場違いな依頼人




 暦は6月、季節は梅雨。

 湿度が高く、気温も高くなり始めるこの時期はとても過ごしにくい嫌な時期だが、それは異能という超常的な力を持っていたとしても変わらない。

 『白き神』とかいう世界的な犯罪者を倒した大功労者の私も、汗をかきながらせっせと学業に励むしかないのだ。


 入院生活を終えてから1カ月程度経過した今、これまで連続していた異能犯罪が“白き神”の事件以降すっかり鳴りを潜めており、平和すぎるくらい普通の生活に戻れていた。

 非日常的な事件に巻き込まれることも無い、学校に通って家で家事をするだけの生活。

 あれほど恋しかったものなのに、いざ手に入ってみるとどこか物足りなさを感じてしまうのは、あれらの事件が少々刺激的すぎた影響だと思う。


 ……まあ、それだけじゃないのは分かっているけど。



「はぁ……」



 下校途中の学校の廊下、帰宅後の事を考え憂鬱気なため息を吐いた私に、隣を歩くストーカーさんこと、袖子さんが伺うような眼差しを向けてくる。

 友人である彼女にいらない心配を掛けるのは心苦しいが、どうしても家でのことを思うと溜息が漏れてしまう。



「……最近燐ちゃんって、元気ないよね。大丈夫?」

「え? あ、う、うん、まあその、ちょっと入院して家を空けてたんだけど。退院して家に帰ったら、言葉にしにくいんだけど、自分の家じゃない様な違和感があって……」

「えっ!? それって、この前ニュースになってた科学で証明できない現象じゃっ!?」

「あ、それはないです。と言うか、なんでそれでテンション上がるんですか……?」



 はわわっ、と目を輝かせ出した袖子さんに思わず溜息よりも呆れた声が優先されてしまった。



 最近何かと話題の科学では証明できない現象。

 ICPOの公式発表を契機として、そういうものを面白がり探す人達、また探すところを動画投稿するような人が増えて来た。

 とはいえ、科学では証明できない現象、つまり異能は100万人に1人と言う超希少なものなので、異能を持つ側が変に騒ぎ立てなければ見つかるようなことはそうそうない。

 ここ最近は私も使用を控えているし、しばらく放置すれば一時的な世間のブームも何事も無く終息してくれるだろうと思う。


 取り敢えず私は、ほとぼりが冷めてくれるまで取り合えず潜伏するべきだろう。

 そして、そんな風に方針を定めていた私は、袖子さんがするだろうこの話に対して当然まともに取り合うつもりは無い。


 興味津々とでもいうような態度をあからさまに示してくる袖子さんに、「そんなもの信じてるの?」とでも言うような態度を出して、ちょっと白い目で見れば彼女は目に見えて動揺する。



「だ、だって……カッコいいから……!!」

「あー……」



 未知なものに対する興味、と言うよりも、単純なカッコよさを感じているだけ。

 この娘の好みは大体小学生男子レベルなのである。


 毒気をすっかり抜かれてしまった私はちょっとだけ噴き出した。



「むっ……笑わないでよ燐ちゃん! 私は別にそんなふざけてた訳じゃ……と、と言うか! 違うんならもっとちゃんと教えてよ!」

「あのですね、なんて言うか……ちょっと前からウチに居候している人達がいるんですけど、私が思っていたよりもずっと良い人たちで、お父さんや妹と仲良くしていて、私がやっていた家事とかもずっと上手くこなせちゃうのを見て、モヤモヤしてるだけなんです」

「ふーん……? なんだろう、分かりそうな……分からなそうな……同意が凄く難しいような……あ、でも分かるかも。私もパパが愛人とか作って家に連れてきたら、衝動的に襲い掛かっちゃうかもしれないし」

