投稿作
ここは天国か、はたまた地獄か――。
朝のホームルームが終わった一限目の授業時間になぜそんなことを思うのかと言うとですね、私こと
そう、私の隣の席に座る男の子は美形なのだ。名前を
ああ、私は凡人ですので、特筆すべきことはございませんよ。マスクをしていても凡人でございます。家から近いこの高校に入学してから一ヶ月ほど経ったいまでも、不可思議で不気味なほどに騒がれたりはしていないけれども、それも時間の問題だろう。目の保養によい位置にいる私は格好の餌食となることなど目に見えているので、なんとか回避したいんですよね。いまもって良さげな案は出ていないんですが。
ではなぜそんな席になったのかといえば、単純明快である。出席番号順にすれば「ま行」は後ろの方の席であることが多い。現にこのクラスでも、縦五列の後ろから数えて二番目。元々の位置にいた男の子も「ま行」の名字であったのだが、彼は目が悪く、前の方の席に行きたがったのだ。だがしかし、入学式直後では、一瞬ぽかんとされた。もちろん、私を含めて。まさかの先生もぽかんとしていたよね。眼鏡男子くんは負けじともう一度説明をし、晴れて(?)枝降くんと席を交換した。先生の手にある座席表にもすぐに修正が入り、事なきを得る。
――枝降くんのお美しい顔にビビった私以外は。そう、私以外はだよ! みんながみんな気にしていないのはなぜなのか? という疑問しかない。いまもって。「俺はどこでもいいので」というのは、席を交換するに至った枝降くんの言葉だが、いまから考えると本当にどこでもよかったんだろうな。隣になった私には多大なる恩恵があったけれども、一歩間違えれば嫉妬が渦巻いていたはずなので恐ろしいです。
疑問と言えば、この廊下側まで伸びる太陽の光に照らされて煌めく薄い緑色の髪は腰までの長さになるが、まとめるなりなんなりしろとかの注意をされている姿を見たことがないのも謎のままである。紫水晶のごとく色づいた瞳は、時間や日によって青や髪と同じ薄い緑、赤や金色に変わっているのだが、カラコンでも入れる趣味でもあるのだろうか。目に異物を入れるなんてドキドキでしかないのに、すんなりこなせるなんて素敵ですよね。はあ~、枝降くんはなんてお美しくて素敵な人なんだろう。謎に満ちているのも、逆に神秘的さがあるし。さすが神様が作りし美形男子。
ここは天国で地獄。もうそれでよいではないか。騒がれるのなら騒がれるでよいではないか。いや、なにを言われるのか解らないから騒がれるのはやっぱり怖いけれども、私は枝降くんの隣にいたい。尊顔を拝みたいのであります!
「美々内さん」
「ふゎぁいっ!?」
高すぎず低すぎない美声とともにちょんと右肩に触れた指――だと思う――に肩を竦めて驚くと、枝降くんは「面白い顔をするね」と目を細めた。愉快げに。「ああ、いや。俺が言いたいのはそういうことではなくて――」と続けられる言葉に頭がクラクラしてくる。美声の魔法しゅごいですぅ。
「前を向いた方がいいよ」
目を細めたままの至極全うな言葉を飲み込んだのち、枝降くんから視線を外すと――。
教壇に立つ先生から「おう、美々内。後で職員室な」という圧の籠った笑みを向けられた。勝ち気な美女という見た目の教科担任の笑みに対し、これも目の保養ですなあと思うがしかし、それはそれ、これはこれだ。ちなみに勝ち気といっても、つり目ぎみなだけでございますよー。私はといえば、「あ、はい。授業に専念させていただきます」と数字や文字が踊る黒板(と先生)に頭を下げた。すぐさまに。
教室のあちらこちらから笑い声が聞こえてきた数学の時間、羞恥から逃れるように、煌めく薄い緑色の髪を横目に追った。うぅん、天使の輪が何個できているんでしょうかね、これ。
◆◆◆
お昼休みになると最速で職員室に赴いて、教科担任からの短いお説教を済ませてくる。内容は授業中に余所見をしすぎないようにと言われただけなんですが、枝降くんが隣の席であり続ける限りは、難しい問題になりそうなんですよねえ。見なければよいという選択肢は私にはないので。
行きと帰りに時間を取られたために少し遅めのお昼になってしまうが、全ては自業自得だ。家の近所にあるファミリーモート――コンビニで買ったメロンパンとバームクーヘン二種類の計みっつが今日のお昼ご飯である。バームクーヘンはプレーンと、チョコ味ね。あ、チョコ味はチョコ味でも、端にチョコレートがかかっているやつであって、チョコが二倍でお得なんですよ~。そしてミルクココアの紙パック。甘味だらけのお昼だけれども、ペットボトルのお茶もちゃんとあるんだな、これが。飲み味がすっと爽やかなのが私の好みである。
「甘味が好きすぎるのかな?」
私の机の上を見た枝降くんは、げんなりとしながらそう言った。病魔のお蔭で机を並べてのお昼は遠慮してねとなり、高校でもこうして前を向いて食べるという体裁なのだが、少しばかりの会話はある。こんな風にね。「育ち盛りなんだから、栄養バランスを考えないと」と、なんかお母さんみたいなことを言い出しましたよ、枝降くんは。
