第52話 妖精王の復讐
ルーちゃんが学園を去ってから数日後、私はひとりでロビーのソファーに寝転がっていた。
まだ陽は高く午前中だ。今日は休日でも無いのになぜこんな時間から開放ロビーにいるかと言うと、もちろん授業をサボったからである。
セバスチャンがいれば叱られたかも知れないが、今はいない。実家のお父様から緊急で呼び出されてしまいルーベンス家に行っているのだ。どうしても何がなんでもセバスチャンだけ1回戻ってきてくれと懇願され、仕方なく了承した。
すぐに戻ってくるとは言っていたけど今はお父様が恨めしい。
「あー、疲れた……」
あの断罪事件が終わってからあからさまな派手ないじめは無くなった。が。
歩いていると足元に棒を引っかけられる、ノートのページの端がすべて折られてる、机の中に薔薇の花びらがぎっしり詰め込まれてる。等々の地味ないじめが増えた。
棒は逆に踏みつけてやったし(真っ二つに折れたが)、ノートも別に折り目を広げれば問題無いし(ちょっとワサッとするけど)、花びらは全部ポプリにしてやったらあの縦ドリルがめちゃくちゃ睨んできたからやっぱり犯人はカルディナだろう。
しかしこの数日の間ずっと続いていて、さすがにちょっとイラッとしてきたのである。
何よりあのルーちゃんを糾弾したクラスメイト……レイラがやたらとまとわりついてくることが最大のストレスだ。
何かにつけては私の所へ来て「ルチア様に捨てられたかわいそうなアイリさん」だの「あの執事さんに入れ込んでも本気で相手をされるわけない。だってあの方は仕事だからアイリさんの執事をしているんでしょう?」だの「次は自分の立場と鏡をよく見直してから友人を選んだ方があなたのためよ」だの、それはそれはしつこく言ってくる。
最初は聞き流していたがあまりのしつこさについ「あなたには関係ないからかまわないで」って言い返してしまったら「酷い!アイリさんの事を想って親切にしたのに!」と大勢の前で泣き出してしまい、私には“いじめから助けてもらったのに恩を仇で返す奴”みたいなレッテルが貼られてしまった。
そんなクラスメイト達からの批判的な視線と縦ドリルのニヤニヤした顔に耐えきれなくて教室にいるのが辛いので逃げ出してきたのである。
セバスチャンにくれぐれも注意するようにひとりにならないようにと言われたけど、居心地の悪さが半端ないのだ。どの世界でもいじめというのはほんとに鬱陶しい。
「もうほんと無理……」
クッションに顔を押し付け、深いため息を吐いた。
「なにが無理なの?」
「そりゃあのネチネチしたいじめが……」
思わず返事をしてしまってから自分を覗き込んでいた相手に気づき、持っていたクッションを投げつけた。
「近寄るな、痴漢男!」
クッションを難なく避け、ミルク色の髪が私に近づく。金色の瞳が楽しそうに細くなった。
「名前教えたろ?ニコラスだよ。ニックって呼んでごらん?」
「絶対呼ばない。私に近寄らないで」
「俺の可愛いリリーは恥ずかしがりやだ……いぃってぇ!?」
痴漢男改めニコラスはそっと私の頭に触れた途端、叫んで手を引っ込めた。その指先には歯形がハッキリとついている。
私の後頭部から『ぎゅいぃっ』と歯軋りのような音が聞こえた。
どうやらナイトが噛んだようである。(最近のナイトは苛立っていた)ニコラスはその歯形を見て、楽しそうにまた目を細めた。
「クックックッ、なんか面白い護衛連れてんじゃん?」
「……私に触ろうとしなければなにもしないわ」
バレッタが噛みついたことに対しては何も言わない。しかもなんでか楽しそうだ。噛みつかれた指をプラプラさせながら「ふーん?」と金色の瞳でじぃっと見てくる。
改めて見るとこの金色の瞳がちょっと苦手だ。もちろん珍しい瞳の色ではあるが、何かもかも見透かしてくるような感じがした。
「んで?いじめられてんだ?」
「……ちょっとね」
私はニコラスが立ってるのとは反対側に体を寄せる。ソファーのギリギリ端っこで三角座りをした。
「そんなに警戒しなくても襲わないよ?」
「この間襲ったでしょ。痴漢には近づかないようにセバスチャンに言われてるの」
