第18話

 家に帰ってまず、自分の体力が底をつきかけていることに気づいた。考えてみれば、こんな夏の気配の強い時期に二日連続で外に出るなんて、とても僕らしくはない。

 彼方さんのせいで、もしくはおかげで、僕は変わってしまっているのだろうか。だとして、その変わった部分は、一体どこに行くのだろう。まさか彼方さんに吸収されているわけでもあるまいし、彼女の方が急に陰気臭くなってしまったりはしないだろうが。

 いや、そもそも僕は、彼方さんのことをまだ何も知らない。絵本作家だったことは確かに驚いたけれど、それが彼女の自殺願望に繋がったとは考えづらいだろう。だって、あれだけ芯の通った言葉で、現状に一切の妥協がないと言いきれるのだから。

 なら、彼女にはもっと、その現状すらも投げ出したくなるような何かがあるはずだ。

 それは、僕なんかが踏み込んでいいものなのだろうか。

 抜け殻のような体をソファに投げ、天井を眺めながら考える。彼方さんのこともそうだし、佐紀のことも。

 何も感じたくなくて学校を休んでいるはずなのに、むしろこの二日間は思考を巡らせてばかりだ。でも、別に嫌じゃなかった。

 彼方さんや佐紀の存在は、自分が世界の、ごく一部の変わり者には必要とされているかもしれない。そんな希望にも感じたからだ。


 次の日、佐紀は朝の十時ごろに電話をかけてきた。どうやら僕は想像以上に疲れていたらしく、その電話が、僕にとってのモーニングコールとなった。


「おはよう」


 抑揚のない声だ。多分、あえてそういうふうに喋っているのだろう。


「おはよう。これは残念なお知らせなんだけど……」

「今起きたんでしょ」

「そう」

「別にいいよ、遥くんはそういう人だもん」


 それは、失望と捉えればいいのだろうか。どういう人間かは少しずつ理解できてきたが、彼女の思考は相変わらず読めないところが多い。


「とにかく、急ぐよ」

「大丈夫、時間はいくらでもあるから」


 そういって佐紀は電話を切った。どうせ今日も家には誰もいない。場合によっては家に入れようかと思っていたが、窓から様子を見る限り、彼女は外で待っているつもりらしかった。

 宣言通り、僕はなるべく急いで着替えなり手荷物の準備なりを終わらせた。いらないとは分かっていても、ドアを開ける僕の鞄にはいつものスケッチブックが入っていた。

 彼方さんからはなんの連絡も来ていない。明日会うことになるかは分からなかったが、もし何か描きたいものがあったらもったいないという思いと、そうして描いた絵を彼方さんに見せたいという二つの思いが胸のどこかに存在していた。

 彼女が今どうしているかも知らないくせに、たかが二日一緒に過ごした他人にすぎないくせに、自然とそんなことを考えてしまう自分が不思議だった。


「ごめん、待たせた」


 外に出てまず、気温の高さに驚いた。空気は湿気を含んで重苦しく、靴越しにも地面の熱が伝わる。昨日まではこんなに暑くなかったのに。

 そしてそんな暑さとは対照的な佐紀の携える涼し気な微笑にも、僕は内心驚いていた。

 少し肩の透けた白いシースルーシャツに、薄緑色のパンツを履いた彼女の姿は、なんというか、僕よりもずっと大人びて見えた。


「改めておはよう、遥くん」

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