「枝降くんこそ、肉ばっかりだと思いますけど」
横目で窺う机上には、テイクアウトだろう代物がある。ステーキ丼かステーキ弁当かは知らないけれど、焼けた赤身肉がどででんと乗っているのだから、私の甘味さんたちといい勝負だ。枝降くんの昨日のお昼はカツ丼で、一昨日のお昼は牛丼だか豚のしょうが焼き丼だかだったし。
「ビックボアを倒したらしいから……」
まだまだあるのが辛いんだよと、泣き言を紡ぐ枝降くん。八の字に下がる眉が実にセクシーなのですが、ビックなに……? なんだって? いまなんかファンタジー用語が聞こえた気がするんだけど。
確認するように、衝撃で震える声で「ビックボアって言った?」と紡ぐと、「ん? なにか言った?」と返ってくる。緩く首を傾げて。はい、これは勝てませんわー。この麗しかわいさには勝てませんって。いやまあ、初めから勝負にもなっていないけれども。
よし、私の聞き間違えだなと潔く「いえ、なにもないです」と返すと、枝降くんは「早く食べないと、お昼休みが終わるよ?」と紡いだ。おぉう、今度は心配性のお母さんみたいなことを言っているよ。といっても、呼び出しをされてしまった手前、時間がないのは本当なのでメロンパンに手を伸ばす。バターがたっぷり使われているメロンパンへと。
枝降くんは私がメロンパンにかぶりつくと、自分の分のお昼ご飯にふたたび箸をつけた。もしかしなくても、待っていてくれたのだろうかと胸がほわりと温かくなった。優しい枝降くんをげへげへ見てしまうのが申し訳なくなるが、やっぱり私はげへげへ見てしまうのを止められそうにありません。目の保養なのでね。こんな好機は逃せないでしょうよ。神様がお作りになった美形を眺められるなんてこと、この高校に進まなかったらできなかったんだし! しかし、心の中ですみませんと謝っておくことは忘れません。尊敬は謙虚にいかなくてはうざがられたりしてしまう。それにね、モラルは大事なことだし。
五限目の現国の授業時間中、うつらうつらと船を漕ぎながらも枝降くんを視界に映す。それでも眠気には勝てないのは、春だからだろうか。それとも、満腹も満腹だからか。
教科書とタブレットとノートの三つ巴で隠すように置かれているルーズリーフには綺麗な文字が並んでいたが、黒板にはない文字が踊っていた。第七章プロットの下、左側には起承転結。起承転結のさらに左横には弧を引いて国の名前らしきものがある。
んん……? 見間違いでなければ、私のよく知る名前が書かれていたりするのですが、どういうことなんだろうか。枝降くんはなぜ、人気ライトノベルの主人公の名前を書いているのか。いや、人気なのだから知っていてもなにもおかしくはないけれども! しかしですね、第七章はダメだ。衝撃で眠気は吹き飛び、枝降くんをまじまじと見る。
作者名は「
シャープペンシルを握る細長い指先、薄い緑色の艶やかな髪、横顔なのでいまはどういう色をしているのか不明ですが宝石に値するような瞳、高い鼻筋。美しいと麗しいと儚げが三位一体となった中性的なお顔とすらりとした体躯。高い身長と細すぎず太すぎずな体型のバランスがちょうどよいのが羨ましいなと常々思っていますよ。ちょっとお耳が尖っているけれども、そこがまた魅力的である。――って、あれ? いま気がついたけれど、枝降くんの耳、尖ってますよね?
エルフといえば、耳が尖っていて美しい容姿だと書かれているのが間違いないのなら、いまここにいる枝降くんは、エル、フ……? あっ、枝降くんの名前を並び替えると《エルフ》になるじゃないですか! おお、秘密を暴いてしまいましたよ、私は。いやね、秘密かは知らないけども。そしてもしかしたら、森人えるふーふさん? 私が好きなライオル様を生み出してくれた作者さんなんですか?
いや、いやいやいやいや、いくらなんでも現代日本にエルフはいないでしょうよ。私は騙されませんから! いやでも、目の前には人間離れをした美しい容姿を持つ男の子がいるのだ。どこだったかで知った「世界は不思議で満ちている」という言葉が本当なら、次元に亀裂が生み出され、異次元同士が繋がった結果かも解らないではないか。
思考停止脳やラノベ脳と言われようが、私は私の見たままを支持したい。枝降くんは素晴らしいのだから。森人えるふーふさん本人でしたら、ぜひともサインがほしいのです。欲望丸出しだが、人間は欲にまみれた生き物なので、しかたがないことなのですよ。直筆サインなんてお宝ですわ。
第七章はどんな内容になるのかと一生懸命凝視している間に授業が終わっており、「美々内さん」との声にようやく我に返った。教科書などを片づける枝降くんは呆れながら、しかし、どことなく楽しげに「授業はちゃんと聞かないとダメだと思うよ」と紡いだ。
「それは解ってるんだけど……」
濁すような私の言葉に、枝降くんは「けど?」と先を促す。えっ? 促しちゃうんですか、そこ。まあ、軽く突っ込む余裕もあるし、慌てることもなく言いますけどね。なにより、枝降くんがご所望ですからあ!
