靴磨きのアスラン

スミレ

靴磨き人の本懐

第1話

 青年――アスランは口元に巻いたスカーフを胸元まで摩り降ろした。


 今日はめずらしく朝から大気が澄んでいる。

 砂漠に囲まれたこの街は、黄砂に覆われることの方が多いのに。なにか良い転機が訪れる、そんな前触れな気がしてくる。



 アスランは立ち並ぶレンガ造りの家々に隠れるようにして、靴磨きの露店を広げた。

 褪せて鳶色の絨毯に椅子と机を置いただけのみすぼらしい空間だが、これに文句をつける客はいない。


 ガラクタのような壺や皿を土くれの地面に直置きしている露店が多い中、絨毯があるだけまだ上等だった。


「ようアスラン。商売は繁盛して……ま、いつも通りそうでなによりだ。今から俺様の靴磨き頼めるか?」


 含みのある笑顔が板についている常連客のマリクが、軽快に話しかけてきた。


 マリクは大きく膨れたお腹を、この場所に不釣り合いな派手な衣装の上からさすっている。首や腕に巻いた鎖状の装飾品が連なって、ジャラジャラと品のない音を鳴る。

 三十代にしては、ややたるんだカエル面も相まってか、財界の重鎮のような貫禄がある。


「すみませんマリクさん、これから道具の準備をするところなんです」


「そうか。んじゃ、俺様は椅子に座って待たせてもらうぜ」

 客用に奮発して仕入れた肘掛け椅子が、マリクの重みで軋んだ。


「これから大事な約束なんだ、早めに頼むぞ」

「畏まりました」


 横柄な態度でも、アスランに生活費を落としてくれるのだから、感謝しかない。


 煌びやかな街の中央から爪弾きにされたこの一角で、小さな露店を構える人間は、『貧しき者である』と公言しているようなものだった。

 そんな弱みに付け込んでか、マリクはいつも気を大きくして接してくる。


「はぁあ、まったく嫌になるぜ」


「本日はどのような約束事があるんですか?」


 アスランが愛想良く質問すると、待ってましたとばかりにマリクはニタリと笑う。


「グフフ。知りたいか、俺様の予定。ま、アスランになら教えてやってもいいぞ」


「教えていただきたいですね。きっと僕には、想像することしか叶わない世界だと思いますが」



 正直に言うと、あまり興味を惹かない話題だった。


 実のところ靴磨きの真髄は、靴を磨き終えるまで相手の話を聴いて、気持ち良く店を去ってもらうことにある。

 靴を磨くだけなら、三日も学べばそこそこ出来るようになるが、この真髄を理解できない人間には一週間と務まらない。


「街の一等地でな、名のある金持ちだけが集まるパーティーがあるんだ。そこに、この俺様も御呼ばれしたってわけよ。靴の次は装飾品を見なきゃならない。エステにも行かなきゃならんし、いい迷惑だよ」


 鼻息を荒くして語るマリクは、恍惚に似た表情を浮かべている。

 とても、迷惑がっているようには見えなかった。

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