どこかの家族が歩く光景





 遠見江良と言う女性は昔かなり荒れていた時期があった。

 喧嘩に明け暮れ、まともに学校に行かず、夜遊びばかりの非行少女。

 自分を認めてくれない周囲への怒りばかりが募って家を飛び出し、最終学歴は中卒と言う身で、20にも達していない歳のまま子供を授かることとなった。


 結婚はしなかった。

 相手が誰だったか分からなかったし、分かったとしても責任など取るような奴はいなかったからだ。

 だから、一方的に絶縁した両親には頼らず、借金して子供を産んで、必死に働いて返済すると共に子供を育て始めた。

 家賃二万の安アパートに住み、小さな息子を一人で育てるそんな生活。


 そんな彼女の異能が最初に起動したのは、ある夜の事だった。

 仕事で疲れ切り、何とか息子を寝かせた彼女は深い眠りに落ちていた。

 蓄積していた疲労により、ここ最近は全く夢なんて見なかった彼女が眠りの中で、ある光景を見る。


 全く連絡の取っていなかった両親が、交通事故で車にはねられる光景だ。

 やけにリアルなその光景に、思わず飛び起きた彼女は、そのまま無意識の内に電話へと手を伸ばし、思い留まった。


 いや、何を考えているんだ。たかが夢、たかが悪夢。

 何も珍しいものでも無いではないかと何度も何度も異常を知らせる自分の感覚を誤魔化して、何とか自分を納得させた彼女は、その時から何度も見る同じ夢を無視し続けた。

 今は生活が苦しくて、子供も小さいからそんなことをしている場合ではないのだと自分を騙した。

 こんな悪夢なんかでは無く、いつかきっと、自分と両親との仲が氷解するきっかけが訪れる筈なんだと、心のどこかで信じてきって。


 その夢を見てから一週間後。

 彼女は、親族からの電話で両親が車にはねられ亡くなったことを知った。


 ついぞ、子供の顔を両親に見せることも出来ないまま、ずっと長い間口も利かないまま、彼女は両親と会う機会を永遠に失うこととなったのだ。





 ‐1‐





 異能、仮呼称するなら『救命察知』だろうか。

 普段は異能と言う現象にまで達するようなものでは無く、持ち主の危機的状況にのみ反応し、起動するタイプの異能持ち。

 この異能持ちのタイプは自分の才能に気が付くことなく、生涯を過ごす者が多い。

 そして、異能の出力が極めて微弱な事から、異能を実際に扱っている者からも察知されないと言う利点が存在する。


 これは個人的な私見だが、『UNN』が何らかの実験を行うことで異能を発現させていたが、あれは実験の成功によって全くの無の状態の者から異能を持つ者が産まれたかというとそうではないと思う。

 元々発現させるほどの出力を持っていなかった異能の才能を有する者が実験の対象となった場事で、異能の開花に成功したのだろうと思っている。


 ともかく、私は江良さんの歪な情報収集能力の元を知ることが出来た訳だが……まあ、確かにこんな事を誰かに相談するなんて無理な話だ。

 世間的に『非科学的な現象』が注目を集めている今、某動画サイトなどでは超能力やそれに類する現象を連想させる似非動画が急増している。

 公共電波を通じた真相究明番組なんかも出てきているし、自称超能力者の台頭も著しい。


 最近名をテレビでよく見かけるようになった、予言出来ると豪語する有名な占い師は、完全に偽物だし……まあ、そういう存在がいてくれるおかげで、徐々にこの世間的な熱も下火になるだろうとは思っているが……。


