第39話「芦毛の子」

 昇った朝焼けの陽射しに、少し凍える風が吹く早朝。

 身支度を整えたエヴァンは、王都へ向かう前の挨拶をしていた。


 朝の仕込みをしていたアヴァンに、ヘレナ、ローナに、早朝の目覚めでウトウトしているエティカが、見送りに揃っていた。


「エティカ、寝てて良かったんだぞ」


 エヴァンの一言に、なかなか開かない瞳を無理に開ける。


「だい、じょうぶ」


 なんともふわふわとした大丈夫、であった。

 見送りだけはしたい、そんな意思が固いエティカ。


「気をつけて行くんだぞ」


「そうよ、何事も無いのが一番だから、早く帰っておいで」


 アヴァンとヘレナが、エヴァンへ声を掛ける。

 この二人はいつも、エヴァンの見送りをし、帰りを待ちわびている二人であった。

 エヴァンが、すぐに無理する事を知っているからこそ、わざわざ見送りをし、無理をしないようにという意思表明でもあったのだ。


「ああ、すぐに帰ってくる」


 眠そうなエティカの頭を撫でながら、答えるエヴァン。

 それにローナは言葉を重ねる。


「特に言う事はありません」


「……いや、せめて何か言えよ」


「……んー。では」


 とローナは一呼吸置く。


「転ばぬよう、しっかり足元を見て歩いて下さい」


「子どもじゃないから」


「子どもを無理やり転ばす大人もいるのです。足元をしっかり見て、何度も確認して下さい」


「ああ……」


「王都にはそんな輩が一杯です。気を付けて下さい」


「肝に銘じておくよ」


 王都で何年も暮らし、逃げてきたローナの一言は、確かに重いものだった。


 何より、対の魔女という存在もある。

 そう思うと、朝の寒さか、対の魔女の存在か、エヴァンの身を引き締める。

 しっかり帰ってくる。


 それを、エヴァンは第一目標に据えた。

 そろそろ、出掛けようとしたエヴァンは、エティカへ再び言葉を投げる。


「エティカ行ってくるから」


「うん……」


「ちゃんとアヴァン、ヘレナ、ローナの言う事聞くんだぞ」


「うん…………」


「お土産も買ってくるから」


「うん………………」


「ちゃんと帰ってくるから」


「うん……………………」


「だから――」


「早く行ってください」


 痺れを切らしたローナの一喝。

 エヴァンのエティカと離れる事の不安は、子どものように大きかった。

 しかし、逡巡しゅんじゅんの葛藤の末、意を決する。


「行ってきます」


「「「行ってらっしゃい」」」


 エヴァンの背中に三人は後押しする。


「いって、ら、っしゃい」


 エティカの不安そうな声も届き、振り返り、エティカを抱き締めたい欲を抑え、エヴァンは北へと歩く。

 エヴァンの姿が見えなくなるまで、エティカは見送った。



 ◆    ◆    ◆



 北へ歩けば北門の姿が見えてくる。

 早朝になれば、人も少なく、歩くのはとても快適であった。

 快適ではあっても、石畳を歩く足取りは重かったエヴァンではあったが、門番の傭兵の元へ向かう。


 少し若い男性にエヴァンは話し掛ける。


「おはようございます」


「おはようございます、何かご用ですか?」


「王都に行くのに、馬をお借りしたいのですが」


 その一言に若い男性は怪訝な表情になる。


 馬を借りるなら、厩舎きゅうしゃへ出向き、銅貨数枚を払って借りるのが一般的だ。

 エヴァンは、非常時に使用する傭兵馬ようへいばを借りたいと言ったのだ。


 非常時に使用する物を借りたい、そんな一言には、怪訝な表情もするだろう。

 そんな若い男性へ、エヴァンはコインと王国からの召集状を見せる。


「王国からの召集があって、早急に向かわねばいけません。その為に、馬をお借りしたいのですが、よろしいでしょうか?」


 若い男性は、エヴァンからコインと召集状を受け取り、確認する。

 確認が終わると、少しの驚愕な表情に変わる。


 そして、慌ててエヴァンへ答える。


「こ、これは失礼しました。一頭でしたら、貸出できますが、一頭でいいでしょうか?」


「はい、助かります」


 そう応答すると、若い男性とエヴァンは、門の近くの厩舎へ移動する。

 そこには何頭かの馬が繋がれていた。


「この子が今、貸出できますね」


 若い男性はエヴァンの元へ、厩舎の中で唯一の芦毛あしげを連れてくる。


「芦毛の子ですか」


「はい。他の子は遠征前のため貸出できませんので、この子しかいませんが、それでも良ければ」


 ストラ領において、芦毛の子は走らないとされている。


 持久力も瞬発力も芦毛より、鹿毛かげ青鹿毛あおかげの方が良いとされていた。

 だからこそ、傭兵に人気のない、芦毛の子は貸出できるのだろう。


 ただ、王都からの往復ができるだけで充分なエヴァンは、快諾する。


「はい、助かります。この子の名前はありますか?」


「サニーです。芦毛の子にしては大人しく、人懐っこい牝馬ひんばで、走るのが好きな子ですよ」


 そう言われた、芦毛のサニーはエヴァンへ、近付く。


「よろしくな、サニー」


 そう言ってサニーの頬を撫でると、サニーは気持ち良さそうな表情になる。


 こうして、エヴァンと芦毛のサニーは、出会いの挨拶を済ませると王都へ向かう。

 門番の若い男性に見送られながら、門を出るサニーとエヴァン。

 北へと伸びる道。

 王都ラスティナへと繋がった道を、サニーに跨ったエヴァンは、突き進む。


 サニーは、芦毛の子は走らないと言われているとは思えない程、よく走る子だった。脚も速い。しばらく走った後の、息の入りもいい。

 あまりにも優秀で、王都から帰った時に買い取りたいとさえ、エヴァンが思う程の名馬だった。

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