第417話「感謝の魔女」
もし、暗闇の中を照らす光があるならば、それは希望だろうか。
もし、何も無い砂漠に突如として湧き出す泉は、それは希望だろうか。
もし、人の気配すらない空間に、突然どこからともなく蝋燭が出現することは、希望だろうか。
もし、それが対の魔女の巣窟でなければ、能力研究所でなければ、希望として摩訶不思議な現象として知的好奇心を燻られていただろう。
しかし、しかし。
ここは能力研究所――対の魔女の巣窟。それも、感謝の魔女である。エヴァンとエミルを痛めつける瘴気を放つ元凶の部屋に来ている。それだけで、希望と決めつけるのはあまりに軽率であった。
「なん、だ……?」
エヴァンがポツリと呟いた言葉に合わせるように、はたまた発した音に近づくように、その蝋燭の火はゆらゆらとゆらめきを描きながら、二人の近くまで漂ってくる。
「……エミル、予感とか嫌な感じは」
「しない、です……」
エヴァンの問いにエミルも、蝋燭の動きから目を離さずに返す。
予感も。嫌な感じもしない。つまり、危機感を誘発するようなものでないというものではあったが、同時に他の問題が浮き彫りになる。
「対の魔女の罠かもしれないから、気をつけろよ。いざとなれば、一目散に逃げ――」
「…………逃げるなんて、どこに行こうというのかしら。酷いお方」
蝋燭がエヴァンの眼前まで迫ると、ようやく暗闇に沈んでいた本体――この真っ黒な景色に溶け込むのが異常な白いローブを羽織り、顔がどこにあるのか分からないほど前髪は伸ばしっぱなし。よくよく目を凝らせば、蝿が身体中の至る所を這い回り、皮膚の見える箇所には蛆虫が蠢いている。
更には、白いローブには真新しい血痕が残っており、真っ白な部分は少ない。どこかしこに、たくさんの汚れが付着しており、一言で表すとすれば「汚染物」と形容してもおかしくない見た目をしていたのだ。
その様子に面食らったエヴァンと、エミルがなんと返そうか。なんと反応しようか迷っていると、どこに口があるのかも分からない髪のカーテンから、少しだけ上擦った声が響く。
「…………あ、自己紹介がまだでしたね。初めまして、『救世主』エヴァン・レイ。自分は対の魔女の中で、感謝の魔女を務めております」
深々と、エヴァンへ向けて頭を下げる感謝の魔女。
それに伴って、無造作に伸ばされた髪が蝋燭の炎で焦げ付いても気にせず、至って普通のお辞儀と、感覚の違いを見せつける。
その姿だけでも、異質であったはずが、行動と言動そのものが普通とはかけ離れている様子に、エヴァンは少しばかり臆する。
「……ど、どうも」
汚い人間は何度だって見てきたことはある。
何日も風呂に入らない者だっている。冒険者にとって、風呂自体が贅沢なものでご褒美としての側面もあるからこそ、何日も依頼をこなしていくと自然と体は汗臭く、泥臭くなる。そして、服だってボロボロになる。髭も伸びっぱなし。髪だってゴワゴワ。そんな状態になっている者を何人も、何十人も、何百人と見てきたエヴァンであっても、感謝の魔女の姿はとてつもない異質であった。
(自然と汚れているとか、そういうことなら理解はできる……。それこそ、初めて会ったエティカはとても見られる状態でも、誰かに見せられる姿でもなかった……。
でも、それでもエティカや冒険者の姿は
問題は、この人の汚し方……汚れ方だ)
まじまじと、全てに目を凝らしたわけではないが、清潔でない部分を探す方が困難で、どこもかしこも汚れているのだ。白いローブだと判明したのも。対の魔女が着ているものだと、エヴァンが真っ先に分かったのも。
それが理由であって。
異質の原因、違和感そのものである。
(純白のローブについている紋章以外だけを汚している……。そこだけ絶対に汚さないようにしているのか。はたまた、たまたまなのか。それにしては汚し方もめちゃくちゃだ。自然と血が付着したようなものじゃなくて、
そんな推測を描いていたエヴァンであったが、眼前にいるのが感謝の魔女――つまり、先ほどエヴァン達を苦しめた張本人だと分かれば、自然と表情も固くなる。
一切の機微もできないほど。
「…………おや、緊張されているご様子。無理もないでしょうか。すみませんね。自分は対の魔女といっても、そこまで権力を持っているわけではありませんので、どうぞゆっくり思い思いの時間をお過ごし下さいませ」
と、再び感謝の魔女が頭を下げた瞬間、蝋燭に点っていた小さな灯りだけ、その場に停止する異様な光景を作る。
魔法か、魔術か。それとも、能力かを考えているエヴァンに圧倒的な証拠を見せつけ、それが魔法だと判明させる。
たった一つの。人差し指ほどの大きさの揺らめきは、ゆっくりと立ち上っていく煙のように蝋燭から離れていき、ある一定の高さまで到達すると、光の波を起こしながら辺り一帯を照らしたのだ。
一瞬で光量を確保でき、更にはどんな部屋かを見渡すよりも、エヴァンは唐突な輝きに目が慣れるまで瞼を閉じる。たった一瞬。されども、一瞬。術式を刻んだ姿もなく、魔術自体が存在しない以上、魔法であることはほぼ確実ではあったが、それよりもエヴァンが驚いたのはまた別のことで。
「……これは」
「…………これ……。あぁ、ここにいる
光に慣れた瞳が、徐々に映したのは部屋一面に広がる虚ろげな全裸の男性が、所狭し雑多に散らされたように、床に散らばっていると言っても差し支えないような、すし詰め状態の異変であった。
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