影に潜んだ蠢く存在





 病院に蔓延っていた悪を無事圧倒した私達、燐香ちゃん一行は入院患者達の安全確保と言う当初の目的を果たし、お互いの健闘を讃えた。


 なんて言ったって、二階のテロ組織の人達は上の階を担当していた仲間の異常に気が付いており、厳戒な警戒態勢を敷いて私達を待ち構えていたのだ。

 当然、銃器を持った完全装備の連中がしっかりと警戒しているなんて、普通の人ではどうしようもないくらい恐ろしい状態だったのだが、残念ながらこちらにいるのは“なんでも収納できる煙の力”を有した人とアホみたいに肉弾戦が強い人だ。

 色々と大変ではあったが、正直言って、負ける道理が無かったのである。


 簡単にまとめると、異能の出力に気が付いた相手に対して“紫龍”が囮になり、人質を取っていた相手の背後からあらかじめ煙に収納していた神楽坂さんを解放し、奇襲させる。

 後は、混乱状態に陥った相手に総攻撃を仕掛ければ特に苦労することも無かった、という訳だ。


 人質になっていた一般人達も、私達も、テロ組織を制圧する上で特に誰も怪我をすること無く、事を終えることが出来た。

 巻き込まれた一般人としてはこれ以上無いくらい上等、めでたしめでたし、なのである。


 だからきっと、これ以上を求めるのは間違っていると思うのだ。

 求めるものをむやみやたらに大きくすれば、いずれ失敗するのは目に見えている。

 果たすべき役割は必要最小限で良い。

 無理に警察やICPOとテロ組織の本隊が争う場所に介入する必要は無いと、私は思う。



(でも御母様は前に、警察やICPOの戦力なんて当てにしてないって言ってた……)

「そんなことないもん。まったく、マキナは記憶力無いんだから」

(!!!???)



 二階を制圧し、さらに一階に行く気満々な神楽坂さんと、一階には心底行きたくないもののサボっていたと思われると後々酷い扱いを受けるんじゃないかで葛藤している“紫龍”と共に歩きながら、私は直接意思疎通を図って来たマキナにボソリと返答した。

「何か言ったか?」と聞いてきた神楽坂さんに否定を返しつつ、私は今後どうするべきかについて頭を悩ませる。


 マキナの言う通り、警察やICPOが解決してくれるだろうと信じ切るのが危険だとは私も思う。


 だが私だって人間、怖いものは怖いのだ。

 この広範囲に渡る異能による暗闇。

 国を跨ぎ移動できる高出力しかり、応用の利きすぎる異能の性質しかり、どれをとっても厄介かつ強力な相手なのは火を見るよりも明らか。

 これから対峙するだろう異能持ちは、恐らく真正面からやり合うなら、今まで私がやり合ってきた中でも最上位に位置する厄介さを誇るだろう。


 その上、この場にはICPOとか言う異能に対する見聞の深い、かなりの戦力や資金を有する大組織が存在するのだ。

 ICPOと協力してこの事件を解決したとしても、彼らに私の素性を把握された場合、私はもれなく確保されドナドナされることは間違いない。



(それだけは何とか回避しないといけないのに……それだけはっ……!!)



 情報遮断の為にマキナを作り、他の異能持ちにバレない様に異能の出力を超微細な操作が出来るよう訓練し、自分自身を起点とした誤認の異能を常に使っている私が、そうやすやすとバレることは無いだろう。

 だが、多少の異能使用なら誤魔化す自信はあるものの、流石に感情波(ブレインシェイカー)や精神破砕(ソウルシュレッダー)みたいな派手なのは誤魔化せない。

『それらを使用しない縛りをしてこの暗闇を作っている異能持ちを倒せ』は、無理では無いだろうが安全性は皆無と言っていいだろう。

 それに、神楽坂さんに私の異能がバレた時とは違い、失敗した時の被害が大きすぎる。


 だが結局、色々言ったところで神楽坂さんと“紫龍”だけに任せるとか出来ないのだから、私も行くしかないのだが……純粋に無理難題に囲まれた今の状況に、心が折れそうなのが正直なところ。



