第22話
昼食をとった僕たちは、それからしばらく館内を見て回ることにした。席を立つころには、あのざわつきは収まっていた。
二時間ほどの鑑賞を終え、二人とも一通り満足できたところで退館し、駅の方に向かって帰路を辿った。
午後三時の太陽は燦々と地面を燃やしており、靴越しでもアスファルトの熱が伝わってくるようだった。とても初夏とは思えない気候に、もう少し館内で待つべきだったかと後悔の念が浮かんでくる。相反して、佐紀は元気だった。どうやら彼女は夏に向いているらしい。
当の駅に着いても、次の電車までは二十分ほど時間が空いていた。別に珍しい話じゃない。田舎の電車なんてこんなものだ。
佐紀の提案で、ひとまず駅近くのスーパーに逃げ込んだ。自動ドアの隙間から漏れる冷気を浴びると、あまりの気温差に軽く鳥肌が立った。
どちらかともなく、アイスでも食べて電車を待とうという話になった。
「一つは多いなあ」と佐紀が言い、僕も同意見だったので二つ一組になっているものを買って二人で分けた。昨日、彼方さんと食べたものとは違い、ソーダ味だった。
じりじりと唸り声をあげる地面を横目に、駅のホームの陰に隠れてそれを食べつつ、先の美術館について簡単な感想を言い合ったりした。
お互いの素人論評をいくつか交わしているうちに電車は来た。行きと比べると半分ほどの乗客数で、僕たちはなるべく後ろの席に座った。
さっきのスーパーとは違い、電車内は適温に保たれていた。心地がいい反面、程よい疲れがじわじわと表面化していくのを感じる。何駅とない道のりだが、今にも瞼が落ちそうだった。
「そもそも、なんで佐紀は僕と話したかったの?」
車窓から流れる建物を数えるように見ている彼女に、僕はなんとなく気になっていたことを口にする。理由なんてなんでもよかったのだけど、でも確かに引っ掛かりを覚えていた部分だった。
あのとき、佐紀は欠席者へのプリント配りだなんて口実を掲げていたものの、彼女がそんなものに進んで手を挙げる人種じゃないことは分かりきっている。なんで相沢佐紀は僕と話したがったのか、僕のどこを見て、分かり合えると思ったのかが気になった。
「ええっと」
佐紀は考え込むように目を瞑った。もしかすると、本当に大した理由なんてなかったのかもしれない。
ただ同じ教室で同じように日陰にいた人間への親近感というか、とにかくそんな直感的理由なのかもしれない。
無理して考えなくていいよ、と言いかけた瞬間、佐紀の目が僕のことをまっすぐに見つめた。
「好きだから」
彼女の発言の、その意味を理解するまでに数秒を要した。そしてじわじわと湧いてくるのは、おびただしい数の疑問符だった。
なんで。自分に好意を持ってくれているという女の子に対して、そんな失礼なことを思ってしまう。
「なんでか分かんない?」
僕の反応を予期していたかのように佐紀が訊ねる。
「……正直、分からない。僕と君が話し始めたのはつい一昨日の話だし、その、」
僕なんかを好きになる理由がどこにある? そう言いかけて、やめた。
「そうだね。でも、私はそれよりもずっと前から、君のことが好きだった」
「だから、なんで」
「教えてほしい?」
佐紀の顔がぐっと近くなる。
「遥くんは本当に、教えてほしいと思ってる?」
額から汗が滲んでくるのが分かった。同時に、乾いた喉が張り付いて息がしづらくなる。
危険予知というか、彼女のこの問いの裏には、勿体ぶるだけの何かがあるのだと、僕の本能が確信していた。
でも、聞かなければならない。そう思う気持ちも本心だった。
「うん」
なんとか絞り出した僕の肯定を、また佐紀は予め知っていたかのような頷きで返した。
「じゃあ、降りてから。ちょっとだけ疲れちゃった」
そう言うと、彼女は窓に頭をもたれかけて目を瞑った。
十分もしないうちに、電車は最寄りの駅に着いた。佐紀は降車案内が始まる直前まで目を瞑っていた。
「佐紀」
「ん、着いたね」
のんびりとした動作で伸びをした彼女は、さっきまでの会話の内容を一切感じさせない、余裕を含んだ表情をしていた。あまりにも力んでいないその様子に、こちらが気後れしてしまう。
電車を降りてからしばらく、僕も佐紀も口を開かなかった。
「あ、そうだ」
なんとなく僕の家の方角へと歩いていると、突然、佐紀がその場で立ち止まった。
「どうしたの?」
「今日さ、私の家まで送ってほしい」
「別にいいけど、急だね」
「急に思いついたの。もしかしたら一人で帰ると危ないかもなって」
まだ夕方だし、この辺りは住宅街で人の目もある。彼女の言っている危ない事象とやらが起きる気配はまるでなかったが、おそらく彼女の目的はそこではなく、さっき言いかけていたことを話す上で、僕が彼女の家までついて行った方が都合がいいのだろう。
僕は彼女の提案を了承した。
「ありがとう。じゃあ、こっち。私の家、真反対なの」
佐紀は踵を返し、今来た道のりを指さした。
「てっきり少しは近いのかと」
「そんなに遠くもないけどね。遥くんの家から、駅をちょうど真ん中に挟むくらい」
概ね彼女の言葉通りだった。駅に戻り、それから更に十五分ほど歩いたところに佐紀の家はあった。結局、そこまでの道中も僕たちの間にろくな会話はなかった。いたたまれない空気の中、太陽の視線が弱まってきたのが唯一の救いだった。
ともあれ、無事に彼女のことを家まで送り届けたのだ。これで僕に課せられた目的は達成された、なんてことはあるわけもなく、佐紀は僕の左手を掴んで、それから訊ねる。
「このままさ、私の部屋まで来てくれる?」
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