 問題は、そういう偽物が出回っていると言う事。

 ノリや冗談、狂言として取られかねない今の世の中では、江良さんの力を相談できる相手なんていなかったのだろう。



「で、その力で息子の危険を察知できたとして、なんで私を頼ったんですか?」

「それは……どうすればいいんだろうって、解決方法を考えていたら、貴方と会話する私が視えて……」

「……なんですその、とんでも性能。解決する未来まで視えるんですか?」

「わ、分からないのっ……でもっ、学校も警察も教育委員会も、どれを頼っても、駄目だった未来も視ることになって……」

「……それで直接私と袖子さんに相談に来たって訳ですか」



 生還するための正しいルートまで察知できるとか、化け物性能すぎる。


 そして、江良さんの異能による予知で彼女の息子を助ける鍵となるのは、恐らく私。

 私の異能、『精神干渉』を計算にいれたものなのだろう。

 ……変に情報が漏れていると言うことでは無いようで、取り合えずは安心した。


 私はため息を吐きつつ、被ったポンチョの位置を整える。

 家族に外出がバレないよう、小さな頃に使っていた雨衣を引っ張り出したが窮屈さはない。

 元々大きめのものだった筈だと自分を納得させ気にしないようにして、空を見上げた。


 雨が強い、こんな時は夜じゃなくたって外出したくないのだが、人の命が関わっているなら話は別だ。

 それも、私が一度何とかしたと思った相手に死なれるのは、目覚めが悪いにもほどがある。



「家に帰ってこないと言うことは、夕方の学校から? その貴方の、仮名として予知夢と言いますけど、それに手掛かりになるような情報は無かったんですか?」

「今回は、息子が帰ってくるのを待ってたら突然葬式に出ている私の光景が流れ出してっ……、情報は……分からないの。でも、この光景が流れた感覚は、もう時間がない時の……」

「……なるほど」



 私の異能範囲は無条件に拡大するなら500m。

 これで、街中虱潰しでやったところで、間に合わない可能性が出てきてしまう。

 自己防衛のための現象でしかないこの人の異能を無理やり開花させることも出来なくはないが、充分な準備も無く、さらには幼い頃の飛鳥さん以下の状態であるこの人を無理やり開花させれば、どんな反動があるか想像も出来ないし、今の私のサポートでは危険な後遺症が残る可能性すらある。


 幾つかの手段が封じられている。

 だが、八方塞がりでは無かった。



「ちょっと待っててください――――もしもし、夜分遅くにすいません神楽坂さん、至急お聞きしたいことが」

『――――どうした?』

「不良少年達が夜遅くにたむろする場所として候補に挙がる場所を教えてください。かなり急いでいます」

『待て……情報を限定させるぞ。君の通う高校から君の家までと考えて、その周辺にある場所で良いのか?』

「はい。とりあえずはそこに限定してください。もし、その候補で見つからなかった場合……少し無理します」

『説明を聞いている時間はなさそうだな。言うぞ、メモの準備は良いか?』

「雨でメモは無理です、暗記します。お願いします」



 複数の場所の住所を神楽坂さんから教わり、暗記する。

 そして、その場ですぐに教わった住所に向けて、私は異能の出力を伸ばした。


 一つ目、最も近い場所にある神社――――はずれ。

 二つ目、ボーリング場跡地――――はずれ。

 三つ目、河川敷の橋の下――――はずれ。

 四つ目、取り壊されていない廃マンション――――当たり。


 複数人の憎悪のような感情に囲まれた、弱弱しい感情が一つあるのを見つけた。



「――――こっちです」

「は……!? だ、誰かに場所を聞いたの!?」

「私には心強い味方がいるんです……神楽坂さん、廃マンションに向かいます。ありがとうございました」

『ああ……気を付けろよ』



 電話を切って、急ぎ足で歩道を歩く。


 江良さんが私の異能をどこまで知っているかは知らないが、私に異能を見せつける趣味はない。

 異能の秘匿を最低限済まし、何かしら勘付かれたとしても後で取り返しを付けられるようにと江良さんにも目印を付けておいた。

 これで何かあった時でも大丈夫。


 それから、精神干渉の思考誘導を廃マンションにいる者達に掛け、少しでも時間を稼げるようにして、私は真っ直ぐ目的地へと向かう。





 ‐2‐





 どうしてこうなったのだろう。

 今になって思うのはそんな事ばかりだった。


 会話が苦手で、自分に自信が無くて、快活な母親とはうまくいかない。

 六畳一間の小さな部屋では、自分がやりたいこともやれないまま、ただ会話しなくていいようにと勉強ばかりしていたら、不相応な高校に入ることになってしまった。

 きっとこれがいけなかったのだろう。


 母親が凄く喜んでくれたから、何とかこの学校を卒業して出来るだけ恩返しをしよう。

 幼いころから父親がいなかったし、たった一人で自分を育ててくれた母親へは、仲が上手くいっていなくとも、そんな風に報いたいと言う気持ちは持っていた。


 そう思っていただけなのに、やっぱり上手くいかなかった。



(……あの、バスジャックの時の女の子みたいに……だれに対してもはっきりと自分の意思を言えたなら、違ったのかな……)



