第13話 私を見てくれる人
ブティックを出た後、建物に囲まれ日陰に塗れている細い通りを抜けると、先ほどまでとは打って変わって大勢の人が行き交う大通りへと戻ってきた。
白い日差しが目を眩ませる。
瞳孔を調節し終えるまでの間、わたし達は日光を遮るため額の前に手のひらを持ってきては目を伏せるように俯いた。
この瞳孔準備待ち時間で、どのお店で昼食を食べるかを考えよう。
大通りにはいくつもの有名店が並んでいる。
パン屋にカレー専門店にお洒落なカフェ、少し歩いた先にある裏通りには特殊な店もたくさんある。
どのお店も食欲を促しては誘惑を仕掛けてくる。
迷っていても仕方がない。
ミュエルさんの大好きなパンケーキが食べられる有名スイーツ店に行こくのが無難かな。
あの分厚いながらもふわふわを思わすパンケーキを前にしたら、ミュエルさんきっと感動して失神しちゃうよ。
ただ、混み具合だけが問題だね。
結局、入店するかどうかを決定付けるのは行列の有無。
あとは帰るだけで時間もたっぷり使えるから、気長に待ってみるのもいいかも。
とりあえず行き先も決まったことだし、早速みゅんみゅんにも伝えよう。
顔を上げて前へ進み出しながら言う。
その筈だった。
「みゅんみゅ……うぁっ……」
続く言葉は、甘いもの食べに行こうか。
たったこれだけを口にするだけだったのに、それなのにわたしは声を発することができなくなっていた。
人混みの中に紛れているたった一人の人間を目にしただけで、喉が砂漠のように枯れてしまったんだ。
深紫色の髪をツーサイドアップ纏めている少女の後ろ姿が視界に入っただけで。
見間違うはずのない後ろ姿。
魔術師を夢見て努力を重ねてきた少女の力強い背中。
少女が両手を前にして抱えている紙袋には、装飾品の有名ブランドのロゴが入っていた。
趣味のアクセサリー集めのために大通りへ来ていたんだろう。
わたしはもうあの子とは無関係の存在。
今更何の未練もなければ感情も湧かない。
そう思っていたかったのに、心は痛みを介してよくない感情を訴えてくる。
駄目だ、平然を保たないと。
メイドを心配させるわけにはいかない。
そう思えば思うほど、もがけばもがくほど沼に落ちていく。
精神を蝕む悪循環。
最悪、視界が歪み始めている。
すると、わたしの肩を包もうとする手があった。
暖かい。
それからあなたは、立ち止まってしまった弱虫に向かって優しく声を掛けてくれた。
「顔色が優れていない、調子がよくないんだな」
あぁ、もうバレてるんだ。
あなたは、それだけわたしのことを見てくれているんだ。
嬉しいな、このまま身を任せても良いかな。
その逞しくも穏やかな体に。
「ごめんね、人の多さにやられちゃったみたい。
ちょっと休めば元気になると思うから……大丈夫だよ」
駄目だ駄目だ。
弱音を吐いている場合じゃない。
良いところ見せるんじゃなかったのか、エリゼ・グランデ。
「本当にそう思っているのか?」
「ぐっ……だいじょ……ぶ……うん、大丈夫だよ……」
強がる意思に反して呼吸は乱れ続ける。
終いにはその場に力なくしゃがみ込んでしまった。
もう、なんで……なんでわたしはこんなに駄目なんだろ。
ただ昔の同僚を一方的に見つけただけじゃないか。
それが何でこんなにも体を重くさせてしまうんだ、思考を乱してしまうんだ。
集団から追い出されたのが傷になっているのだろうか。
それなら笑い物だ。
だって、追い出された原因は自分の怠惰じゃないか。
それで被害者ぶれるのはもはや才能でしょ。
瞼を閉じて世界を見ないようにする、逃げるように。
早く思考を止めないと。
最低だ。
せっかくミュエルさんとお出かけしてるのに、良い思い出になるはずだったのに。
それだけは絶対に駄目だと我慢していたけど、涙がじわじわと溢れて出ていく。
大粒の光が頬を伝う。
液体の温かさを知覚したことで、とうとう泣き出してしまっていることに気が付いた。
奥歯を噛み締める、そんなことで何かが変わるなんて微塵も思っていないのに。
弱いな、わたしは。
顎先に涙が滴ったところで、それは何かに拭われた。
何か、なんていうのは白々しいよね。
わたしはその答えを知っている。
答え合わせをするために重い瞼を開けて目に光を灯してみた。
そこには屈んでわたしの泣き顔を悲しそうに見守るあなたがいた。
あなたは貴重なメイド服の袖で、わたしの目からこぼれ落ちた穢れを拭き取る。
ミュエルさんにとっては夢にまで見た大切なその制服。
それをわたしが汚してしまったという申し訳なさを感じると同時に、汚れることを構わずに涙を払ってくれたことへの感動で心がぐちゃぐちゃになってしまった。
あなたはわたしに涙の訳すら聞かずに、ただ一言。
「私はずっと隣にいる」
あなたは服の入ったショッパーを肩に掛け直すと、わたしに密着してそのまま膝下と背中へと手を回した。
これから行われる世界一素敵な行為を察したわたしは、全身に熱が帯び始めているのを感じた。
だけど、自分への嫌悪も感じている。
これから美味しいご飯をご馳走様する予定だったんだけどな。
メイドはわたしを持ち上げる。
俗に言うお姫様抱っこ、わたしみたいな女には相応しくないそれを彼女は軽々と行為に移してしまった。
こんなところ、昔の聖騎士追っかけ仲間に知られたら拉致監禁嫉妬怨念暴行の標的にされてしまうかもしれない。
「恥かしいかもしれないけど、このまま帰らせて貰う。
だから今のうちに泣き尽くしておこう、ご主人様」
「ありがとう……みゅんみゅん……」
それだけ言い残して、わたしは彼女の腕の中で眠ってしまった。
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