「ちょっと気になることがあったから」
「気になること?」
紫色ではなく金色の瞳で緩く首を傾げる枝降くん。連動してさらりと髪が流れ落ちる姿は、そこはかとない色香が漂っていた。エルフ(仮)さん、恐るべしぃ!
「おひゃあぁあぁ!」
突然叫び出した私は完全な不審者だ。だが、叫び声を上げざるを得ないんですよ、この状況はさあ! 周りの視線に晒される私は、心で泣いて顔ではにやけている。なんといっても、枝降くんの秘密――おそらくは書籍化作家であろうことを知ることができたのだから。だが、枝降くんの色香にやられそうになったという真実を知られるわけにはいかず、「タブレットが挙動不審になって~」とタブレットに罪を被せると、乾いた笑いも一緒に出した。周りの興味を失わせることに見事に成功すると、タブレットさんすみませんと、無実の罪を着せたことへの謝罪も済ませましたよ、ちゃんと。
◆◆◆
六限目と掃除、帰りのホームルームが滞りなく無事に終わると、放課後だ。少しだけ沈んだ太陽は、それほど時間を置かずして夕陽へと変わるのだろう。
この高校では、一年生はなんらかの部活に属さなければならないわけだが、その決まりは変わりつつあった。もちろんのこと、病魔の関係で。今年からは入っても入らなくても自由だと入学説明会でアナウンスされていたのだ。だから私は帰宅部で、家に帰るまではこうして教室に残って読書に勤しんでいる。一つ下の妹の受験勉強の邪魔をしないようにというのが建前であり、家の手伝いから逃げたいというのが本音だ。去年は妹が頑張ってくれたから、私の家事は三割ほどしかなかったのだ。今年は私が頑張る番なわけでありますが、お姉ちゃんは堕落したいんだよ。すまない。本当にすまないね。帰ったら頑張るよー。
スマートフォンの画面上には、最大手といわれる小説投稿サイトのユーザーページが映し出されている。すなわち、ログイン後であり、ただいまブックマークに入れた作品の更新状況を眺めている最中だ。しかし、更新された様子ない。私のブクマ作品は二十二作品で、その内の二十作品は完結済み、二作品は連載中となっている。たとえ完結済みであっても、作者の匙加減で話数が増えることもあるが。
いま一番のお気に入り作品は、森人えるふーふさんが描き紡ぐ魔術師エルフ。公開されている第六章までは読了済みであるので、周回だ。もう何度読み直していることか、もはや自分でも解らないほどだ。
読み始めたきっかけは本当にたまたまだった。本屋さんで表紙に惹かれて購入したライトノベル――文庫ではなく、四六版といわれる、ソフトカバーの大判の単行本だ――の投稿先がここで、新着更新作品に魔術師エルフが載っていたのだ。その時はまだ第一章の連載途中であり、私は割りと早くにライオル様と出逢っている。まさか作者と思われる人物が、こんなに近くにいるとは思わなかったんだけども。なんだか世間は狭いらしい。
枝降くんと私、ふたりだけの教室は早くに訪れていたのだが、青春も色恋的なものもなにもなく、どちらも黙々とスマホを弄っている。いつものとおりに。あ、いや、私はだいたいにやけていますが。今日はファンアートのライオル様に痺れています。
ふへへと溢れそうになる笑みの最中、「打ち間違えた」という呟きに導かれるように枝降くんを見てみると、ものすごいスピードで文字を打っていた。おお……! と小さな感動を覚えるほどに。
なるほど、この入力技術がライオル様を生み出しているようだ。枝降くんの指は細長くて綺麗ですね。私よりも。そう気がついた事実に落ち込みそうになるがしかし、枝降くんは神様製なのでなにもかもが規格外なのだと気を持ち直す。中性的な美しい人と競いあってどうするのだ。そもそも、競いあう意味がまったくないではないかと、魔術師エルフの本編に滑り込んだ。第一章から。第七章を執筆中であろう枝降くんの邪魔にならないようにね。少しすると「美々内さん」と呼ばれて、現実に引き戻されたが。
「なんでしょうか?」
「なにを読んでいるのかは解らないけど、面白い?」
空いている片手の甲で頬杖をつきながらの枝降くんの言葉に、「んにゃ?」という間抜けた声が漏れた。なぜなにかを読んでいることが解るのかと思ったからだが、すぐにそれに思い至る。枝降くんの背丈から考えるに、私のスマホ画面は見るに容易いものなのだと。といっても、おそらくは文字列しか解らないだろうし、覗き見防止のフィルムも貼っていないのだから、見られ放題ではあるのですがね。まあ、やましいことはないので、なんの問題もないんだけれども。――いや、待て、待つんだ私。問題はあったよ!? 主に待受画面にぃぃぃぃ! ファンアートのライオル様を勝手に待受画面にしているけれど、怒られないよね? 大丈夫だよね?