 痛みの中うずくまる自分を囲むのは、普段自分をいじめてくる同級生達と、彼らが呼んだだろうガラの悪い先輩達。

 突然車に乗せられ、散々殴られ蹴られ、地面に転がされた。

 笑いながらもっと仲間を呼んで遊ぶとか言っているから、少しの間これ以上暴力を振るわれることは無いだろうが。彼らの言う仲間が来たら、用意されたバットや工具が振るわれるのは目に見えている。


 きっともう家に帰ることはできないのだろう。


 何処か冷静にそんなことを思う自分に驚いた。

 そして、あれだけ嫌だと思っていた筈の六畳一間のアパートに、こんなにも帰りたいと思うようになるなんて、考えもしなかった。

 嫌いでは無かったのだ、きっと。

 あの部屋も、母親も、一緒にいる時間も。



(ああ、なんだ……)



 そこまで考えようやく、少年は気が付いた。



(最初から僕が間違えたから……)



 もう会えないだろう母親に、距離を取った自分が間違えただけ。

 そう理解した少年は、どうしようもない自分の馬鹿さ加減に歯を食いしばって。



「海政っ!!」

「――――お、かあさ……」



 部屋に飛び込んできた、もう会えないと思っていた母親の姿に目を疑った。

 自分達の仲間以外が来るはずないと思っていた者達にとって、この突然の乱入者は完全に想定外なのか、自分達を掻き分けて少年の元に突き進んだその母親を止められた者はいなかった。



「何だコイツ、誰がここを教えたんだ?」

「女? まさかコイツの母親か? おいおい、ふざけんなよ。これじゃあ、コイツを黙らせることも出来ねえじゃんか!」



 状況を理解し、騒ぎ立ち始めた彼らは、ボロボロの息子を抱きしめる女性を唾でも吐きそうな顔で見ていた。

 どうしたものかとお互いの顔を見合わせて、取り合えず面倒ごとにならないようにと、用意した金属バットを振り上げた一人が、女性に背後から殴り掛かろうとする。



「……本当は、手を出すつもりはなかったんです。本当です。だって赤の他人の拗れた人間関係なんて、強行に介入するほどの興味もありませんから」

「あ? 誰――――」


「――――でもこれは、あきらかに度を越えている」



 バットを振り上げていた者が、隣に音も無く現れた黒い布団カバーを頭から被ったような、二メートル近い人物に腕を巻き取られた。



「……え?」

「醜悪に歪んだそれ、誰もがそのまま放置してくれるとでも?」

「ごっ、ぐぼぼえええ!!???」



 巻き取られた腕が全く動かせず、呆けたように口を開いて黒い布を被る者を見上げた。


 その瞬間、長身の人物が纏う黒い衣服が蛇のように、バットを振り上げていた者の口に入り込む。


 息が出来ない。

 バタバタと手足を暴れさせ、悲鳴と共に助けを求めるように仲間達に向けて手を伸ばすが、仲間達は驚く表情で見るだけで助けるそぶりも見せなかった。


 ――――当然だ、周りから見ると彼は、自分の口に自分の手を突っ込んで叫んでいるだけなのだから。



「な、んでぇっ……?」



 結局自分の手で息を止めている事に気が付けないまま、息苦しさに耐え兼ねその場で倒れた少年は、意識を悪夢の中に引き摺り込まれた。



「な、なんでアイツ、自分の口に手を……」



 自分達の標的である少年とその母親が抱き合っている姿などに、攻撃することを躊躇する者達ではないが、目の前で起きた異常事態に、総毛だった彼らはその場で状況を理解しようと立ち尽くした。

 時間経過で自分達の命運が尽きるなど、彼らはきっと想像もしていないのだろう。


 その一室の入り口部分で、誰にも認識されず状況を観察していた燐香はつまらなそうに周りを見た。



(さて……所詮は、誰一人異能も持たない烏合の衆。制圧は簡単だけど、どうしようか……私が規定する善人に変えてしまうのが何よりかな。昼までと違って、彼らは立派な犯罪者、殺すつもりでなかったとしても、江良さんの息子さんを殺めてしまう可能性が高かった訳だし、到底野放しには出来ない)