「あ、そういうのじゃないんで」



 さも理解したと、したり顔を浮かべた袖子さんと言うファザコン娘を置いて、私は玄関口で靴を履き替えてさっさと外に出る。

 まってよー、と追いかけてくる袖子さんにはすぐに追いつかれてしまうが、正直外でくらい父親への愛をもう少し抑えてくれないと、隣にいる私の方が恥ずかしい。


 私の友人であるこの彼女、山峰袖子さんはお嬢様だ。

 彼女は私と同じく片親。

 不倫相手を作った母親が幼い袖子さんを残して家を飛び出し、仕事一辺倒の父親に育てられたため趣味嗜好が男子に近い。

 魔法少女よりも仮面ライダーが好きだし、可愛いものよりもカッコいいものが好き。

 彼女の不良みたいな見た目も、父親に構って欲しいと言う願望とカッコいいからと言う価値観に基づいて行われた集大成なのだから、その深刻さが分かるだろう。


 まあ要するに、山峰袖子さんは愉快な思考回路こそしているが、私が危惧していた不良系の要素はほとんどなく怖い要素は無いに等しかったのだ。



「うーん、そういうのってやっぱり相手の気持ちが分からなくてすれ違うのが怖いよね。ちゃんと言葉にして伝えて見たら? こういう時心が読めたら一番なんだけどね」

「……まあ、そうですね」

「ねえねえ、燐ちゃんも髪を染めて見ない? きっと似合うと思う!」

「いや……興味が無いわけじゃないですけど、多分桐佳……妹が真似しそうなので止めときます」

「あっ、そっか。妹さんがいるんだもんね……ううん、今度家に遊びに行くし、私も黒髪に戻さなきゃだよね……」

「え、私の家に来るんですか? 今の話を聞いて?」



 私の疑問には全く答えないまま、袖子さんは丁寧にメモ帳を取り出して、予定を書き込み始めた。

 こうして丁寧に日程付きの手帳に予定を書き込む行動を袖子さんは良く取るが恐らく警察官の父親からの影響が多くあるのだろう。

 この部分は私も見習わないといけないとは思う。


 ……そんな事よりも、今は私の家に来る気満々の、この色々と問題のある友人が変に妹に影響を与えないよう考えないと、なんてそんな事を考え出した私はふと気が付く。



(……なんだか、さっきよりも胸のモヤモヤが消えてる。何も考えてない袖子さんとの会話でこんな改善されるなんて、ちょっと……腹立つけど……)



 チラリと袖子さんを見るが、私のこれは絶対に彼女が意図したものでは無い。

 何も考えてなさそうな口をだらしなく開けた顔で、新しい予定が書かれたメモ帳を喜んでいるこの人が、そんな複雑なことを考えている訳が無かった。


 それでも。

 暗い想いは内に溜め込むよりも吐き出してしまった方が良いし、強制的に何か別の事を考えさせるようにすれば、おのずと悪循環に陥っていた思考から抜け出さざるを得なくなる、と言うのは私も知っている。