気がついてしまった後ろ暗さに、おそるおそるといった具合に枝降くんを見返すと、「面白い?」とふたたび問われる。どうやら気づかれてはいないようであり、それならば恐れるものはなにもない。満面の笑みで「面白いよ! ものすごく!」と答えられる余裕も生まれましたわ。
「そうなんだ。答えてくれてありがとう」
片手を左右に振りつつも「いえいえ」と返すと、枝降くんは入力作業へと戻っていく。なぜか機嫌よさげに。そしてしばらくしてから、「そろそろ帰ろうかな」と帰り支度を始めた。辺りにはすっかりオレンジ色が射し込み、まさしく夕刻といった風合いを見せている。「美々内さんも暗くなる前に帰らないと」と誘われるまま、私も帰りの支度を終わらせる。
教室から昇降口とを一緒に出て、果ては家まで送られる。ふたりともリュックサックというお揃いスタイルで、なにも今日だけではなく何度も繰り返していた。なにも私たちはおつき合いをしているわけではないのに。ああ、そうだ。お揃いといってはいても、枝降くんは左肩に肩ベルトをまとめているので、お揃いとは言いづらいかも知れない。
話を戻してですね、こうして送られる理由はひとつのようだ。ただ心配だからと、真摯なまでに紳士な枝降くんは私を送ってくれるのだ。乙女心がこれでもかというぐらいに高鳴るがしかし、神がかりな枝降くんの隣に凡人な私など不釣り合いすぎる。そもそも、釣り合うわけもないしね。
枝降くんと話をするのも同じクラスの隣の席だからであって、変な勘違いをしてはいけない。偶然の産物に感謝をしなければならないのだから――。だから私は、見て見ぬふりをする。この胸の高鳴りを。
「――じゃあ、また明日ね」
「うん。今日もわざわざありがとうね」
「どういたしまして。ああ、そうだ。忘れるところだった。美々内さん――」
爽やかに笑う枝降くんに一度だけ手を振り、門に続く階段を上がりながら、「うん?」と声のする方――先程振った右手側に振り向くと、枝降くんを見た。細められた青い瞳を。柔らかな笑みを。と同時に、喜色を含んだ声も届く。届いてしまう。
「わざわざ待受画面にしてくれてありがとう」
「ふぉっ!?」
軽く噎せる間に枝降くんは踵を返して行ってしまうが、これはアレですね。アレですよね。アレしかないですよね!? 私のスマホの待受画面のことは完全に解っているんですね!? というか、さっさと去ったのは、言い訳は無用ということですか? それにっ、ありがとうとはどういう意味なんでしょうかぁっ!? 教えてくださいよ、枝降くん! あなたはやっぱり――森人えるふーふさんなんですか!?
今度は違う意味で心臓がバクバクしてしまう。それもそのはずで、後ろ暗いことがバレた後なのだから、それはそれは鼓動が速まったわけである。胸元を強く握りしめる手のひらにも冷や汗がこれでもかと浮かんでおり、少しずつブラウスシャツに吸われていっていた。
えっ? 枝降くんは私を殺しにかかってきていたりするのですか?
恋愛感情と後ろ暗さ――はバレていたわけですが――、そして書籍化作家であろうというみっつの秘密でええええ!
◆◆◆
疑惑を晴らすには、自分から動かなければならないだろう。帰り際の言葉の意味が解らずに、どういうことなのかと考えすぎて、昨日は六時間ほどしか眠れなかった。このままモヤモヤしたままだと、睡眠時間が短くなるであろうことは目に見えている。ついでに言えば、お風呂の中でもいろいろ考えてのぼせかけましたわ。もうこれは聞いた方が早いと思ったのは、その時である。妙案だと自画自賛した後に、きちんと聞けるのかと不安が募っていった。だが、聞かなければなるまい。緊張するがしかたがないことなのだと、腹を
「枝降くんっ!」
今日は呼び出しを受けることもなく、無事に放課後を迎える。ふたりきりの教室の中、勇気を振り絞って枝降くんに向き直った。
枝降くんは相変わらずの速さでの入力作業中だったのだが、「どうしたの?」と視線を向けてくれた。紫色の瞳からはきょとんとした色が窺えるが、それがまた色香を漂わせていることを知ってほしい。無防備さんがよい仕事をしていることを。荒れ狂う心のままに叫びたくなるが、優先すべきことを進めなければならない。話を先に進めるため、少しだけ緩んだ緊張感のまま、私は続きの言葉を紡いでいく。色香に飲まれないようにして。
「お聞きしたいことがありましてですねっ! あ、いや、言いたくないなら、言わなくてもいいですのよ?」
「なんだかどこかのお嬢様のような言葉遣いになってるよ?」
たとえマスク越しであったとしても、くすりと笑う気配が解る。そんな甘いような雰囲気を出さないでください。やめてください、お願いします。色香がすごいことになっていますからぁ!