 同じ学校の学生を手に掛けるなんて、まるで中学時代の焼き増しの様で、あまり気持ちの良いものでは無い。

 だが、燐香が流石にこれ以上はやらないだろうと言う境界線を、容易に踏み超えた彼らの精神は想像以上に醜悪だったのだと認めざるを得ない。



「立てる海政!? 酷い傷っ……早く病院にっ……!!」

「ふ、ふざけんなババア!! 誰の許可を得て、そいつを連れ出そうと――――し、あ……な、んだコイツ……背が、デカすぎっ……」



 息子を連れ出そうとする女性を止めてやろうと、殴り掛かろうとした男が、目の前に立つ何かに気が付いたような声を上げる。

 そして、ゴッと、その男は恐慌状態に入る直前に、自分で自分の顔を殴って、そのまま気を失いその場で崩れ落ちた。



「なんなんだよっ……糞っ、なんなんだよこれ!? おい、ババアっ、お前が何かやってんのか!? ふざけんなっ!! どんなカラクリか知らねえが正々堂々戦えや!!」

「何を言ってるか知らないけどね!! 海政にこんなことをしたアンタらを、ぶん殴ってやりたいくらい私は心底腹が立ってんだ!! でも、そんなくだらない私の感情で、怪我した海政を放置なんて出来ないっ! アンタらに使うような時間なんて、ほんの少しだってないんだよ!!!」

「ババアっ……!! 調子にっ……ちょう、しに? え……おまえ、どこから現れ……まて、近付くな、……やめろっ……こっちにくるんじゃねえええええ!!!!」



 女性に手を上げようとした男もまた、そんなうわ言を呟きながら幽鬼のような足取りで壁に近付き、自ら壁に頭を打ち付け、そのまま昏倒した。


 正体不明の異常な現象を目の当たりにして、残りの者達の間に戦慄が走った。

 仲間の三人が自ら昏倒した現状は、もはや手に負えない域なのだとようやく理解した残りの者達は顔から血色を失わせ、周囲に何がいるのかと必死に周囲を見渡し始める。

 幾ら見渡しても、彼らには原因である少女を捉えることなどできない。


 そして、無様に震える彼らに興味もないのか、息子を背負った女性はそんな彼らに見向きもせず、出入り口へと向かっていく。



(これで終わり。あとはこの人達の思考回路を少し弄って、これ以上の暴挙を取らせないよう色々制限を掛けて……)


「へ、へへへ……覚えてろよババア……! 今は無事に帰れたとしても、今度は家に火でもつけてやる……! 俺らをなめたこと、絶対に後悔させてやる……! お前の人生も、その弱虫の人生も、どこまでも追って滅茶苦茶にしてやるからよ!」

「っっ……なんでそんなクソみたいな思考をっ……!」

「そいつが悪いんだよ! 貧乏人の癖に、碌に勉強環境も整ってねぇ癖に、そいつが才能にものを言わせて俺らの邪魔をするから!! そいつさえいなきゃ、俺はもっと高い順位を取れたのによぉっ……!!」


(……なんて、身勝手な話)



 始まりは勉強による競争に負けたこと。

 それで自分よりも順位が上にいる、後ろ盾のないだろう人間を選んで攻撃する人間性。

 攻撃を正当だと主張して、自分が咎められたら激昂して、最後は暴力に走り、相手の人生をめちゃくちゃにしてやろうと執着する。


 到底、許してはいけない部類の人間がそこにいた。

 燐香はその事実に、言葉を失った。



(……私は馬鹿だ。神楽坂さんや飛鳥さんばかり見て、そういう尺度で人間を測っていた。もっと醜悪で、もっとどうしようもない人間ばっかりだって分かっていたのに。神楽坂さん達の様な善人が普通だと、安心してしまった。……私は人が持つ悪性を見誤った。手心なんて加えるべきじゃないのに、もっと、もっと、手段なんて選ばず、最初からこいつらの深層心理を無理やり読み取っていればこんなことには、ならなかったのに……)