「ふ、ぐぅっ……」

「そ、そんな泣きそうな顔で勢い良く首を横に振らなくても……分かった分かったから、佐取が言いたいことは分かった。行きたくないんだな? この下にはヤバい奴らが一杯いるかもしれないから嫌なんだな? 分かってる、佐取は無理に行く必要はない。そりゃあ、佐取がいてくれたら心強いが、無理に連れていくつもりなんてないから安心してくれ」



 階段まで辿り着いたギリギリの場面で私はヘタレていた。

 悩めば悩むだけ八方塞がりの現状を理解して、足は根が生えたように重くなり、口数はものすごく減っている。


 なんでわざわざ今日こんな襲撃があるんだろう。

 私の行く先々に無理難題が転がっている気がする。

 ……と言うか、自分だって散々嫌がっていた癖に、“紫龍”が私の様子を見て同情しているのは非常に腹が立つ。



「……そうだ。わざわざこんな察しが良くて頭が回るだけのガキを連れていく必要も無いだろ? ガキはガキらしく、安全なとこで待ってりゃいいんだよ」

「……こんなアホと神楽坂さんを2人だけで行かせることなんて出来ないです……」

「人がフォローを入れてやったのにこのクソガキッ……!」

「フォローの言葉じゃなかったですぅ……!! 人を馬鹿にしたような発言でした!」

「……だからなんですぐ喧嘩するんだ……俺は仲裁なんて得意じゃないんだぞ……」



 むしろ俺が周りから抑えられるタイプだったのに……、なんて呆れた神楽坂さんが言っている。

 まあ、コイツの言動はいちいち腹が立つし、私もコイツが悪い奴だと認識していて、歯止めが効かなくなっているのもあるだろうが、その……あれだ、きっと異能持ち同士反発し合う様な何かがあるに違いない。



「チッ……ただでさえ異能持ってないお前だけで足手纏いなのに、こんなガキ……コイツが危険に晒されても俺は助けねぇからな!」

「へっ」



 最初に会ったときは、険悪な関係の相手とは言え知り合いに会えて嬉しさを隠し切れていなかった癖に、何人かテロ組織の構成員を制圧して自分の異能への自信と調子を取り戻したのか、“紫龍”は強気にそんなことを言う。