防御もなしにあてられたまま、「しゅいましぇぇん」という言葉が思わず漏れてしまった。だが、声も小さいし、なによりも呂律が回らなくなっているようだ。心臓だってとてつもなく煩い。エルフ(仮)さんの色香はすさまじいです……。
枝降くんは「いまの会話に謝る必要性は皆無だと思うんだけど」と返してくるが、私には「な、なんか、思わず出ちゃって」と答えるだけで精一杯だった。
「そう」
「うん」
短く返した後に訪れた沈黙は、心臓の音を際立たせているようであり、逃げ出したくなる。恥ずかしい上に、聞かれるわけにはいかないのだ。そう解っているのに、枝降くんから視線が外せなかった。マスクを外したその顔が、あまりにも真剣で切なげだったから。神々しいほどに美しく、とてつもないほどに儚げだ。それでいて、触れれば壊れてしまいそうな危うさもある。そう、触れてはいけない芸術品だ。
一度微笑みを浮かべた枝降くんは、「あのね」と、閉じていた口を開く。
「美々内さんの質問に答える前に、俺から言いたいことがあるんだ」
「あ、は、はいっ。どっ、どうぞっ」
緊張で乾いてしまった唇から漏れるのは固い音。次いで、ごくりと唾を飲み込むと、枝降くんの唇が動いていく。
「俺は美々内さんとの仲を深めたい」
「――はい?」
耳に届いた言葉の理解が追いつかずに、呆然となる。枝降くんはなんと言ったのだろうかと大混乱になり、え、えっ、えと、小さな音しか発せられずにいた。そんな私に手を伸ばしてきた枝降くんはといえば、優しく頬を撫でてくる。とても優しく。
「美々内さんの隣にいるのは他の誰かではなく、俺だといいなと思っているよ」
「そ、それっ、それは……っ、その意味はっ」
えっ? 枝降くんは私を彼女にしたいと、そう思っているということですか……?
「な、なんででしょうか?」
衝撃が大きすぎて逆に冷静になってしまい、普通に問いかけが出来てしまう。なぜ私を彼女にしたいのかと。続く美声が形作るのは、「そんなの簡単だよ。好きだから」という第二の衝撃だった。「はっ?」と空気を震わすのは一瞬で、後は目を回すしかない。
「いやいやいやいや、私は凡人ですけど!? いいところなんてありませんよ!? 枝降くんと釣り合うはずがないんですよおおおお!」
切れぎみにそう返すと、枝降くんは「美々内さんのいいところは知っているから大丈夫」と笑みを浮かべる。とても柔らかな笑みを。最初と最後の言葉をスルーしているのはなんなんでしょうか? ねえ、どうしてですか?
そう声に出さずとも、凝視していることで言いたいことは枝降くんに伝わったのか、「まあ、そう焦らずとも俺の話を聞いてよ」と宣った。衝撃が引かずにぎこちない頷きになってしまった私を見つつも、話は続けられていく。ぎこちなくも頷いたのは、続きを聞かなければならないから。でないと解らないままだ。
そうして解ったことは――、枝降くんはこの世界の住人ではないということだった。
ではどこの住人なのかと聞かれれば、こことは異なる世界の住人だと答えよう。枝降真乃斗は偽名であり、剣と魔法のファンタジー世界に暮らしていた王族であるともつけ加えたい。
第三王子たるマノガルガ・トリアス。それが枝降くんの本名で、昔からエルフが統治するトリアス王国で生まれ育った。それはそれは大切に育てられ、成長するにつれて自身が王子なのだと自覚すれば、強さも求めたらしい。なぜなら、大切な人たちを守れるようにと。ついでに言うと、王子は第四で、王女は第三までいる。枝降くんには兄と姉がふたりずつおり、弟に妹もいるということだ。ちなみに、枝降くんは二百歳を軽く越えているようだが、エルフの中ではまだまだ若い方らしい。年齢差がすさまじいなあと思いつつも、長命種なので見た目は十代である。うん、ギャップがすごい。
騎士団のひとつである近衛――王族の護衛を担う人たちに混じっての日々の訓練やダンジョン攻略により、国中にその名と強さを知らしめた頃、辺境伯爵から縁談をもたらされた。辺境という場所を守るために独自の兵を持つことを許されておりつつ、伯爵自身ももちろん強い人であったが、プライドの方も高い人であると言う。それでも、枝降くんはその縁談を断ったようだ。好きな人は自分で見つけたいと言って。
プライドが傷つけられたことが余程許せないのか、伯爵から命を狙われることとなり、ふたりの従者を含めた三人で世界を越えてきたという。自分がいると面倒ごとになるからと、きっちりと家族と話し合ってから。家族からは止められたが、辺境伯爵は必要な人材だ。だから逃げるが勝ちとしたらしい。もちろん、切って切れないこともないが、好き好んではしない。そういうことのようだ。要は平穏がいいと。