 あの教室での後、散々教師達から叱責されたのを知っている。

 親が呼び出されて、親にもかなり怒られていたのを、燐香は知っていた。

 だから、大丈夫だろうと思っていた。

 それで充分反省の機会を与えられただろうと思っていた。


 誰だって間違える。

 自分だって中学時代間違えていたのだから、ちょっと踏み外した彼らを異能と言う凶器を使って手に掛けるのはと躊躇した。

 そして、これから彼らが変わってくれることを願って、燐香は彼らを見逃したのだ。

 叱ってくれる教師がいて、親身になりつつも怒ってくれる両親がいて、更生できる余地は十分にあって……それでも、蓋を開けてみればこいつらはどうしようもなかった。



「は、ははは、調子に乗りやがってよ……! こいつのおかげで停学処分になったんだ! こいつは自業自得なんだ……!」

「俺なんて父さんに散々怒られたからな。まだ殴られた頭が痛いし……全部コイツのせいだよほんと」



 そんな風に、自分勝手なことを口走る彼らを否定する者はこの場にいない。

 全部別の誰かが悪いし、自分達は悪くないと信じ切っている。


 吐き気を催すほどの人間性がそこにはあった。



(――――手加減なんてしない。“白き神”や“千手”のような犯罪者と同じだ)



 ぞっとするほど、冷たい顔になった燐香が彼らを見据えた。



(他人を貪るどうしようもない悪はこの世に存在する。それは、年齢や性別、人種や国籍で区切れるものでは無い。そんなことは分っていた筈だ。だから、私は考えを改めるべきだ。どうしようもない悪人がこの世は大半を占めていて、神楽坂さんの様な善人の方が珍しいことを。こういう醜悪な奴らは、誰かが……私がこの手で――――)


「――――よくやったな。あとは任せろ」

「…………え?」



 燐香の肩に優しく手が置かれた。

 燐香の荒んでいた心を癒すような優しい声の人は、病院を抜け出したのか、入院着を濡らしたまま部屋に入ってくる。


 目を見開いて驚愕したのは燐香だ。



「な、なんで神楽坂さんがここにいるんですか!? い、いや、私が確かに場所を伝えはしましたけど……! 私が神楽坂さんに電話しましたけどもっ……!! わ、私一人でどうこう出来るのに、病院を抜け出すなんてっ……」

「あのな、なにか勘違いしてるから言うけどな。君が、たいていの事を解決出来るって言うのは俺が一番分かってる。でも、何でもかんでも君がこういう事を解決するべきって訳じゃない。君が手を掛ける様なものは、どんなものであれ少ない方が良いに決まってるだろう?」



 まだ完治なんてしていない筈なのに。

 体に痛みが残っている筈なのに。

 こんな夜中、こんな雨の中、駆け付けてくれたその人は朗らかに笑う。



「君が好んで他人に手を掛ける訳じゃないのも、俺は良く知ってるから。優しい君にはこれ以上無駄に誰かを傷付けたと言う意識を持たないで欲しいんだ。だから、ここから先は俺に任せとけ」

