第16話
一枚の白画用紙に、僕と彼方さんはただただ好きな物を描いた。
僕が正面を向いている少年を描くと、彼方さんはその背景に綺麗な海を描き足す。その間、僕は彼女の描いた女の子に似合うアクセサリーをつけていた。
そんな時間が、ひたすらゆっくりと過ぎた。僕は永遠を知らないから、もしそれが存在するのなら、今この瞬間に適応されてもいいのかもしれない、なんて無責任なことを思った。
ずっと頭にちらついていたのは、彼方さんは今何を思っているのだろう、という決して知り得ない疑問符だった。
他人の頭の中が覗けたら楽だろうな、と思うと同時に、そんなことができたら自分の頭の中が分からなくなりそうだ、という不安にも襲われる。なんの意味もない、空想。こうも静かだと、自分の頭の中の小さな問いかけさえも見逃せない。
途中、彼方さんが冷蔵庫から出してくれた二つに分けられるタイプのアイスを、僕たちは半分ずつ食べた。冷たさで少し薄まったカフェオレの味と、窓の隙間から吹く夕方の風は、どこか似ているような気がした。
気づけば、日が沈んできていた。一日が終わりに近づいている実感が空に表れていた。
「あの、僕今日はそろそろ帰ります」
「ん、そうだね。今度は泊まっちゃう?」
彼方さんの言葉は、冗談かどうか分からないから怖い。
「それはしませんけど。その、明日は」
「ああ、ごめん。明日はちょっと予定あってさ、次は明後日以降がいいかな。っていうか、そうだ。これ、渡しとく」
彼方さんは分かりやすく残念そうな顔をした後、僕に連絡先の書かれた二つ折りのメモを手渡した。慣れない手つきで受け取る僕に、彼女は訊ねる。
「携帯、持ってるよね?」
「はい」
「じゃあ明日の夜、かけてよ。日が沈んだ後なら何時でもいいからさ」
僕は頷く。
正直なところ、内心穏やかではなかった。彼方さんと電話をすると考えただけで、どこか緊張した。もう実際に二回も会っているのに、初めて人と会う前のような感覚になっていた。
彼方さんの家を出て、帰りのバスを待った。僕は断ったのだけれど、彼方さんはバスが来るまで一緒に待つといって聞かなかった。僕も人のことを言えた立場ではないが、彼女はかなり強情だ。
停留所の椅子に腰かけてから数分後、すぐにバスが来た。無言で乗り込むのも気が引けて、僕はなんとなく別れの挨拶をする。
「あの。今日も、ありがとうございました」
「え?」
僕の言葉に、彼方さんは首を傾げた。それから少し、いつもとは違う真面目な顔をして、彼女はゆっくりと口を開く。
「ねえ、遥」
バスの扉が閉まるときの、風船から空気が抜けるような音がする。彼方さんの声は、まるで聞こえなかった。
「」
彼女の口の動きが止まると同じタイミングで完全に扉がしまって、僕は聞き返すことすらできなかった。今、彼方さんは何を言ったのだろう。
構わず動き出すバスの中で、僕は彼女の最後の言葉のことばかり考えていた。
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