第33話・研究者ケヴィン3

 お行儀が悪いですわ、とマーサによってテーブルから抱き下ろされたトラ猫は、定位置でもあるベルの隣の席へ移動すると、素知らぬ顔で毛繕いを始めた。後ろ足を上げて丁寧に腹毛を舐めている姿を黒髪の研究者は珍しそうに眺めていた。


「見た感じでは、竜を討伐するほどの力があるとは思えませんね」

「でも、とても強いのよ」


 ケヴィンの反応に、ふふふとおかしそうに笑って、ベルはティグの丸い頭を撫でる。ゴロゴロと喉を鳴らしながら、猫はその手に自分からも頭を擦り寄せていた。


「よく慣れておられますね」

「この子は、父と共にシュコールの街で生活していたことがあるから、他の子達よりは人懐っこいのよ」


 他にも後5匹居ると聞いて、俄然興味を示していた研究者だったが、ティグ以外の猫が出てくる気配はない。だからと言って、ベルは無理に探し出して連れてくるようなことをするつもりもなかった。あくまでも、猫達の意志を尊重する。


「そう言えば、新しいお弟子さんを入れられたという噂を耳にしました。猫に驚かれたのではないですか?」

「そうねぇ……」


 レイラが猫達に出会った時の反応はどうだっただろうかと思い出して、首を傾げた。少なくともケヴィンよりは驚かなかったような気がする。マーサの時もそうだったが、事前の知識がほとんど無ければ、幻獣だろうがすんなりと受け入れられるのだろう。


「そうそう。その子に今、先生の研究書を読んでもらっているのよ」


 休憩時間の読み物として渡したことを思い出すと、少しばかり悪戯めいた顔で微笑む。とても読書家で、以前の研究書も読み切っていたことを話すと、ケヴィンはとても嬉しそうに言った。


「それは是非とも、感想を伺いたいですね」


 研究者として公に発表した物への読者の反応は気になると、ケヴィンは気持ちばかり身を乗り出した。世話係が休憩室へとレイラを呼びに向かった後ろ姿をにこにこと見送る。


「やはり、お弟子さんも高魔力をお持ちなのでしょうか?」


 森の魔女の弟子に志願するくらいだ、強い魔力を保有しているのだろうと誰しもが思う。けれどベルは首を横に振って見せた――とても誇らしげな顔をして。


「森の魔女の弟子は、魔力の多さで勤まるものではないわ」

「なるほど」


 すっきりと髭が剃られた顎を撫でて、研究者は感心した声を漏らした。確かに、この魔女に付いて行くには魔力量などとは別の技量が必要なのだと思えた。

 マーサに連れられてホールに入って来た赤茶色の髪の少女は、両手で大事そうにケヴィンの書籍を抱えていた。魔法の師に促されて隣の席に腰掛ける前に、初めて出会った学者風の男へと緊張の面持ちで頭を下げる。


「先生が、その書籍の感想を伺いたいそうよ」


 言われて初めて、客人が著者本人だと気付いたのか、レイラは目を丸くして書物とケヴィンとを見比べていた。


「あ、えっと……」

「簡単で構いませんよ。あなたの迷い人に対する印象を教えていただきたいだけなんです」


 普段は学舎で子供達を相手に指導しているケヴィンは、レイラに対しても生徒へ接する時と同じトーンで話しかけた。


「猫は――聖獣が居るのは分かっているんですが、異なる世界というのは少し理解できないというか――」


 読んだばかりの書籍の内容を頭の中でぐるぐると巡らせ、レイラは自信なさげに答えた。書籍の中では迷い人を祖先に持つと書いていた、目の前に座る研究者は特に自分達と同じ人種に見えるし、異なる世界の遺伝子を持っているようには見えない。


「迷い人という存在は信じがたい、ということですか?」

「はい……これまで聞いたこともなかったので」


 なるほど、と胸の前で腕を組んで頷いているケヴィンは、穏やかな視線をレイラへと向けた。偽りのない、至極一般的な反応に満足しているようだった。


「学舎でも習いませんし、聖獣のように経典に載っている訳でもありませんからね」


 深く掘り下げて学んだり研究した者がその呼び名を見聞きしたことがある程度だ。そのくらい、異なる世界からの訪問者については認知されていない。


「迷い人とこの世界の人間の見た目の違いはほとんどありませんしね。私の祖先のように魔力の無い者もいれば、アナベル様が認められるくらいの高魔力をお持ちの方もおられましたし」

「えっ、ベル様、迷い人に会われたことがあるんですか?」


 驚いて隣に座るベルの方へと振り向いたレイラに、森の魔女は首を傾げた。確認するようにマーサの顔を伺うと、世話係は静かに首を横に振っている。


「話したこと、なかったかしら……?」

「?」

「以前にここで一緒に暮らしていたのよ。少しの間だったけれど」


 そう言われて思い浮かんだのは、二階の階段を上がってすぐ手前の部屋。魔石のはめ込まれたブローチが大事そうに飾られた部屋を使っていたのは、異なる世界からの客人だったのかと、驚きと同時に少しだけ納得した。


「ティグ達の子供も一匹、一緒に付いて行ってるのよ」


 三毛のオス猫だったから、向こうではとても珍しがられているらしいわ、と優しい目で懐かしそうに森の魔女は語った。

 マーサからは遠い国に居る人とは聞いていたが、異世界の迷い人のことだとは想像もしなかった。そして、ずっと4兄弟だと思っていた子猫達が本当は5兄弟だということも初めて知った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る