 彼、“紫龍”に“白き神”に操られていた時の記憶は無い。

 つまり、私と二回目に対峙した時の事は覚えていない訳だから、彼の記憶には私は異能を持たない単なる一般人に映っている筈だ。

 彼に残っている記憶はあの結晶を使った強化状態の時、私のブレインシェイカーによって何をされたのか分からないまま気絶したと言う事だけ。

 どうせ出力も探知できていなかっただろうから、私が異能で攻撃したことすらも分からなかったのだろう。

 コイツからは私を戦力として数える気が無いのが見て取れた。


 私が合流する以前に神楽坂さんがコイツに異能犯罪を解決する部署がどうとか言ったらしいので、その専用の装備が何かがあるんじゃないかと期待しているくらいだ。



「……うん、覚悟を決めました。行きましょう。行ってさっさと終わらせてしまいましょう!」

「うお!? い、いきなり元気になるな……まあ、暗いよりもずっと良いに決まってるか……」

「配置順は私が最後尾、神楽坂さん真ん中で、貴方が一番前、何かあっても煙になれば回避できるんだから問題ないですよね!」

「いきなり仕切り出しやがって……チッ、分かったよ」

「あとは……ううん……」



 この暗闇の中で、何が一番怖いのかを考えた。

 視界が潰されて、音と手に持つライトの光と私の読心による探知、これらを用いて周囲の索敵を行う時、あのスライム人間が現れたら一番怖いだろうか、なんて考える。

 私が、少し逡巡しつつ“紫龍”に思考誘導を掛け異能の出力を気取られないようにした後、周囲に薄い出力の波を放ってみる。



「……は?」



 万が一。

 保険の保険。

 そんな気持ちで使った、異能を弾く存在を検知するための行為は私にその存在を知らせて来た。


 一階、階段下りてすぐ左の部屋。

 異能を弾く人型の何かが、蠢いている。


 これまで何度も対峙したあの、人型の怪物に酷似した存在が暗闇の中そこに居る。



「――――……なんでここにいるの?」

「……どうした?」

「ああ? まだヘタレてんのか? いい加減行くか残るか決めろよクソガキ」



 何か目的を持って動いていたそれが、私が放った微弱な異能の出力の波に気が付いたようで弾かれた様に動き出した。

 周囲を警戒し、音も無く廊下に出て、それから、階段方向へ確認を。


 そこで私の放った異能の波で受け取れる情報が終わってしまう。



「……」



 訝し気に私を見ていた神楽坂さんと“紫龍”が、私が睨むように見つめている階段の先へゆっくりと目をやり、そこに人影が現れたことで表情を固くした。


 現れたのは、以前も見た銀色の人型。

 生物的な温もりを感じさせない見た目で、自然界ではありえない、液体と固体の性質を同時に併せ持つ知性体。

 それが、階段下から私達を見付け……神楽坂さんの姿を捉え、驚いたように硬直した。


 まるでこの場所にいる筈のないものを見たように、このスライム人間は衝撃を受けている。



「コイツはっ!!」

「な、なんだコイツは……? こいつも、海外のテロ組織の仲間なのか……?」


(そんな訳ない。でも、今この場にいるのには理由がある筈で、即座に私達の排除へ移らない理由もある……みたいだけど)



 ソイツが、くるりと私達に背を向けて逃走しようとするのを確認した私は、攻撃の決断する。

 マキナに指示をしようと、私は携帯電話に思考を送ろうとして。



(御母様もう一つ。接近してくる異能の気配がある)

「……!?」



 逃げようとしていたスライム人間が、一階から恐るべき速さで飛び込んできた人影に吹き飛ばされ、なす術も無くその体を水のように飛び散らした。

 地面に広がった水溜りのような、スライム人間の残骸を踏みしめながら、その子供は私達を見上げる。



『……なんか、異能の気配がしたから急いできたけど、暗すぎてよく見えない……そこに誰かいるの……?』



 見た目は、金髪の小学校低学年程度の子供。

 見覚えがあるその子は、確か病室から見た警察関係の人達の中にいた子供だ。

 ライトを持つ私達を見えていないのか、しきりに周囲を見渡しながら、声を出して確認をしている。


 そして、暗くてよく分からないが、あまり調子が良いようには見えない。

 恐らく、目に見えてこの子供の周りだけ“影”が濃いのが影響しているのだろう。

 疲れたように、何かを見つけ出そうと必死に暗闇の中を探っている。



(誰からか攻撃を受けている? いや、それよりも、こんな単純な物理攻撃じゃあのスライム人間は……)


「な、なんだICPOの異能持ちのガキか。と言うか、あれだけのテロ組織との戦いを切り抜けて、あの気味の悪い人型を一蹴できるなんて、やっぱり世界レベルとなると異能の質もぶっ飛んでやがるな……。おーい、俺だ、上の階の奴らを倒すように言われた“紫龍”だ。こっちに」



 ズルリッ、と床に広がっていた水溜まりから、身を捩じらせながら人型の怪物が少年の背後に姿を現していく。

 そのあまりに不気味な姿と一切異能の出力が感じ取れないことに、一瞬絶句した“紫龍”が慌てて声を張り上げる。



「ばっ、ガキッ! 後ろを見ろ!!」

『……?』



 声が届いていない。

 恐らくではない、確実に、少年の周りに纏わりついている“影”がより強く外部からの情報を遮断している。

 自分を攻撃して来ない私達のぼんやりとした姿を、不思議そうな顔で窺っていた少年に向けて腕を鋭利に尖らせた人型の怪物が振り被るのを見て、神楽坂さんが慌てて飛び出した。