 論理的に現状を分析した結果、私の抱えていたものが袖子さんによって軽減されたと言う事実を認めるしかないのだと判断した。



「ありがとうございます、袖子さん」

「え? なにが?」

「…………別に、心当たりがないなら良いんです」



 とぼけた顔に久しぶりにイラッと来た。

 フイッと顔を逸らせば、何か悪いことをしたのかと動揺する袖子さんの気持ちが視える。

 おまけに口元に力を入れ、不機嫌アピールをして少し反省させてやろうと思う。


 そんな風な、入学の時からは考えられない様な関係に変わっていた袖子さんとのこんな関係を、自分が悪くないと思っていることはとっくに気が付いていた。

 私は性格が悪いから、きっと困ったように動揺する袖子さんの姿が気に入ってしまったのだ。



「ご、ごごごっ、ごめんね燐ちゃ――――」

「おっ、いたー!! そこの少女、ちょおおぉぉと良いかい!?」

「!!??」



 明朗快活な高い声が突然私達の会話に割って入った。

 有名校には不釣り合いな汚れた作業着に、小脇に抱えたヘルメット。

 つい先ほどまで工事現場で作業していたような、化粧気のない、背の高い女性が私達を学校の正門外で待ち構えていた。


 完全に不審者である。


 朗らかだった袖子さんの目が、鋭いものへと早変わりした。



「……は? おばさん誰?」

「はっはっは! 私がおばさんに見えるなんて、今の若い子は目が肥えてるね! ちょっとだけお姉さんの話に付き合ってほしいんだけど、良いかい?」

「わざわざ学校前で待ち受けるなんて勇気があると言うか、無謀と言うか、完全に変質者さんなんですけど自覚あります?」

「おっさんがやってたらアウトかもしれないけど、同性のお姉さんだからセーフだろ! 良いから良いから、ちょっとだけだからさ! お姉さんの話に付き合ってよ!!」



 そう言って、突然現れたこのガテン系の女性は私と袖子さんの肩を抱き寄せるようにして、「こっちこっち」と連れ出していく。

 私達と同じ下校中の周りの生徒達の視線を気にもせず、ぐいぐい私を連れて行こうとするこの人は大した胆力をしているものだと思う。

 ただ……まあ、私を連れて行こうとするこの行動は完全に不審だが、どうも悪意がある訳ではないようで、衆目もある今変に騒ぎ立てるのも都合が悪い。


 そして何よりも、この女性には少し気になることがあった。

 だから、大人しくついていくことにする。


 私が何かするよりも先に袖子さんの目つきがヤバくなり始めたので、取り合えずの牽制しておく。



「……私と袖子さんに飲み物を奢ってくれたら、取り合えず数分は付き合いますよ」

「えっ、燐ちゃん!?」

「ん? おー! ありがとな! 飲み物くらいなら任せろー!!」



 ガテン系女性は快活に笑いながら、すぐ近くの公園を目指して私達を連れて行く。





 ‐1‐





「いやぁ、いきなり連れてきて悪いな! 私の名前は遠見江良(とおみ えら)って名前だ、気軽にえーちゃんとでも呼んでくれ。とーちゃんでも良いぜ? ほれ、飲み物二人分! ほんの数分の話で終わるから、ちょっとだけお姉さんの話に付き合ってよ! 私も早く仕事に戻らないといけないし、そこまで長くならないからさ!」

「……」



 むすっとしている袖子さんと共に連れられた公園のベンチで、飲み物を買って戻って来たガテン系の女性、遠見江良さんが朗らかにそんなことを言った。

 ガサツだが気遣いを欠かしていない、横暴だが常識的な価値観は持ち合わせている。

 なんだかちぐはぐなこの女性を前に、受け取った飲み物は口を付けないまま、本題を促す。



「それで? 私達に話したいことってなんですか?」

「おー、いきなりだな。まあ、そういうの嫌いじゃないぜ。それなんだけどなー、実は同じ高校に通ってる私の一人息子の件でお願いがあるんだよ」

「……息子さん?」



 ちょっと予想外な方向の頼みに少しだけ驚いた。



「そうそう。私には出来すぎた優しくて優秀な子で、母親の私の頭からは考えられないくらい頭いい学校に入学できた凄い子なんだ」

「へえそう。確かにウチの学校って結構偏差値高いし、貴方の息子さんが通ってるのは驚き」

「袖子さん……不審者さんを刺激するのは、警察官として下策ですよ。お父さんが目を見張るような立派な警察官になりたいなら、穏やかに話を聞かないと」

「――――ごめんなさい、それで、その素晴らしい息子さんがどうしたんでしょうか?」


「あははっ! 気にしてねえよ、アンタ面白いな!」



 袖子と私の失礼な発言にも本当に微塵も気にした様子がない。

 掌を返した袖子さんの様子に爆笑しながら、この人はそれでなー、と言葉を続けている。

 急に乗り気になった袖子さんがふんふんと相槌を打って、それを楽しそうに笑っている江良さんの性格を測りかねながらも、私はじっくりと彼女を見据えた。


 今のうちにもう一つ、彼女で気になっていた部分を至近距離からじっくりと観察しておく。



(……やっぱりそうだ。この人……すごく小さくだけど……)


「その、な? 私ってこんななりだろ? だから、私には過ぎた息子も、恥ずかしく思っちゃうのか、最近全然会話もしてくれなくて、学校行事も全然教えてくれなくてな?」

「ふむむ、なるほど。貴方の要求は分かりました。素晴らしい息子さんが教えてくれない学校行事を私達に教えて欲しいわけですね?」

「あ、悪い。そうじゃないんだ」

「な、なら、気軽に会話をするためのアドバイスが欲しいと」

「それもちょっと違うんだよ」

「ガーン……」


(袖子さん……この人警察官向いてないんじゃ……)



 いやに張り切り出した袖子さんが会話の腰を折って先読みしようとしているが、見事に外れを引き続けている。

 いや、江良さんの話もあっちこっちに行って要領を得ないけど、袖子さんも少し待って話の全容を掴んでから口を挟めばいいのに、なんて思う。


 何だか言いにくそうにしている江良さんの様子から、本題に入るまでにもう少し遠回りすることになりそうだと感じ、気長に待っていれば、女性はようやく意を決したのか重くしていた口を開いた。