「……あの執事か。そういえば執事といかがわしい関係だって噂があったけど本当なわけ?」
「まだいかがわしくはないけど、将来はいかがわしくなる予定よ!だからあんたみたいな痴漢男に運命なんて微塵も感じないの!」
ニコラスはまた「ふーん?」と私を見つめ、小声でボソッと何かを呟く。
「……俺のライバルキャラって執事だったっけ?」
「え?」
今なにか、引っ掛かる
「いや、俺を警戒するなら
『きゅいっ』
ナイトの鳴き声と同時に後ろを振り向くと、少し離れた壁際に人影が見えた。それは最近の私のイライラの原因でもあるレイラだった。
でもなんだか様子がおかしい。足はフラフラしているし、目は見開いていて口元はヘラヘラと笑いながら涎を垂らしている。
「なんだあれ、知り合い?」
「……一応クラスメイト。私が授業サボってる原因」
「ふーん?」
レイラは私と目が合うとカクンカクンと膝を曲げながら近づいてくる。なにかぶつぶつと言っているが、近づくにつれそれがハッキリと聞こえた。
「……憎い、お前のせいだ。お前がいるから……にくい、にクイ、ニクイ」
さっきまで私を見ていたはずの瞳は白眼になり、口がガバリと大きく開いた。
「オマエガキエレバイイノニ!」
その口の中からにょきりと蔓が伸びてきて、小さなつぼみをつけた。
「なに、これ……」
「人間じゃないことだけは確かじゃないか?」
ニコラスはピュウッと口笛を吹いた。だから、なんで楽しそうなんだ?
突っ込みたいがそれどころではない。そうこうしてる間につぼみがウズウズと花びらを動かし花開くと、その花の中央には……レイラの顔があった。
人面花は叫ぶ。まるで黒板を爪で引っ掻いたような金切り声が響いた。
「アイリガイルカらアノカタハワタシヲみナイ!コドクコソガアのカタノウツクしサナノ二、アイリノセイデキゅウキョク二ウツくシクナレナイ!
ダカラワタシガルちアサマヲウツクシクすル!」
ルーちゃんを孤独にし追い詰めたのは自分だと、そのために誰を利用し何をしたかをひたすら叫ぶ。
自分が1番ルチアを愛していて、1番輝かせることができるのだと豪語しゲラゲラと笑いだしたのだ。
人面花はどんどん大きくなる。その度にレイラの体は痩せ細り、まるで水分を失った草のように枯れていく。
人間くらいの大きさになった人面花は私をギロリと睨むと、殺意を含んだ視線と共に勢いよくその蔓を飛ばしてきた。
『きゅい!』
ナイトがバレッタの姿のまま私の前に出てきて蔓を弾こうとしたが蔓に巻きつかれた部分がぐしゃりと潰されてしまった。
『ぎゅっ……いっ』
「ナイトぉ!」
私がナイトを助けようと手を伸ばすが、ニコラスが私の体を抱き締めて引き離したせいで指先がかすっただけで届かなかった。
「ちょっと離してよ!」
「それは無理なお願いだな」
人面花から新たな蔓が飛んでくると、ニコラスは私を抱き締めたまま高く跳んだ。それは、普通の人間が人を抱えたまま跳べるような高さではなく、耳元に聞こえた小さなうなり声に思わず視線を動かすと、ニコラスの口の端から数本の牙が覗いてみえた。
それは見慣れた吸血鬼の牙とは違う、まるで野生の……。
「やべっ……、リリーの匂いと感触に興奮してきた」
空中を跳びながらニコラスがペロリと舌舐りをする。私を抱き締める腕にさらに力を入れると、耳元に唇を寄せた。
「ちょっと味見させがぼぉっ!?」
『ぎゅい――――っっっ!!』
ニコラスが口を開いた瞬間、変形したバレッタの姿のナイトがニコラスの口の中に突進してきたのだ。
「げほっ!うげっ!なにすんだよ!」
『ぎゅいっぎゅいっ!』
ニコラスの手が私から離れ、口からナイトを吐き出すと暴れるナイトを乱暴に掴んだ。だが、ニコラスから離れた途端私は浮遊力を失いそのまま下へ落下してしまった。
「お、おちっ……!」
しかし、真っ逆さまに落下していた私の体は今度は優しい浮遊力に包まれたのだ。
「アイリ様は私が目を離した隙にトラブルに合うのがお好きですね?」
そこには私をお姫様抱っこしたセバスチャンがいて、ふわりと床に降りた。
「セバスチャン!」
「旦那様がうっとうしくて遅くなりました。で、なんでストーカー痴漢男や人面花なんてものに襲われているんです?