 薄皮一枚の差で、少年を抱き抱えて人型の怪物の攻撃を回避した神楽坂さんが、その勢いのまま階段を転がり落ちていく。



「煙であのスライム人間を収納出来ますかっ!?」

「今やってるっ……出来ねぇ!! 異能の出力も感じねえ! 何だあの化け物!! 海外の異能持ちはこんなふざけた性能してんのか!?」

「とやかく言ってる場合ですか! 収納できないなら、倒すしかないんですよ!」

「どうやって!?」

「私と神楽坂さん相手にやったみたいに物理攻撃です!」



 階段から転がり落ちる神楽坂さん達を追撃しようと動いたスライム人間に、私と“紫龍”が飛び掛かりに行く。

 私はコイツの為だけにわざわざ用意したスタンガンを手に、“紫龍”はスライム人間の周囲に漂わせていた煙から鉄材を怪物目掛けて射出して。


 “紫龍”が射出した鉄材によって腕や脚、胴体に穴を空けられたスライム人間に、私がスタンガンを押し当てると、予想していた通り、液体の性質を持つこいつには非常に有効なようで、火花を散らしながら体を激しく痙攣させる。

 だが、それでも致命傷には至らないようで、このスライム人間は痙攣しながらも即座に体を構成する液体の性質を変化させた。


 電気を通す液体から通さない液体へ。

 幾つかあるそんな液体の中でも、自然界でも科学的にも作られていない、純度100パーセントの水へと切り替わる。


 そして、その切り替わりはこんな至近距離であれば瞬時に感知できる。

 瞬間、私は大きくその場を飛び退き、何とか距離を取って、完全な超純水となった怪物が自身の体を爆弾のように弾けさせた攻撃から回避する。


 下がった私の隣に、煙の中から“紫龍”が現れた。



「馬鹿野郎! 異能も無いのにあんな化け物相手に近寄るんじゃねえ!!」

「攻撃道具そういうのしか持ってないんだから仕方ないじゃないですか! 銃とかあれば私だってそれ使いますよ!!」

「だからっ、お前は前に出ないで相手の動向や特徴を観察して弱点とかそういうのを見付けりゃいいんだよっ!」


(うるさいバカアホマヌケ! コイツの情報を一番持ってるのは私なんだから、私が一番安全に立ち回れるんだってばっ……! と言うか、やっぱりこの暗闇状態でコイツとやり合うのはいくら何でもっ……!!)



 想定される限り最悪に近い状況だと言うのを再確認して私は歯噛みするが、思わぬ助けが横から入った。


 不可視の衝撃波が階段下から放たれ、スライム人間を吹っ飛ばしたのだ。

 神楽坂さんが抱えたICPOの少年が放っただろうそれで、再び散り散りになって床に広がったスライム人間に、私は素早く核となっているだろう指を探して、見つけ出す。

 そして、その指に飛びついた私はそれを“紫龍”目掛けて放り投げた。



「それだけがコイツの中にあった固形物です! 収納を!!」

「――――っっ!」



 何の返事も、音も無く、怪物の核となっていた指が煙の中に収納された。

 続いていた激しい争いの音がピタリと止み、再び復活するんじゃないかと警戒していた“紫龍”が動かない水溜りが消滅していくのを見て、安堵のため息を漏らす。


 流石に煙の中に核が閉じ込められたら、異能の行使は出来ないらしい。

 まあ……当然なのだが。



「あ、あ……危なかった……なんなんださっきの化け物は……そ、それより、ガキ、お前やっぱり観察力ヤバすぎないか……?」

「たまたま、運良く、目に入ったんですよ……うぐぅ、本番まだなのにもう疲れた……」

「と、ともかく、ヤバい奴を倒した事には変わりないか。ふう……おーい、ICPOのガキ……って、これじゃあ区別が付けられねえか。確かレムリアとか言っていたっけな……神楽坂とやら、レムリアとか言うガキの様子はどうだ?」