国を変えるだけでは追いかけられそうなほどだったので、世界を――次元を越えることにした。だがしかし、いくら魔法に長けているエルフといえども、次元を越えることは難しく、願いに応えてくれた女神様のお力添えがあってこそだった。枝降くん曰く、辺境伯爵の差し向ける刺客は表だってではなく裏でこそこそとであり、女神様の方は暇潰しの面が大きいようだが、久しぶりに力をふるえたことで大変喜んでいたようだ。その証拠だというように、認識阻害魔法や回復魔法は使えるように躯を整えてくれたという。しかし、むやみやたらに使うことを女神様は是とはせず、越えた先の次元で騒ぎにならないための処置のようだ。確かにこの美貌ではなんらかの騒ぎになっていただろうし、使えるようにするのは大正解だろう。
そこまで至り、積もっていた疑問がようやく解消した。みんながみんな、枝降くんの姿に反応しなかったのはそういうことだったのだと。ということは、効かない私にはなんらかの魔法耐性があるのでしょうかね。
枝降くんにそう――「私には効いていないようだから、なんらかの魔法耐性があったりするのかな?」と聞くと、「それは違うよ」と、ばっさりと否定されてしまった。
なにが違うのかと言いたげに緩く首を傾げてみると、枝降くんの口端が緩んだ。「俺を知ってほしかったから」と。だから私には魔法は使っていないと言う。
朗らかな笑みに心臓が爆発四散しそうになるがしかし、なんとか堪えて疑問を口にする。みんなにはどう見えているのかと。どうして瞳の色が変わるのかと。ビックボアとはどういう意味なのかと。堪えに堪えたお蔭で震えてしまった言葉たちに返ってきたのは、「ひとつずつ答えるから聞いていてね」という言葉だった。美しく優しい声に「うん」と短く紡いだ。
見える姿は私と差異はない。ただし、言ったとおりに強めの認識阻害魔法を使用しているために、そこにちゃんといるのに影がものすごく薄く認識されているようだ。言ってみれば、路上の石ころのような存在らしい。尊顔を拝めないのはすごくもったいないなあと思うが、私しか知らないのも、それはそれで面白いのかもしれない。枝降くんではなく、私がである。なんといっても、私だけ尊顔を好きなように好きなだけ拝みまくれるのだから!
にやけそうになる口元を慌てて隠すと、枝降くんはまだ残っていた謎を回収してくれた。瞳の色が変わるのは、認識阻害魔法の調整をしているからであり、元の色は紫が正解のようだ。どの色も美しいから、見ている方には――私には一切の損はない。
ビックボアの謎はといえば、どうやら女神様の計らいにより、元の世界の情報を知るために短時間だけなら行き来ができるらしく、その時に狩ってきたらしい。ついでに言うと、伯爵はまだ頭に血が昇っているみたいだ。ビックボアを狩るのにはそれなりの時間を要したようだが、数年に一度あるかないかの巨大さが魔法の効果を少なくしたのでしかたがない。倒した後には家族や騎士団、孤児院、肉屋やギルドに分け与えても消費が追いついていないようだった。もちろん、情報収集に行くのは変装した従者たちであり、枝降くんは家で留守番をしている。
そしてやっぱり、枝降くんは書籍化作家である森人えるふーるさんだった。なんとまさかのまさかで、物語を書き始めたきっかけは私だと仰った。意味が解らないという顔をしているであろう私に、先程とはまた違う柔らかな笑みが向けられる。あれはね――、と。
あれは中学一年生の春休み。すなわち、学年が上がる前の休みであり――枝降くんがこの世界に送られてきた日のことだ。安心安全かつ遠くの世界を望んだ結果、女神様により現代日本が選ばれた。「確実な安心安全とは言い切れないところもありますが、命を狙われる世界よりかは優しい世界でしょう」というのが女神様の言葉である。
この手の話によくある森や草原、はたまた上空ではなく、住宅街の中にある公園に飛ばされたらしく、そこに私がいたらしい。紙袋をしっかり両手で持って天に掲げながら、「買ったどー!」と大声を上げる私が。曰く、周りの人たちのことなど視界にも止めず、とても幸せそうな顔をしていたようだ。
……なんかその場面を知っているぞ? いや、知っているぞ? ではなく、解っている。
それは三年ぶりの最新刊で、そしてシリーズ最終刊となる文庫が発売された日のことだ。最終刊の発売を知ったその日に、本屋さんに走って予約をしにいったくらいに大好きな物語だったので、家に帰るまで待ちきれなくて、通りにある公園のベンチで少しの休憩をするという前提で、少しだけページを捲ったのだ。それはそれは興奮ぎみに。最終刊の刊行に時間を要した理由は
懐かしさに感慨深くなるが、それはそれだ。いま重要なのはそこではないんだ。見られていたなんて知らなかったですよ!
えっ、本当に? 嘘ではなくて?