あれほど注意するように言っておいたのにもうお忘れですか」
「えっと、それはその……」
「あんな痴漢に抱き締められたりしたら……減りますよ?」
「減らねぇよ!執事のくせに肝心な時にいないから、俺がリリーを守ってたんだよ!」
セバスチャンがチラリとニコラスを見た。
「アイリ様を守りたいならその人面花を抱き締めて動けなくしていれば良かったんです。……匂いと体の感触に興奮しすぎてあれだけ隠していた本性が出てきていますよ?」
ニコラスがはっとして自分の口元を手で隠す。そして掴んでいたナイトをセバスチャンに投げつけてくる。セバスチャンは私を片手で抱いたままナイトを受けとると、私の体の上に置いた。
「ナイト……」
バレッタの金具部分は半分とれかけて、本体もぐしゃりと変形している。
「この状態のナイトは丈夫になってますから、大丈夫です。ナイト、よくやりましたね」
『……きゅー……』
私は「ありがとう」と呟き、ナイトを両手でそっと包んだ。
「……で?その人面花とやらはどうすんだ?」
人面花に目をやると、自身の蔓でぐるぐる巻きにされ身動きが取れずに芋虫のように蠢いていた。
「これはすでに人間ではありません。人間としての部分が死んで妖精の花が咲きましたからね。
だが妖精ではなく、人面花になってしまった。どのみちもうすぐ枯れます」
セバスチャンの言葉通り、人面花は急速に萎びていった。「コロシテヤル」と最後に呟き枯れた。
すると、枯れ果てた人面花から手の平くらいの黄緑色の光が飛び出してきたのだ。
「おっと!」
ニコラスがその光を掴むと、床に叩きつけて足で踏み潰す。「ギャア!」と悲鳴が聞こえ、ニコラスが足をどかすとそこには小さな羽の生えた芋虫が潰れて死んでいた。
「やだっ……」
その虫は妖精王の顔をしていた。
「こんな姿になって人間にとりつき、人間の憎悪を増殖させていたようですが、自分の意思があったかどうかわかりませんね?」
「どうせ“憎い”って感情だけが暴走してこの人間の感情に引き寄せられたんだろ?愛しさ余って憎さ百倍ってやつで、リリーを憎んでいたこの人間の感情がそれを取り込んで同化して妖精王の力も使い放題。
まぁ暴走しすぎて人面花になって枯れたわけだけど」
セバスチャンがニコラスをまたチラリとみる。
「痴漢の分際で、よくお知りですね?」
「失礼なやつだな。もう俺の正体わかってんだろ?吸血鬼さんよ」
ニコラスが口元を隠すのをやめニヤッと唇をつり上げると、さっき見た牙がまた見える。
それは吸血鬼とはまた違う、野生の狼のような犬歯だった。
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