「……取り敢えず、怪我はしてないみたいなんだが……」



 含みがありそうな神楽坂さんの返答に眉を潜めた“紫龍”が、私に一瞥送ってから神楽坂さん達の元へ向かっていく。

 私も、周囲の警戒をしながらもそれに続き、状況を確かめる。


 集まって来た私達を見て、神楽坂さんの腕の中にいる少年は目をぱちぱちと瞬かせながらゆっくりと微笑んだ。



「わー……、助けてくれてありがとう。本当に怪我はないんだよ。えっと、“紫龍”さんだよね。ルシアと柿崎さんは神薙先生のところに行って、僕は異能の出力を感じたところを駆け回っていたんだけど、なんだか体が重くて……でも大丈夫、僕はまだ頑張れるから。早く、『泥鷹』のボスを見つけて、この暗闇を解除させないと、いけないんだけど……」



 強がり混じりにそう言った少年の姿は見るからに体調が悪そうだ。

 フラフラとしながら何とか自分で立ち上がろうとしているものの、足に力が入らないのかバランスを崩し、神楽坂さんに慌てて支えられる。



「……どうなってる? 顔面が蒼白で生気がないじゃねえか……本当にさっきの怪物に攻撃された訳じゃないのか?」

「いや、俺も分からないが……体温も低い……これは、いったい?」



 やけに衰弱してしまっている少年の様子に神楽坂さんと“紫龍”は困惑しているが、考えてみれば基本的に他人の異能の性質なんて異能を持たない人が知る由はない。

 だから、異能への造詣が低い神楽坂さん達が、この空気中の暗闇が人に有害な効果をもたらすなんて考えもしないだろうし、少年が苦しんでいるこの原因の見当がつかなくても不思議ではない。


 しかし、だからこそ私が手助けをする余地が産まれる。



「……ちょっと私に見せてください」



 そう言って、私は神楽坂さん達に近付き、具合の悪そうな少年の額に手を伸ばす。

 驚いたように身じろぎした少年の頭を撫でて落ち着かせ、そのまま少年の体に内封されている異能の出力を診断する。

 「お兄ちゃんが生物学を専攻していて、論文なんかを読ませてもらったりしているんです」なんて適当なことを言えば、“紫龍”は感心したように納得するのだから扱いやすい事この上ない。