「あー……その、それで、ウチの息子の反抗期だと思ってしばらく距離を空けてたんだが……どうやら、その、いじめられてるらしいんだよ。私の息子」

「いじめ、絶対に許せない。どいつをとっちめればいいの?」

「袖子さん、座って……暴れないで……」



 いじめ、と言う言葉が袖子さんの正義の琴線に触れたのか、ベンチから勢いよく立ち上がった彼女は、まだ見たこともない江良さんの息子に即座に味方し始めた。

 いやもう、正義の味方に憧れる袖子さんにとってはこれ以上ない話ではあるので、仕方ない部分もあるかもしれないが……。


 と言うか。



「うちの学校でいじめ? うーん……私の知る限り私のクラスにいじめられている生徒はいない気がするんですけど……もしかして別クラスですか?」

「あ、いや……クラスだけじゃなくて……君達って一年生? もしそうならウチの息子は二年生だから学年も違うかな」

「一学年上で起きているいじめ……ふふふ、下剋上……なんだか燃えて来た」

「袖子さん、下剋上、違うから」



 なんで別学年の私達にこんなことを相談するんだとジト目を向ければ、江良さんは気まずそうに眼を逸らし、それから両手を合わせて頭を下げて来た。



「頼む! 実情が知りたいんだ!! ちょっとだけ! ちょっとだけで良いからウチの息子がいるクラスの様子を見て欲しいんだよ!!」

「……え? いじめの解決じゃなくて様子見? もしかして、いじめの決定的な証拠がある訳じゃない……?」

「ああ。だから、らしいって言ったろ? でも、日に日にやつれているように見える息子の姿を毎日見てんだ! 息子がどんな酷い目に合ってるのか、って思うと食べ物も喉を通らねえんだ!! 頼む!!」

「……むう」



 ……嘘はない。

 だが、恐らく言っていないことも存在する。

 私は江良さんのこれまでの様子から、そう判断した。


 しかしどうやら、私達を悪意で貶めようとする話ではない。

 頼みも別に悪いものではなかった。

 私が危惧していたものとは違うのだと、少しだけ安心できた。


 しかしだ、こんな事をいきなり別学年、それも下の学年の女子に頼むなんて普通は考えられない。

 何かしらの確信があるなら、普通こんなやり方じゃなくて、学校を通して教師に注意を促すか、教育委員会を通じて訴えるかのどちらかを取るのが正攻法だと思うのだが……。



「……学校の先生方はこれを? それか教育委員会には?」

「いや……それはやってない。そのやり方じゃダメなんだよ……あ、いやっ、しっ、証拠もないのにそんな話を大事にして、息子の学校生活を乱したくないなって、思ってだな……」

「…………」



 それは……何と言うか、妙な話だ。

 なんでわざわざ私達に声を掛けて、こんなことを頼んできたんだと少し怪しく思う。

 読心するが、私達に申し訳なさこそ感じているが、私達でないと駄目だと言う確信をこの人は持っているようだった。

 妙な確信具合……もしかして、この人に私の異能がバレてるんじゃ?


 そんな疑惑が芽生え、少し思い悩む。

 ここで断ってしまうとこの人が私達に執着する理由が分からないままだし、無理やり深層心理まで読み取るほど悪い人でもない。

 後遺症を考えれば、あんまり深層心理を読み取る選択はしたくなかった。


 疑問点が多いし、頼みごとをしているのにこの人は隠している事も多すぎる。

 しかし、だからと言って、どこから私達に頼むべきと言う情報を得たのか分からないこの人を野放しにするのは危険に思える。


 どうしたものかとちょっとだけ頭を悩ませた私だったが、隣にいる袖子さんの中では既に答えが出ている事に気が付いて、これは私がどうこう出来るものではないのかと諦めた。

 こんな話をされて、母親が心底息子を心配している様子を目の前にして、この山峰袖子さんという人物が黙っていられる訳が無い。



「私に任せて、おばさんっ……! 必ずこの難題をこなして謎を解き明かして見せる!」

「…………まあ、話を聞くって言いだしたのは私だし、袖子さんがそう言うなら……」

「ほ、本当か!? ありがたい、恩に着るよ!」



 純粋な喜びの声を上げる江良さんは、一見すると何か企みがあるようには見えない。

 あくまで息子の学校生活を心配するだけの母親だ。


 しょうがない、と諦める。

 最善手ではないだろうが、この人に頼まれたことを進めつつ、動向を探ろうと言う結論に落ち着いた私はその思考を終わらせ、隣で異様に張り切っている袖子さんをどうやって抑えるかで頭を悩ませることにした。


 きっとこのまま放置すれば、この娘は暴力沙汰を起こしかねない。

 この正義大好きファザコン娘は基本的に、直情的で単細胞なのだ。

 誰かがしっかり手綱を握らなきゃ、問題を起こしてしまうのは目に見えている。



「頑張ろうね燐ちゃん!」

「はあ……頑張りましょうね」



 こうして私達の、人間関係をめぐるままごとに近い調査が開始されたのだ。






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