第55話 私は、奇跡が起きるのを待つことしかできない

 ミュエル視点


 魔法陣の上に立ってしまった最愛の少女はほんの一瞬、絶大な殺意を放つとだらりと全身の力が抜かれてそのまま床に倒れ込んだ。


 側頭部が地面に衝突し鈍い音が鳴る。


 私の救いは、私のご主人様は、希望は、潰えた。



「ご主人様ああああぁああああ!!!」



 緊張しきっていた喉が身勝手開いて、脊髄から流れてきた信号を咆哮に変えた。

 すぐにでも走り出して、そこにいる少女を助けなければいけないのに、体は動かない。

 羽交い締めにされてしまった私は、その鬱陶しい腕を振り解くことができない。

 ただ叫ぶだけ。

 私に許されたのは、ただそれだけだった。



「平和ボケした間抜けは本当にカモだな。

 激昂して後先考えずに罠に掛かってくれるとは。

 意識は残すつもりだったが、こりゃもう駄目だな。

 お前ら、お遊びは中断だ。さっさと目的を果たすぞ」



 リーダー格がそう言うと、馬鹿そうな女がご主人様へ近づきその体を取り押さえた。


 強制的に気を失ってしまったご主人様は、ただ身を任せることしかできない。

 あの魔法陣は、対象者の魔力や生気を吸い取るモノだったんだ。


 ……え、死んでいない、よね。


 動悸が加速していく。

 ただ、気を失っているだけだよね。


 でも、今もう駄目だって。


 どういうこと。


 私が考えているよりも、もっと非道な術式だったってこと。


 嫌だ。

 嫌だ。

 そんなの、嫌だ。


 体は動かない。


 戦いたいのに、戦えない。

 いつかの出来事が脳裏にこびりついている。


 足もお腹も頭も岩のように重い。


 ご主人様の危機なのに、どうして私は動けないんだ。



「さぁさぁ。アタシらの十八番、人質大作戦突入。

 この女の命が惜しくば、さっさと宝の在処を言いな?」


「だから、本当に知らないんだ!そんなものは聞いた事が無いんだ……」


「まだ言うのかよ、こいつ。

 ほらほらぁ、テメェの大事な女に傷がついてもいいのか?」



 馬鹿そうな女は、短剣の刃をご主人様の首筋に当てる。


 やめろ。

 その人にこれ以上傷をつけるな。


 ……やめて、もう全部やめて。



「……お願いします、その人を傷つけないでください。

 お願いします。お願いします。お願いします」



 涙を流しながら、許しを乞う。

 もう全部どうでもいい。

 私のちっぽけなプライドも全部捨てる。

 だから、その人を見逃してください。



「はぁ、どうやら本当に知らないようだな。

 ったく、主人の方もガッツリ術式にやられて参ってるし……。

 はぁ自力で屋敷中を探すしかないか。面倒くせぇ」



 リーダー格はため息混じりに苦言を呈す。



「えー、その前に愉しませてもらおうよ」



 私の体を縛っている小柄な女がそう言った。

 まだ、地獄が続く。

 そう考えるだけで頭がおかしくなりそうだ。


 終わって。

 お願いだから、こんな悪夢、さっさと覚めて……。



「そうだな、聖騎士を弄ぶなんて機会そうそうやって来ない。

 便利な道具(おんな)も手に入ったことだし、快楽の続きを始めようか。

 こいつを使えばどんな命令でも従うぜ、この雌は。。

 今日は飽きるまで、壊れるまで、狂うまで愉しませてもらうぞ」



 そう言うと、リーダー格の女は私の頬を伝う涙を舐め上げた。


 もう、何も感じない。

 感じたくない。

 不快感も、後悔も、絶望も。



「脱げよ。その貞操守護入りの下着を。

 愛を守るために、絶望から身を守ってくれているそれを、自分の手で取り外せ。

 恥じながら、みっともなく、情けなくあたしらに裸体を晒せ。

 ああ、給仕服はそのままでいいぞ。

 そっちの方が唆るからなァ」


「……こ、断る」


「へぇ、愛しの主人がどうなってもいいんだ、このメイドは。

 そうだな……おい、小指折れ」


「なっ!?やめ、やめろ!!」



 気を失っているご主人様を捕らえている馬鹿そうな女は、にたにたと笑いながら指示通りに加虐を実行した。


 骨が擦れる音が小さく聞こえる。


 あ、あああ、わた、私のせいで、ご主人様が。


 ごめんなさい、私が、こいつらに従っていれば、こんなことには。

 私が、諦めていれば、ご主人様が傷つかなくてよかったのに。


 ああ、ああああああ……。


 ……。


 私は、ただ人形になればいい。

 私は、ただ従えばいい。


 だから、私は女の言う通りに服の上からインナーを外した。

 密かに私を守ってくれていたこの衣類を裏切った。

 ご主人様と一緒に出かけた店で買った思い出のそれを私の体から取り除いていく。


 ごめんなさい。

 ごめんなさい。

 ごめんなさい。

 ごめんなさい。



「はは、こいつは傑作だなァ。

 おい、その女の顔を聖騎士様の腹へ寄せろ。

 愛する女の純潔が散る瞬間を特等席で見せてやろうじゃないか」


「姐さん趣味良すぎでしょ、まじで。

 それならアタシの苛立ちも晴れるっすよ!