 少年の体の内部の異能が僅かに暴走を起こしているのを確認する。

 と言うのも、空気中に広がっている“影”を取り込んだことで生命活動を蝕まれた結果、拒否反応を起こしているのだろう。

 少年の特異な異能の異常を抑制させつつ、入り込んでいた生命活動を蝕む“影”を捉え、処分する。


 単純な異能の出力を使った力技だが、この程度の副産物的な異能の使い方であれば私でも和らげることは難しくない。

 ただまあ、根本的な解決にはなっていないから、完全に体調を戻すには元凶を叩きのめす必要があるのだが、あと数分で手遅れになるのが数時間に戻ったのだから上出来だろう。



「……うん、取り敢えずはこれで楽になるかな」



 適当にそれっぽい応急措置をやっておき、“紫龍”の目をごまかすのを忘れない。

 これまでの、短く早い呼吸がゆっくりとしたものに変わり、体温が徐々に上昇を始め、顔色が少しだけ肌色に戻り始めた。

 少年の変化に驚きを見せた神楽坂さん達を尻目に、私は少年を背中に背負い立ち上がる。

 流石にあれだけ弱っていた少年を一人で歩かせるのは酷だろう。


 昔、妹の桐佳もこうやって背負って歩いたものだから、少し懐かしいものだ。



「さて、行きましょう。ICPOの人達に合流してこの子を渡してしまわないとですからね」

「あ、ああ、だが重くないか? 佐取の代わりに俺が背負っても……」

「私が一番戦力にならないんですから、私が背負うのが合理的です。それにこの子、小さいので全然重くないですし」

「……そのガキの言う通りだな。俺の煙に入れても良いが……体調悪い奴を入れて悪化するとか考えたく無いし、どうせ俺はそこまで信用されてないだろ」



 体調は戻っても、元気は戻らないようで、すっかり安心して寝入ってしまった少年を背負い直した私は、神楽坂さん達と共に一階の先に進んでいく。





 ‐1‐





 神薙隆一郎の元へ向かい仕事を終えた、異能犯罪組織『泥鷹』の中でも最上位の実力を持つ男、ロラン・アドラーは仕事道具であるライフル銃を肩に乗せながら病院の廊下を歩いていた。

『泥鷹』内でも有数の強力な異能を持ち、ICPOの襲撃で無力化されなかった数少ない男。

 ひょろりと長い手足と気だるげな顔は、到底荒事には向いているように見えないが、彼の実力を知る者は誰だって彼と事を構えようなど考えないだろう。



『たくっ、ボスは何処にいるんだよ。報告の一つも出来ないじゃないか』



 やる気のないそんな言葉を話しながら、ロランは周囲を見渡した。

 彼が探し求めるボスの姿は何処にもない。

 それどころか、病院内にいた一般人達はどこかの部屋にでも避難したのか廊下に残っている者はいない。

 この場にはただ一人、ロランだけが残っていた。


 それを確認したロランは再びぶらぶらと気だるげに歩き出す。

 どうせあの短気なリーダーの事だ、ロランの苦労なんて知らずに激怒して散々叱りつけてくることは目に見えている。

 それを考えるだけでロランのやる気は急激に落ち込んでいく。

 確かにロランの失態はいくつもあったが、それを補って余りあるほど色々やって来たと言うのに。


 溜息混じりにロランは愚痴をこぼすように声を出す。



『ああもう……ボス何処だよ……』

『ここだ』

『おっと』



 通りがかった廊下の壁に、背を預けて腕を組んだ大柄の男が姿を現す。

 顔にまで大きく入った刺青に、筋肉質な巨躯。

 機嫌の悪い顔を少しも隠す事無く気だるげなロランを睨むのは、肌を露出させるゆったりとした服を身に着けた男、グウェン・ヴィンランドだ。


 怒りの視線を受け止めたロランは肩を竦める。



『おいおいボス。この暗闇の中でボスを見付けるのは一苦労なんだ。報告に来るのに多少時間が掛かったって仕方ないだろう?』

『ふん……お前以外の構成員は全員やられた。ICPOの異能持ちに成す術も無くな。つくづく使えない連中だった』

『それはなんとも』

『それで、お前の神薙隆一郎を確保する任務はどうなった。まさか日本の下らない異能持ちから逃げて来たとでも言うんじゃないだろうな』

『ああ、動けないように捕まえて適当な部屋に入れておいてる。この国の異能持ちは、まあ、強かったが実戦慣れしてなかった。殺すのに苦労はしなかったよ。神薙隆一郎の場所まで案内しようか?』

『いや、もう良い。アレは『泥鷹』を再構成するために必要なものだったが、もういらなくなった。ここまで人員が欠けてしまえば、ここをICPOが補足して攻撃してくるまでに態勢なんて整えられない。しばらく息を潜める必要がある』

『作戦変更、ね。それならウチの奴らをやったICPOの異能持ちは始末できたのかい?』

『俺様の高濃度の“影”を奴の身に纏わりつかせた。もう数分も持たない筈だ』

『“影”、ね』



 困ったように頭を掻いたロランが不満げに問う。



『ボスのこの“影”の異能がこんな移動能力や毒作用があるなんて聞いてなかったんだが。突然飛ばされて……まっ、今更言ったところでどうしようもないか。それで、息を潜めるならここはどうするんだ? 一般人を含めた、ここにいた連中は放置してまた何処かの国にでも行くのかい?』

