第74話 失われた図面

「アミル!」


 ライオネルに続いて、アミルの部屋にやってきたのはレオンハルトだった。

 しかしアミルは、そんなレオンハルトの呼びかけに、一瞬答えることができない。マリアンヌへの教育を行っていた期間、実際の作業ができない代わりにと毎日遅くまで描いては修正し描いては修正してきた図面――それが、失われているのだから。

 アミルは、ことゴーレム関連の記憶力には自信がある。

 ゴーレムの部品、寸法、方式、魔術式、制御術――細かい部分は色々あるけれど、数字まで暗記しているものだって珍しくない。

 そんなアミルにとって、大切な図面の場所――それを、記憶違いするわけがなかった。


 つまり、昨夜までは間違いなく、図面はテーブルの上にあったはずだ。

 それが今、部屋のどこにも見当たらない。


「……レオンハルト、様」


「マリアンヌのこと、聞きました。アミル、何か盗まれているものとか……」


「……」


「アミル?」


 レオンハルトの、心配そうな声。

 あまりの衝撃に頭が活動停止をしそうになっていたが、改めて現状を理解した上で、顔から血の気が引くのが分かる。

 とんでもないことが、起こってしまった――。


「わたしの……わたしの」


「アミル、まさか何か……!」


「わたしの、図面が……」


「――っ!」


 レオンハルトが、目を見開く。

 極めて短い言葉だったけれど、どうやら伝わったらしい。

 ゴーレム師にとって図面とは、決して流出してはならないものだ。自分だけが知っている技術もあるし、自分だけにしか作ることのできない機構というのも存在する。つまり知的財産なのだ。

 それに加えて、難しい技術を必要とするゴーレムの場合、下手なゴーレム師が作ることで粗悪品が世に出る可能性もある。それこそ、アミルがひたすら威力の調整をし続けた『ロケットパンチ君』の機構だって、弄ろうと思えば屋敷を一つ破壊する威力で作ることができるだろう。

 それがもしも、テロリストにでも渡ってしまったら――。


「盗まれたのは……図面だけですか?」


「……わかりません。ただ、工房にはいつも鍵をかけていますから、工房には入られていないと思います」


「でしたら、図面だけですか……一応、工房の中も確認しておいてください」


「……はい」


 レオンハルトにそう言われ、アミルは覚束ない足取りで工房の入り口へ向かう。

 常に、アミルが中にいる間は内側から、アミルが外にいる間は外側から鍵を掛けている工房は、機械式の錠前と魔術式の錠前の二つから成り立つ鍵だ。

 そのどちらも開けられていないことに、ひとまず安堵する。


「……工房には、入っていないようです」


「でしたら、まだ良かったですね……ただ、誤算でした。まさか、これほど早く行動を起こすとは」


「えっ……」


 レオンハルトの言葉に、アミルは思わずその顔を見る。

 まるでその言い方は、最初からマリアンヌのことを疑っていたような――。


「僕は、あまり人を信用しない性質なんですよ。マリアンヌはまだ我が家に勤めて短い期間ですし、正直、疑っていました。まるで、アミルにすり寄るかのようにゴーレムに興味を持っていましたからね」


「……」


「ただ、あまりに無策ですね。どうやら、僕が疑っていたことには気付かれていなかったようです」


 状況の整理が追いつかない。

 マリアンヌが最初から怪しくて予想通り逃げて、レオンハルトはそれを予期していて疑っていて――つまりどういうことなんだ。


「ライオネル、今日カロリーネは」


「は、はっ。カロリーネは出勤しておりまして、本日はキッチンの掃除を……」


「呼びつけて、今日の側仕えはカロリーネという形にしろ」


「承知いたしました」


 そう命じて、レオンハルトは覚悟の籠もった眼差しで、アミルを見る。

 そして、告げた。


「アミル、着替えてください」


「へ……?」


「王宮へ向かいます」


 そう。

 前後の文脈も分からない、謎の言葉を。















 王宮。

 ここに来るのは、三度目だろうか――そうアミルは思いながら、馬車から降りる。

 今日も今日とて、荘厳な雰囲気のある宮殿だ。正直、アミルが片田舎でゴーレムを作り続けていた限り、縁の無かった場所だろう。

 レオンハルトは馬車を降りるアミルの手を取り、その上でアミルから半歩ほど前を歩いてくれていた。


「……マリアンヌは、最初から」


「ええ。ですので、監視の目は常に光らせていました。保険のつもりだったんですけどね」


「そう、だったのですか」


 道中で、レオンハルトから事情を聞いた。

 最初から、レオンハルトはマリアンヌのことを疑っていたらしい。だが、その理由がいまいち掴めなかったのだそうだ。

 アミルからゴーレムの技術を学び、未だ婚約状態にあるアミルの代わりに、レオンハルトの妻におさまろうとした――その可能性が高いと睨んでいたらしいが。


「……しかし、監視もつけておくものです。僕だけでも警戒しておこうと考えていただけですが、こうして足取りも追えますからね」


「申し訳ありません……わたしが、信用してしまったせいで」


「アミルのせいではありませんよ」


 レオンハルトは、そう優しい言葉をかけてくれる。

 だがアミルからすれば、心穏やかにはなれない。マリアンヌについて一つも怪しいと思うことなく、持てる技術をしっかり教えて、決して流出させてはならない図面を奪われているのだから。

 宮殿へ続く階段を上り、門の前で衛兵に止められる。


「レオンハルト・エルスタット侯爵、ならびに妻だ。ミシェル殿下にお目通りを願いたい」


「少々お待ちください。確認してまいります」


 レオンハルトの言葉に衛兵の一人が去り、そのまま王宮の中へと去ってゆく。

 以前にやってきた二度は、呼びつけられる側だったから手続きもスムーズだったが、こちらから訪ねるとなれば確認が必要になるのだろう。

 不安に足が震えてきたアミルの頭に、ぽん、とレオンハルトの大きな手が乗る。


「大丈夫ですよ、アミル」


「……レオンハルト、様」


「僕が全部、上手くやりますから」

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