「――――…………あうぅ……分かり、ました。……神楽坂さんにお任せします……」

「おう」



 無意識の内に懐から煙草を取り出すような動作をして、慌ててそれを止めた神楽坂はガシガシと頭を掻きながら、未だに執着する悪意を遠見親子に向けている彼らの前に立った。


 突然の、もう一人の乱入者に目を丸くした少年達が吠える。



「て、テメェ、誰だ!?」

「ガキども、悪さが過ぎたな。話は署で聞く、大人しくついてこい」

「はぁ!? オッサン誰だよ!?」

「警察だ、暴行、傷害、殺人未遂。色んな疑いがお前らにはある。顔も、名前も、全部すぐに分かる、逃げても無駄だ」

「警察!? な、なら、そのババアを捕まえろよ!!! 俺らの仲間が、変なカラクリでやられたんだよ!!」


「……おい、大人をなめんなガキ。この状況でお前らを味方するとでも思ったか? 全部こっちは把握済みだ。手加減は苦手なんだ、大人しく捕まれ」



 神楽坂のはっきりとした口調と、外から聞こえ始めたサイレンの音に顔を引き攣らせた彼らは、周りの見えない何かに怯えながらも拳を握り締めた。



「……馬鹿野郎、少し痛いぞ」



 一斉に神楽坂目掛けて突っ込んできた彼らを眺め、神楽坂は一言そう吐き捨てる。

 それからの行動は――――あまりに迅速だった。



 震脚。

 そう思わせるだけの踏み込みが床を打ち抜き、次の瞬間には先頭にいた男が恐ろしい速さで壁に叩き付けられた。

 ものの一瞬で意識を失い壁に叩き付けられた男は、そのままずるずると地面に滑り落ちていく。


 そして、先頭にいた仲間が吹っ飛ばされたことに反応できないまま、神楽坂が元居た場所に向けて、足を動かし続けていた次の二人の腕が掴まれる。

 二人の間にいた神楽坂が適当に見える所作で腕をぐるりと回すと、腕が掴まれた二人はその場で独楽のように回転し、地面に叩き付けられた。


 コンクリートに背中から落とされた彼らの意識も、ほんの一瞬で奪い去られた。



「……え……は……?」

「あと二人」



 状況を理解できず、いなくなった仲間達を探すように周囲を見ながら立ち止まった残りの二人の顎を、神楽坂は軽く拳で打ち抜いた。

 グルリと白目を剥いた二人がゆっくりと倒れるのを見届けて、神楽坂は疲れたようにため息を吐く。


 鎧袖一触。

 まさに文字通り、相手にもならなかった不良集団はものの数秒で鎮圧された。

 しかし、そんなことは日常茶飯事なのか、神楽坂は誇るような顔をするどころかどこか憂鬱そうな顔で少年達が倒れ伏す光景を見詰めている。

 それから外に集まって来たパトカーに視線をやり、「始末書何枚書くんだろうな……」と呟いた神楽坂は、呆然としている遠見親子に近付いた。



「怪我は大丈夫か? 警察と救急車を呼んでおいたから下まで来てるはずだ。」

「え、あ、ああ……ありがとうございます」

「は? え? アンタ、強すぎないか? 私も結構喧嘩してきたけどアンタくらい強いの見たことないんだが……」

「強くない、見ての通りボコボコにされて入院中の身だ」



 ほら、行くぞと言って、怪我をしている海政を背負うと、神楽坂はなんとも言えない複雑な表情で、意味が分からない生物を見る様な目で自身を見ている燐香に笑い掛ける。



「どうだ、大人も少しは頼れるだろう?」

「……神楽坂さんは絶対、普通の大人のくくりではないです」



 拗ねたような燐香の言葉に、楽しそうに笑った神楽坂は少し強めに彼女の頭を掻き撫でた。





 ‐3‐





 それから数日して、私は袖子さんと一緒にとある喫茶店で事件解決の小さなお祝いをしていた。

 私のおごりだからと、無邪気に色んなものを頼んでいる袖子さんは、友達でこういう場所に来るのが夢だったと恥ずかし気も無く言うものだから、一緒に来ているこっちが恥ずかしくなってくる。

 頼まれたコーヒーに口を付け、もう数度ミルクをつぎ足しながら私は袖子さんを見た。



「こんなお祝いなんてする必要なかったんじゃ……いや、カフェに来たいだけなら、そんな名目なんてなくてもいくらでも付き合いますし」

「ほんと!? じゃあ、また別のおすすめ探しとくから一緒に行こう!」

「そ、それは良いんですけど……」

「お祝いは出来る時にしないとやらないものだし。戒玄高校探偵部としての最初の活動として、しっかりお祝いしないと!!」

「え、なんですそのヘンテコな部活!? 私絶対参加しませんからねっ!?」



 あの夜にあった事は一般生徒には知られていない。

 あまりの不祥事になりかねない大事に、学校側が生徒に伝わらないよう配慮したからだ。


 二学年の生徒が数名、退学となった。

 理由はいじめ、今後もこう言った行為に対しては厳しい処分を下していくと、学校全体の集会で校長先生が断言し、学校内でのこの件は収束となったのだ。

 そして、その件を知る者については、校長直々に口止めがされた。

 正確に言うと、関わっていないと思われている私以外、つまり遠見親子にだ。

 何かしらの交換条件があったのかは知らないが、何か脅してくるようなことがあれば神楽坂さんが俺に頼れと言っていたし、ある程度円満に話が進んだのだろう。

 そのへんは私が関知する所ではない。

 退学となった彼らが、正式に犯罪者として裁かれるとだけ聞ければいい。


 まあ、だから昼間の件で事件が解決したと思っている袖子さんが清々しい顔でケーキを口に運ぶのは普通だし、それを邪魔しようとも思わない。

 この件は大人が処理をする、そういう話で良いのだ。



「そういえばさ、燐ちゃん家族の問題で悩んでたでしょ? もしまだ悩んでたら、私の家にしばらく泊まりに来ない? 距離を置いたら見えてくるものがあるかもしれないし、もし泊まるならパパ……お父さんには話を通してるから、今日からでも大丈夫だよ?」