『ああ、別の国に行くぞ。まだいくつか候補がある。本当なら『UNN』のゴミ共がいないこの国で勢力を拡大させたかったが』



 そこまで会話した彼らの視界の端に、一人の逃げ遅れた老人が写る。

 眉を潜めたロランとは反対に、無言で暗闇に溶けたグウェンは瞬間、その老人の前に姿を現した。

 ビクリッ、と何かの気配を感じて恐怖に体を震わせた老人の眼前に、グウェンは物質化させた菱形の黒い結晶を浮かべる。


 そして、グウェンはその黒い結晶を怯える老人の額に当てる。

 自身の命を奪う動作を、ゆっくりとこの老人に見せ付けながら、グウェンは告げる。



『やられっぱなしは性に合わない。ICPOの奴らを含めてここにいる人間は皆殺しだ。この暗闇は閉鎖空間。誰一人だってここから逃がしはしない』

『……なるほど』



 ――――老人の額に押し当てられた結晶が破裂する。


 それは老人の命を奪うための攻撃、ではなく、何者かに攻撃を邪魔されたことによる崩壊。

 突然の事に、グウェンは目を見開いた。


 さらに続けて、何か粉の様なものがグウェンの背中に投げ付けられた。

 キラキラと光るその粉は、材質が分からず、さらには体に付着したそれは叩いても全く落ちることは無い。

 何事かと振り向いた彼の額に、やけに長い銃口が押し当てられた。


 問答もない。

 対物ライフルの空気を轟かす発砲音が連続する。

 個人に、ましてやこの至近距離で発砲するような用途ではない筈のそのライフル銃を、この暗闇の中であるにも関わらず、次々正確に急所へと撃ち込んでいく。

 “影”による咄嗟の防御、さらに射線から逃げるように暗闇に溶けてその襲撃者の背後に移動したグウェンを瞬きする間もなく追撃の狙撃が急所を襲い、殺し切れなかった衝撃で地面を転がり回ったグウェンはその襲撃者を血が滲んだ視界で睨む。


 はっきりとライフル銃の銃口をグウェンに向けたロランが、いつも通りの飄々とした笑顔を浮かべている。



『ロラン、貴様っ……』

『おっと、勘違いしないでくれよボス。俺は裏切っちゃいない。元鞘に戻っただけだ』



 疲れた、とボヤキながらロラン・アドラーはその痩躯から異能を放ち、酷薄な笑みを作る。

 ロランのその目にはグウェンに対する忠誠心など微塵も感じさせず、むしろそれは侮蔑に近い感情が見える。



『――――ICPO異能対策部所属ロラン・アドラー、こう言えば分かるか? 『泥鷹』のボス』



 そして、ロランの銃声を待っていたように、一切動きを見せなかった大きな異能の出力が動き出した。

 その異能の持ち主は、およそ人間に出せない速さで真っ直ぐにグウェン達がいる場所に向かってくる。



『何のために俺が神薙隆一郎の確保に一人で向かったと思ってる。彼らの安全を確保し、一般人の避難を手伝うために動くためだ。その動きをお前に気取られないよう、レムリアには大暴れしてもらっていた訳だが……もう充分だ。こうして俺の最後の仕事である、隠れ続けるお前を引き摺り出すことは成功したわけだからな』



 飛来する何かを察知したグウェンが危険を回避しようとその場から掻き消えるが、まるでこの暗闇の中でも移動した先が見えているかのように、即座に軌道修正した棚や椅子といった巨大な弾丸が突き刺さる。

 持ち前の頑丈さと身に纏う異能の防御で致命傷こそ避けたが、さらに放たれたロランの弾丸に足を取られ、さらなる追撃を許してしまう。



『ウチのリーダーは短気な上に今は虫の居所が悪い。抵抗してもいいが、その後の事は保証しない』



 背後に現れた飛禅飛鳥と冷酷な眼差しで銃口を向け続けるロランに挟まれて、グウェンは怒りのまま咆哮を上げた。






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