巨悪の影を踏む
その日、入院中の警察官二人はまだ治らない傷を庇いながら、安静を取っていた。
まだ全貌の掴めない犯罪者が自分達を狙ってくることも、自分達が住む地域を襲うことも考え、情報収集は欠かしていなかったが、それでも病院に釘付けになっている彼らに出来ることは少ない。
特に、年若い今の時間を楽しみまくっている飛鳥にとって現状はかなり辛いもののようで、燐香がいる時ほど口は悪くならないが、普段の職場では考えられないほど愚痴を吐く状態だった。
そしてその愚痴を聞かされる相手はおのずと絞られる。
「あー、神楽坂せんぱーい。見てください、新ドラマが始まってますよ。『イチャイチャ王子様とドキドキ学園パラダイス』、最初の一話見逃したんですけどぉ……」
「いっ、いちゃいちゃ……!? まさかそれがタイトルなのか? お、お前……人の趣味嗜好をどうこう言うつもりはないが、せめて俺といるときはそのフルタイトルを言わない様にしてくれ。俺には耐え切れそうにない……無性に恥ずかしくなる……」
「嘘です☆ このドラマのタイトルなんて知らないでぇす☆ ……あー、神楽坂先輩弄るのも飽きてきましたぁ、何か面白い事ないかなぁ……」
「………………俺はお前と話すことに疲れた。病院を別にしてほしいんだが」
「駄目です☆」
今日もまた、飛鳥は懲りずに神楽坂の病室へやってきた。
流石に他の入院患者もいる病室で飛鳥と会話をするのは、周りの迷惑となると確信していた神楽坂は彼女を連れて屋上へと移動したが、どうやらそれがかえって飛鳥の遠慮を無くしたらしい。
どちらかと言えば堅物に分類される神楽坂にとって、相性の良いとは言えない飛鳥との会話は精神的にクルものがある。
しかも相手は入院生活が暇すぎるのか、時間があれば神楽坂の病室に入り浸る徹底ぶり。
そんな傍若無人ぶりを見せつけてくる飛鳥だが、逆に相坂少年の異能制御訓練は一切欠かす事無く、熱心に取り組んでいるからこそ、神楽坂も飛鳥のダル絡みを無下にできない。
もしかすると、怪我が治ってもまた別の病院に通院することになるのではと思いながら、神楽坂は最近買った胃薬を懐から取り出して呑み込んだ。
「面白い事なんてある訳がないだろ、ここをどこだと思ってるんだ」
「えー、でもでも、退屈なのはまだ目を瞑っても! 病院食はほんとに美味しくないですし、量も少ないですしー! 神楽坂先輩と約束したあの食事処にまた早く行きたいんですけどー! カツが私を待っているんですけどー!!」
「やかましいわ……たくっ、退院したら連れて行ってやるから大人しくしとけ。と言うか、そろそろ佐取が来てくれる頃だろ。何か果物でも頼んでおけばどうだ?」
「………………私、あいつ、あんまり好きじゃないんですよねー……」
「お前なぁ……」
先ほどまではご機嫌に神楽坂を弄っていた癖に、一転、ブスリと不機嫌そうに口を尖らせた飛鳥に神楽坂は呆れた声を出す。
言われるまでも無く、飛鳥が燐香を快く思っていないのは分かっていたが、なんだかんだ飛鳥は署でもうまくやっているし、そのうち時間が解決するものだろうと思っていた。
だからこそ、予想に反して何時まで経っても変わらない彼女の態度に困惑する。
「あの子の何が気に入らないんだ? はっきり言って、俺があの子の歳の時なんてもっと人間出来てなかったぞ。もっとガキで、もっと人に迷惑を掛けていた。こんな大人の手伝いなんてしようなんて思ってもいなかっただろう。あの子は良い子だよ、間違いなく」
「あいつが、良い子ぉ……?」
心底忌々しいとでも言うように顔を歪めた飛鳥は、へっ、と鼻で笑う。
「あの眼。人を自分よりも下だと見下しているあの眼がまず気に入らないんですよ。何が死んだ眼ですか。むしろ光が無いから可愛げがあるように見えてるんですよ。あれが普通の眼だったら、きっと一目で冷酷無比な奴だって分かりますよ」
「いや、死んだ眼はコンプレックスみたいだから、そこは触れてやるなよ……」
「それに、確かに頭は良いんだと思いますよ? 私達が協力するって話になった時に、即座に暗号を考案し、使おうって持っていくのは中々出来ることじゃないと思います。でも、普通そんなこと考えますか? 普通の学生生活を送った奴が、暗号の必要性なんて理解している筈がないじゃないですか」
「そりゃあ、異能を持ってるんだから普通の学生生活では無かっただろうよ……」
「なによりもっ!」
それとなく否定する神楽坂の言葉の姿勢を批判するように、声を上げて、飛鳥は指を突き付ける。
「普通の、何の悪事も働いていない、異能を持っているだけのただの女子高生が世界的に有名な犯罪者である“千手”に勝てると思いますか?」
「む……」
これまでは、こじつけに近い飛鳥の言葉だったが、最後のこの言葉は神楽坂も思うところがあったのか口を噤む。
そうだ、自分達、まがりなりにも犯罪者に対するプロである警察官二人と異能を上手く扱えていなかったとはいえ、相坂少年があの場にはいた。
