を伏せられているというのが痛い。これじゃ向こうの弁護士の依頼人の中から、じいさんの特定ができない。守秘義務でお互いに明かせない部分も多いしな。しばらく考えてから時宗は返事をした。

「小林さんが無事お戻りになられましたら、こちらに折り返し連絡を頂けますか。南探偵事務所の調査員、南時雄と申します。電話番号は……」

 番号を女性がメモするのを確認すると、時宗は電話を切った。

 いよいよもって、東京に行く以外にどうにもならなくなってきた。

『コーヒーに砂糖入れすぎんな』という弥二郎のセリフからいくと、おそらく弥二郎は事務所かマンションか、どちらかの砂糖の中にじいさんへの連絡先か何かを入れてあるはず。一言スマホに入れておけばいいものを、そんなアナログな方法で残すなんて、何を考えてる?

 この案件、単純だと思っていたが、弥二郎の回りくどい方法がどうにも気になる。根本的な部分で何か見落としがあるんじゃないか。

「弁護士もいないんか?」

 今野の声もこわばっていた。あんまり不安にさせたくないんだが……。

「昨日の夜、『これから帰る』っていう連絡を自宅に入れたんだが、その後連絡が取れなくなって、現在も行方不明だそうだ」

「そんなことって……弁護士に手ぇ出したら、大変なことになるんでないのか?」

「なるだろうな。何考えてんだか」

「急いだ方がいいんか?」

「いや、お前の仕事が最優先だ。事故ったり警察に捕まったりしたら、もっと大変なことになる。とにかく、後ろの荷物を届けるまでは、余計なこと考えない方がいいと思う」

「でもお前の叔父さん……」

「あの人は簡単にくたばったりしない。目先の感情でこの仕事をしくじったら、後でドヤされる。今野……考え事は俺がするから、お前は自分のことも、こっちのことも考えなくていい。俺の叔父のことが心配なら、まずお前自身が確実に仕事を終わらせることに集中しろ。東京のどこに届けるんだ?」

「四ツ谷の……アパートだ。普通に届ける」

「そうか」

 四ツ谷から、追手をまいて五反田の事務所まで行きつけるだろうか。もしどうしてもダメなら、車を捨てて電車でまくか。

 時宗と同じように考え事をしている様子だった今野が、しばらくして口を開いた。

「ここまで来たら、全部教えとく」

「全部?」

「こっからの予定だ。まず、群馬の館林インターで一度高速を下りる。見張ってる連中も知ってるはずだから、襲われたりはしねぇと思う。館林に、いっつも俺が頼む整備工場があんだ。そこでタイヤ取り換える」

「あ、そうか……この車、スタッドレスなのか」

「ん。東京の中をスタッドレスで走りたくねんだ」

「なるほどね」

「雪がひどかったらそのまんま抜けて東京行くんだけど、今回は全然ないから、タイヤ替える」

「どのくらいの時間配分なんだ?」

「多分、夕方5時半ぐらいに工場向かって……今回は頼みこんで、できるだけ速くしてもらうようにすっから、1時間ぐらいかな。セッティングちょすのは諦める」

「わかった」

『ちょす』ってなんだ? とは思ったが、時宗はとりあえずうなずいた。落ち着いたら聞けばいい。

 今野はほんのわずかスピードを上げた。警察がいないタイミングで少しずつ時間を稼ぐ算段らしい。柔らかい加速だった。

「それで、タイヤ交換が終わったら、また高速に戻って、首都高使って四ツ谷行く。そんで、受取人のアパートに届けたら終わり。いつもなら、その後どっかのビジネスホテルに泊まって、またおんなじ道で帰る」

「……だけど」

「あぁ。お前の叔父さんと弁護士さん助けるってなったら、見張ってる連中はオレを追っかけてくる。もう札幌には帰れねぇ。……どうせもう後戻りはきかね。金あったって、なくたって足抜けできね。帰っても逃げても殺される。……だったら、せめて2人を助けられたら、もうそれでいい」

 今野は唇を引き結び、真っすぐ前を見据えていた。遥かな旅。知恵を使う危険な旅。そして……二度と帰らない旅。

 自分のためじゃなく、誰かのためにお前はそれを覚悟するのか。

 目元に凛々しさが漂っていた。

 時宗はその横顔を眺め、実感した。俺も、もう戻ることはないだろう。

 お前にまだ会っていなかった世界には。

 時宗は今野と一緒に前を向いた。どこまでも続く道を、青く美しい車は駆けていく。

「叔父を取り返して全部片づけたら、約束だ。ほとぼり冷めるまで、お前は俺のうちに住んでりゃいい。最後まで俺はお前から離れないからな」

「さっきも聞いたけど、なんで……そこまでしてくれんだ?」

 今野の問いに時宗は微笑み、呟くように答えた。

「お前が、好きだからさ」

「そっか」

 ふふ、と今野が笑った。

「友だち認定できるように、オレ頑張るわ」

 あぁ、そうしてくれ。ベッドは貸してやる。俺はリビングのソファーで寝るから。



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