疑いの眼差しは、枝降くんの頷きという肯定で羞恥へと変容する。「えぁあぁあぁっ!?」と頭を抱えながら叫ぶ私に対し、なんと話を続けていった。「鬼がいるんですがぁ」という泣き言はもちろん、枝降くんの言葉に溶けて消える。そして、話の途中から頭を上げたのは言うまでもないだろう。枝降くんの言葉が気になってしかたがないのだから。
こちらに渡る前に女神様の手によって、この世界の知識と住む場所を与えられていたから、さほど不安はなかったんだけどね、それでも緊張はしていたんだ。なにがあるのか解らないからね。
けれども、楽しそうに読書をする美々内さんの姿を見た瞬間、そんなものはどこかにいってしまったんだ。――一目で心を奪われてしまったからね。
だから俺も、創作を始めてみたんだよ。他でもなく美々内さんに笑顔になってほしくて――。まさか書籍化するとは思わなかったけど。
最後に肩を竦めながらおどけた枝降くんは、思い出したかのように「あ、そうだ。美々内さんを探ったことは謝らないと」と、そんなことを紡いだ。「ごめんね」と続けて。
「さ、探ったとは……?」
どういうことかと枝降くんに問うと、「名前、年齢、住んでいるところに趣味、スリーサイズ、生活の様子なんかを逐一報告させたんだ」としれっと答える。本当に平然と。
なんですと!? ということは、あんなことやこんなこと――部屋着はジャージとか、魔術師エルフを拝読中にじたばたしていることとかいろいろ――を、この、エルフの王子様に知られているということですか!?
本名を知っても、ついつい呼び慣れた枝降くんと呼んでしまうことを差し引いても、割りに合わない気がする。これは謝られても、謝られたことにはなりそうにもない件ではないですかね?!
すさまじい羞恥と呆気とがない交ぜになり、言葉が出てこない。顔が熱くなる頃には、枝降くんにふたたび頬を撫でられた。
「美々内さんにも、俺のことを知ってほしい」
「そ、それは、枝降くんと同じようにストーカーをしろと、言いたいのですか……?」
「全然違うよ。捕まるようなことはさせないから安心してほしい。俺は、俺から直に教えてあげると言いたかったんだ」
「おぉう、なんて贅沢なことなんでしょうか!」
枝降くんの言葉にテンションが上がってしまったが、なにも間違っていない。だって枝降くんだし! いろいろ知られていても、枝降くんならいいかなと思ってしまうほどなのだ。枝降くんは強いんですよね。なにがとは言わないけれど。
「美々内さん。俺は美々内さんのことを凡人とは思えないし、釣り合わないとも思わない。釣り合うかそうでないかは俺と美々内さんが決めることで、他の誰かが決めることではないよ」
そのはっきりとした言葉に「そうかな……?」と返すと、「そうだよ」ときっぱりと言われた。そうなんだろうかという不安が消えないがしかし、枝降くんを悲しませるのは嫌だ。
「言ったとおりに、俺は美々内さんとの仲をいま以上に深めていきたいんだ。だから、改めてよろしくね」
「こちらこそ。けれど、ひとつだけ言っておきますね。私の初恋はアニメキャラなので、その……、す、少しずつ進めていただけたらいいなあと思います」
不安を無理矢理飲み込んで、小さく頷く。恋愛には不安が付き物なのだと開き直って。
いくら私でも、恋愛感情についてはきちんと解っている。枝降くんに何度ときめいたか、もう解らないほどなのだ。けれども恋愛初心者なのは本当のことなので、予め言っておく。予防線を張っておいても損はないだろうし。いや、恋愛強者であろう者たちにバカにされる可能性はあるが、それはもうしかたがないことだと割りきるしかない。
返す言葉もないほどの衝撃を与えてしまったらしい枝降くんをおずおずと見ると、「美々内さん!」とがばりと抱きしめられる。
「うゎほぅっ!?」
「――かわいい」
いきなりの行動に心臓が飛び出そうになったが、耳に届いた言葉にさらに顔が熱くなっていく。どうやら黙ったのは、衝撃からではなく、感極まったからのようで安心する。恋愛百戦錬磨の見た目をしている枝降くんに、恋愛初心者な私ではとてもダメな感じがしていたから。
「実に大胆でございますねえ! 殿下!」
「いきなり誰ぇ!?」
スパーンと勢いよく開けられた廊下側の窓の向こう――私の正面には、正装――騎士服とメイド服に身を包んだ美男美女がいた。枝降くんと同じ薄い緑色をした髪に金色の瞳をしている。察するに、おそらくは従者の人たちだろう。殿下とも言っていたし。それと、王族の人たちは金色ではなく、紫の瞳になるんだろうか? 王子である枝降くんは紫だしね。いや、他は違うのかもしれないけれども、私は枝降くんを基準にします。
思わず大きな声が出てしまったのは、それこそいきなりだったから。声をかけられた一瞬でふたり同時に躯を跳ねさせ、次いで離された私は、いまだにふわふわした感覚に見舞われていた。夢のようで夢ではない現実に、心も躯も追いついていない。
なぜか枝降くんから頭を撫でられる間に、少しずつふわふわが消え去っていくのが解るのだが、やっぱりどこか夢のように感じてしまっていた。
