第18話


 ひやりとした感触がいきなり胸に触れて、時宗は飛び上がった。

 なんだ? なにがどうした?!

 変な声を出しながら、無理やり目を開ける。ふよふよした髪の毛が顔や首に当たり、くすぐったい。

 何が起こったのか全然まったくわからないのだが、今野が時宗のベッドに潜り込んでいた。時宗の胸で丸くなり、すうすう寝ている。

 ちょっっっっと待て。

 待て。

 え~とこれは。

 どういう状況だ?

 なんとか首を動かしてヘッドボードを見る。時間は3時に近かった。部屋の電気は落とされていて、入口近くの小さな灯りしかついていない。今野はシャワーの後、一応電気を消して自分のベッドで寝る余裕はあったらしい。

 今野の体はけっこう冷えている。寝ている途中で起きだして、トイレかなにかで眠り込み、寒くなって戻ってきたというところだろうか。いつもひとりだから、目についた近い方のベッドに寝ぼけて潜り込んだんだろうと時宗は見当をつけた。

 で?

 状況を分析したって変わらない。今野は時宗の胸に頬をくっつけて眠っている。体が冷えているのが布越しに伝わり、時宗は危うく抱き締めそうになった。

 まずい。これはまずい。

 今野は多分ノンケだ。時宗が、この柔らかい髪の毛に顔を突っ込みたいと思っているなんて考えもしてないはず。

 どうすんだどうすりゃいいんだ。

「あ、あの……今野クン?」

 おそるおそる声をかけてみる。深い寝息。

 やばい温かい吐息が胸に当たる。わざとやってんじゃないだろうな? 寝たふりだったら殴るぞ。

「お~い、キミのベッドはあっち……なんですが」

「んん……」

 おおう可愛い声出すな時宗くんの時宗くんが覚醒する。

 丸太のように固まったまま、時宗はこれでも必死だ。

「あの、今野ク~ン……今野海斗クン、よかったら……起きてもらえませんかね」

 時宗のささやきに応じるようにもぞもぞ動くと、今野はさらに背中を丸めて時宗の胸に潜り込んだ。安心したような溜息を漏らしている。

 その子どものような仕草に、時宗は不意に胸が苦しくなるほどの愛しさを感じた。自分以上に、今野はずっとひとりだったんだ。ベッドが2つある状況なんか馴染みがないほどに。それなのに時宗に違和感を抱くこともなく、信頼しきった仕草で熟睡している。それは時宗にとって無条件に可愛いと思えた。

 この案件が終わってからも、その、付き合わないか?

 頭の中で会話をシミュレーションしながら、おそるおそる左手を伸ばし、肩を抱いてみる。今野の体が冷えているのは嫌だった。自分の腕の中で、ぬくぬくと体を緩めて欲しかった。

 ただ……。

 突然のことでですね。今野クン、キミは俺の右腕の上で寝てるわけなんですよね。しかもあの、キミの手がですね。2人の体の間でひじょ~にびみょ~な場所にありましてですね。

 そろそろと右手を今野の体の下から引き抜く。全然目を覚ます気配がない。

「……海斗?」

 そおっと名前を呼んでみる。やっぱり反応なし。今野の体からは、しっとりと優しい匂いがしている。左手を今野の頬に当ててみる。あったかくなってきた。これ……仰向かせて寝顔覗き込んでも起きないんじゃね?

 え~と。え~。

 やめたほうがいい。

 顔を見たら、俺はきっと唇に触りたくなる。触ったら、味わいたくなる。

 今野の唇ってどんな感じなんだろ。

 びくんと全身が跳ねた。今野! 指先動かすなそこはマズい完全にそこはマズい俺のナニに何か起こるヤメロ。

 息を詰め、それから細心の注意を払って深呼吸する。大丈夫だまだ引き返せる別なことを考えるんだ何か……。

 今野の手が、ぬいぐるみを抱くみたいに、するりと時宗の腰に抱きついた。

 その瞬間、時宗は転げ落ちるようにベッドを抜け出し、なりふり構わず逃げだした。

 バスルームに飛び込み、真っ暗でビビり散らす。外に手を出して電気をつけ、なけなしの理性で静かに閉めてから、ドアに寄りかかってずるずると座りこむ。

「……は~」

 つっかれた。髪の毛に手を突っ込んで、頭を抱え込む。

 危ないところだった。明日も……っていうかあと数時間なんだが、東京に向かって一緒に出発しなきゃならないのに、もうちょっとで全部吹っ飛ぶとこだった。

 ぼんやり天井を見上げる。

 髪の毛、柔らかいんだな。

 ゆっくり梳いてみたかった。猫みたいに。穏やかに。腕の中に今野を抱き込んで、優しくて哀しい目を覗き込みたい。唇はきっと柔らかくて……。

 盛大に溜息をつく。

 こんなところで妄想してたら風邪ひく。

 それでも、時宗は自分の体が鎮まるまで、しばらく黙って座り込んでいた。

 自分が男相手に恋愛感情を抱くと気づいたのは、いつからだっただろう。家庭教師のひとりが最初だったように思う。繊細な首元に、ざわりと心が揺れた。優しそうに笑う人だった。時宗が自分の感情を自覚する前に、彼もいなくなった。次は学校の同級生だった。でも少し仲良くなったところで、そいつは媚びるように時宗に「お前のうちってあれだろ? 今度遊びに行ってもいい?」と言った。

 昔のことなんか思い出したって意味ない。色々鎮めるにはよかったかもしれないが。

 しゃあない。向こうのベッドで寝るか。

 立ち上がり水を一杯飲むと、時宗は静かにバスルームを出た。奥に向かいながら今野を確認する。さっきまで時宗が寝ていた場所で、今野は掛け布団にくるまって寝息を立てている。

 規則正しく布団が上下するのを尻目に、時宗は最初に今野が寝ていたベッドに潜り込んだ。

 暗い顔で考える。

 どうせ今野も、本当の俺を知れば変わる。それに一件落着すれば札幌に戻るだろうし。そもそも今野は多分ノンケだ。

 とりあえず寝よう……。こういう時は考え事なんか無意味だ。

 ベッドには微かに今野の匂いが残っていたが、時宗はそのまま、大音量のアラームに叩き起こされるまで死んだように眠った。



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