 ギャハハハハ」



 馬鹿そうな女下品に笑いながら命令に従う。

 眠ってしまったご主人様をこちらまで運び、私の下腹部へとその顔を寄せた。


 嫌だ嫌だ嫌だ。

 やめろ、やめろ、やめろ。


 こんなの嫌だ。

 みられたくない。


 やだよぅ、こんなの……。



「お願いします、やめてください。

 お願いします。お願いします。

 お願いだから、やめてください」


「あっははははは、最高の反応だ、聖騎士。

 そのままあたしを楽しませろ。

 お前の初物を全て奪ってやる。

 唇も、耳も、何もかも」



 醜くそう言うと、リーダー格はとうとう給仕服の裾に手を掛けた。


 ……。


 ……。



「おいでませ、死様刀『腹切はらきり』」



 ……。



「おい、静かにしてろ。

 聖騎士様の破瓜っつう一生物のイベントに水差してんじゃねえよ」



 何かを呟いた誰かに注意を促すと、女の汚い手が私の給仕服を捲りあげた。


 ……。


 ……。


 ……。


 ……。



「あっい、え?は?あぇあ、ああああああああああああああ!!!……かひゅ、あ、あぁ……」



 鼓膜を破くような悲鳴が響き渡る。



「うるせぇぞ!!今いいとこ、なん……だから、だまって、ろ」



 私を襲おうとしている女は言葉に詰まる。


 そして、部屋にいる全員が同じ方向を見た。

 人質としてご主人様を掴んでいた馬鹿そうな女の方を。


 みんな、みんな驚愕していた。

 私も、盗賊共も。


 だって、馬鹿な女の顎から脳天にかけて、薄く長い刃が貫いていたから。


 頭蓋を串刺しにしている刀の柄を握っているのは、気絶しているはずの少女。

 エリゼ・グランデだったから。


 少女はその刀を振り下ろした。

 馬鹿な女の脳天を貫通している刃が、顔面を裂いて頭部の内側から露出された。


 だけど、血飛沫もなければ傷跡すら残っていない。

 手品のようなその所業。


 でも、串刺しにされた馬鹿そうな女は、確実にダメージを受けている様だった。

 のたうち回ることすらできずに、歯をガタガタ震わせながら意気消沈している。

 怯えて、ただ怯えて、泡を吹いて、白目を向いて。


 首根っこを掴まれて捉えられていた少女は、その乱暴な拘束から解き放たれると、その場で立ち上がる。


 そして、足元でもがいている馬鹿そうな女の顎を蹴り上げた。


 宙に浮くほどの勢いで蹴られた女の口から赤色の肉がぼとりと溢れた。


 舌。


 宙を舞う女から落下したのは舌の先、人差し指の第一関節ほどの大きさのものだった。

 顎を蹴られた衝撃を以って、自ら歯で噛みちぎってしまったのだろう。


 蹴り上げられた女はじきに落ち、その顔面から着地した。


 その傍らで立っている少女は、その目を虚に染めながら部屋を見渡している。



「愛すべき徒然を淘汰する愚者へ唄う鎮魂歌を私は知らない。

 宝玉を守れなかった守護者は、自らの命を捨てて花の冠を恋人の頭へと……」



 ご主人様……?



「あぁ、死欲が止まることを知らない。絶命が唯一の救い。

 狂ってみた結果、守護天使が舞い降りて苺と踊りました。

 私は、彼方にだけ存在が許された終わりを望みます。

 効率よく寿命を減らす行いをご教授していただきたい今日この頃」



 理解し難い言葉を並べ終えると、少女は折れ曲がった右手の小指を左手で握りしめ強引に元の位置へと戻した。


 見ているこちらが痛くなるそれを、平然とやってのけた。

 顔色を変えずに……まるで、痛みに慣れているかのように外れた関節を元に戻したんだ。


 誰。

 誰だ、この少女は。

 私は知らない。

 こんなご主人様を知らない。



「……失礼。

 訳の分からない自殺願望ポエムを吐露したのは生理現象でして。

 私も制御できないんですよ、これ。

 詩と死が読みでダブってるからとか、多分そんな感じです」



 少女は謙虚に笑って見せる。

 そして、既に気を失っているであろう馬鹿な女の腹を蹴り飛ばした。

 骨が砕ける、内臓が潰れる、そんな痛みを想起させる音が鳴る。


 羅刹がそこにいる。

 少女の皮を被った人外がそこに立っている。


 貴様は、誰だ。

 ご主人様は、どこだ。


 あなたは私を、ご主人様を、この地獄から救い出してくれるの。


 そんな私の不安を見透かした少女はただ、


「ミュエル、もう大丈夫です」


 そう囁いた。

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