「あ、えっと、その件なんですけど……」



 私が悩んでいたことをしっかりと覚えていて、こうして手を回してくれていたことに驚いた。

 けれど実は、私なりに今回の件で色々思うところはあって、お父さんと遊里さんのお母さんには、実はこのモヤモヤした想いを話していたのだ。



「……私が変に悩んでいたことを、ちゃんと言葉にして伝えたんです。何だか私だけ、仲間外れにされてるみたいに思えて、嫌だったって……。私の居場所が取られちゃうんじゃないかって不安だったって、そうやって伝えたら、二人とも理解を示してくれて……ごめんねって謝ってくれて……」

「ん、そっか。それなら良かった。これ以上無いくらいの解決だね。出来れば頼ってほしかったと言う気持ちもあるけど……流石燐ちゃん、大人だなぁ……!」

「お、大人? 私的には、こんなことで思い悩んでる私って子供っぽく思えて嫌なんですけど……」

「大人だよ。ちゃんと言葉にして話せたじゃん。そういうの言葉にするのってすごく難しいものだから、大切なものだって私は思うよ」

「そっか……」



 遠見親子の姿は、どこか私の家族と重なって、色々考えさせられるものだった。

 会話の無い、お互いがお互いを大切に思ってる筈なのに大きくすれ違って、もしかしたらもう会えないような大きな事件に巻き込まれる。

 まるでそれは、すれ違った父親との関係の様でもあるし、言葉を上手く交わせられない桐佳との関係の様でもあるし、大喧嘩したまま疎遠となった兄との関係の様でもある。

 放置することは簡単だけど、放置することは必ずしも良い事では無くて、きっかけがあれば大きく崩壊する危険があるその罅(ひび)は、きっとちゃんと向き合わなければならないもの。


 顔を合わせ、言葉にして、素直に自分の気持ちを伝える。

 そういう事の積み重ねが大切と言う基本的なものを、異能と言う超常的な力に頼りすぎていた私はきっと分かっていなかった。

 これから先、私はもっとちゃんと、普通の人として行動していくべきなのだろう。



「あのガテン系の人も、ちゃんと息子さんと仲直り出来てるといいね」

「……うん、そうだね」



 ある程度甘くなったコーヒーに口を付けながら外を眺め、私は思わぬ同類である彼女と交わした約束を思い出す。


 異能の話はお互いに誰にも話さない。

 今日の事は忘れるし、お互いにこれ以上の事を詮索しない。

 これから先、何か伝える様な事あった時は、息子さんを通じて私に予定を聞くこと、むやみに突撃してこない。

 でも、出来るだけ会わないようにしよう、お互いの安全のために。


 異能持ちと異能持ちが関わったってろくなことにならないから、なんて。

 私はそんな約束を彼女と交わした。


 だから、彼女と次会うのはきっとずっと先になるのだろう。

 もしかしたら今後会うこともないだろうあの女性が、息子とどんな風に仲を改善するのか。そもそもそんなこと出来るのか、今の私には知る術がない。


 きっと彼女達が幸せになれることを願いながら、私はぼんやりと外の光景を眺める。



「燐ちゃん……? どうしたの、何か見てるの?」

「あ、別になんでも無くて、ちょっとだけ――――」



 ふと私は、喫茶店の外でとある親子の姿を見付けた。

 怪我をしている子供を支えながら楽しそうに笑う母親と、恥ずかしそうにしながらも、どこか幸せそうに笑う私と同じくらいの男の子。

 楽しそうに会話をしながら街中を歩く彼らの姿は、どこにでもある普通の家族だ。



「――――外を通った普通の、仲の良い家族を見てたんです」



 頬骨を突いて笑う私の視線の先を追って、袖子さんも嬉しそうに微笑んだ。






  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る