「覗きとは趣味が悪いね」
「とんでもございません。日々殿下の身の安全を確保するのが、私たちの役目でございますから」
いや、ただただ暇潰しのように邪魔をしに来ただけだよね? と言いたげな枝降くんの冷たい視線をものともせずに、そのままよいしょと軽々と次々に窓を乗り越えてくる美男美女さんは、枝降くんの隣に立った。三人とも手足が長いのが羨ましい限りですわ。
「えっと……、従者さんたちはどういったご用でしょうか?」
抱きしめられているところをばっちりと見られていたようで、その気恥ずかしさになんだか視線が合わせづらい。いや、大変麗し眩しい美男美女ということもあるけれども。
「そうですね。前々から殿下と仲のよい美々内様にご挨拶をと思っておりました」
なるほど、だからふたり一緒のところに来たのか。おそらくは仕事の傍らで。納得したように「そうなんですか」と答えると、美男騎士が「ええ」と笑んだ。枝降くんはといえば、「いまでなくてもいいと思うけど?」と紡いだけれども。トゲのある言い方で。だがしかし、美男騎士は気にすることもなく口を開いた。
「お初にお目にかかります、美々内様。私は殿下の護衛兼従者であるロイド・アルガーシャと申します」
「同じく護衛兼従者であるリリール・アルガーシャと申します。
「え……?」
美女メイド――リリールさんの言葉に目を丸める。赤白だって? 私が知る赤白さんはひとりしか思い至らないが、まさか――。
「も、もしや、あ、『赤白ワイン好きー』さん!?」
「さようです」
微笑みながら頷くリリールさんには開いた口が塞がらない。「本当ですか!?」と驚くしかないだろう。
ワイン好きーさんは、その名のとおりに赤と白の両方のワイン好きであり、魔術師エルフの連載当初からファンアートを送っている人だ。初めて送られた時から二人一組であるということは読者に知らされていたが、繊細なライオル様や仲間たちを見事に美しく描き、シックからポップまでお手の物といった具合に色が塗られているイラストは、もはやプロと変わらないほどだ。あれで趣味だというのだから、価値観が違うらしい。
リリールさんの言葉を裏づけるように、ロイドさんが続けていく。私服のようなライオル様のイラストを手にして。なんか格好をつけているようですが、どこから出したんですか、それぇ!
「殿下から聞き出した容姿などを私が形にし」
「私が塗ります」
今度はどこからかペンタブレットを出したリリールさんが、シャキーンと格好つける。つまり、ゲームの原画のように描く人と塗る人とで分業しているようだ。
手にある私物をどこかに――アイテムボックスかな?――仕舞ったロイドさんとリリールさん曰く、力ある騎士団員となり得る人物を多く輩出する貴族家の出身で、
枝降くんはいつの間にかトゲが消えていたのかにこにこしているし、よかったよ。私は枝降くんの怒った顔は見たことがないけれども、美形は怒ると恐ろしくなるとも言うしさ。
何気に回避していた強運にすごいなあと感心して、はたと気がつく。気がつくのが遅かったが、きちんと気がついた。そう、とても重要なことに!
「三人の神が同じ場所にいるなんて……っ!」
夢か、これは夢か。いや、現実だ!
感極まり震える私に対し、枝降くんは「そこまで喜んでくれるなんて嬉しいな」と、さらに笑んでいた。なんていい笑みなんだろうか。
そうですよ、枝降くんの言うとおり、嬉しくないはずがないんですよ! なにせ、大好きな物語を作る人たちの一端を知ることができたのだ。騒ぎ出したい気持ちが後から後から湧いてくるが、大騒ぎしないのは迷惑がられたくないから。欲望に忠実だけれども、嫌われたくないし、枝降くんの困るようなこともしたくない。隣にいたいから――。
どうやら、私は私が思う以上に枝降くんのことが好きらしい。
そう改めて気がついて、そして新たな問題に直面する。私はこの、友人兼王子様、そして書籍化作家である枝降くんと釣り合うようにならなければならないのかと。……無理ゲー感がとても強くないですか?
絶望が顔を覗かせるが、「これから第七章を頑張るから、続けて読んでほしいな」という美声と笑顔に、悲観が揉みくちゃになりねじ切れていく。いくら釣り合わないと思っていても、私が好きになったのは枝降くんだ。絶望に負けてはいけない。私は私の恋を貫きたいから。たとえどんな結果になったとしても。だから枝降くんの願いを叶えるように、頷きを返す。
「もちろん読むよ!」
そう元気に答えながら。枝降くんは一度口端を緩めると――額に唇を落としてきた。
おやおやまあまあと従者たちがにやにやとした笑みを浮かべる中、枝降くんは気恥ずかしげに笑い、そして紡ぐ。「かわいい」という、そのひとことを。
枝降くん枝降くんっ! あなたは私の心臓を爆発させようとしているんですかね!?
どうやらこの恋を貫くためには、私の心臓と躯はひとつでは足りないようです。幸か不幸かは解らないけれども。
(完)
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