異能持ち二人と異能を持っていない相手であれば苦も無く制圧できる神楽坂が三人掛かりでどうにもできなかったあの凶悪な力を持った男を、彼女はたった一人で相手取り、神楽坂達を救い出し、怪我一つなく制圧した。
それは、ある種の偉業。
賞金総額3億2000万円の世界的犯罪者は、この国では考えられないほどの危険度だ。
いくら相性が良いからと言って、異能があるからと言って、どうにかなる次元を超えている気がしてならない。
「だから私は、あいつは私達を監視している、奴らの仲間なんじゃないかと思ってるんですよ。私達の動向を観察して良いように状況を持っていこうとしている――――最悪の知能犯」
「…………ありえないな」
声を小さくしてそう言った飛鳥の言葉を、神楽坂は一蹴した。
感情に任せて言ったのではない。
これまでの、燐香との関わりを思い出してそう言ったのだ。
「そんなことをして彼女に利があるとは到底思えない。あの子の助けが無ければ俺はとっくに命を落としている。あの子が敵側なら、俺達は既に誰にも知られることなく始末されてるだろう」
「ですよねー」
神楽坂の言葉を聞くまでもないと言うように、肩をすくめた飛鳥はあっけらかんと同意した。
手のひらを返すどころか、元々そんなもの考えてもいなかったとでも言うような飛鳥の態度に神楽坂は目を丸くする。
「そりゃあそうですよ。そんなの私も分かってます。あいつが善意で先輩に協力しているのは疑いようのない事実です」
「……今の問答はなんだったんだ?」
「分からないですか先輩。神楽坂先輩、結構アイツの事を盲目的に信用してますよって言う警告です」
心当たりがあったのだろう、言葉に詰まった神楽坂に飛鳥は胡乱気な視線を向ける。
どんな経緯でアイツを信用するようになったのかは知らないですけど、と飛鳥は言った。
「アイツは多分、全部を神楽坂先輩には明かしてないです。他人の精神をぐちゃぐちゃにする異能の使い方が相当上手いってことは……それだけの事をやってきた筈ですから」
沈黙が二人を包んだ。
重苦しい沈黙の中で二人が考えるのは、自分達よりもはるかに歳が若く、はるかに恐ろしい力を持った少女の事。
“精神干渉”。
彼女自身が申告する異能は、あまりに応用が利き、あまりに人間性を無視する危険なものだ。
恐らく彼女が本気で悪事に手を染めようとした時、止められる人間はいないのではないかと思う程に。
だが。
「……逆に言えば、あの子を信じてさえしまえば、これ以上無いくらいに頼りになる存在はいない、そうだろう? お前が何と言おうとも、俺は、あの子を最後まで信じると決めたんだ……飛禅が信じ切れないと言うなら、悪いがお前とは手を組めない」
「……先輩は分の悪い賭けが好きですね。ま、私もまがりなりにもアイツに命を救われた訳ですし、これ以上言うつもりはないですよ。先輩が信じ切る分、私が疑っておきますから」
「はは。だから、あの子に隠し事は出来ないんだって」
「あ、そうじゃないですか。あー、もうっ! やっぱりアイツ嫌な奴ですよ! 隠し事の一つくらいさせろって話ですよね!!」
声を荒げた飛鳥に反応するように、ピロリンと着信音が鳴り、「ぴゃいっ!?」と、思わず飛鳥は驚きの声を上げてしまう。
音の鳴り所である、神楽坂の懐に目を向けて少し怒ったように飛鳥は注意する。
「な、な、なんなのですか!? ビックリしたんですけど!? 病院ではちゃんとマナーモードにしててくださいよ! 常識ですよ常識!」
「あ、ああ、すまん。よく連絡がありそうな奴は全員音が鳴らない様にしてるんだが……柿崎だと?」
連絡相手を見た神楽坂は、予想外の相手に目を剥いて、何事かとメッセージを読む。
『ICPOがいくぞ、気を付けろ』
簡潔に書かれた内容に、アイツらしいなと思いながら、これから訪れる困難を想像し眉間にしわを寄せた。
「飛禅、ICPOの連中がここに来る」
「へ? ICPOって言えば、国際警察ですよね? 確か“千手”の確認に来るとかニュースでやってた……あ、いや、そりゃそうですよね。“千手”を捕まえたってことになってるんですから神楽坂先輩には話を聞きたいでしょうし」
「……どうだろうな、あの柿崎が気を付けろと警告してきてる……少し、不味い状況かもしれん」
素早く燐香に向けて、状況を知らせる暗号メールを送る。
これでもし万が一があっても、燐香に状況は伝わる筈だ。
「あとは……飛禅、お前は自分の病室へ帰っておけ。顔を知られる必要もないだろう」
「あ、まあ、そうですね、私もそうしようかと思ったんですけど……」
「……どうした?」
「……異能持ちが接近してきています。恐らく相手も私を捕捉している筈ですから、むしろこのままここにいた方が良いと思います」
「異能持ちだと……?」
珍しく深刻そうな顔をしている飛鳥に、神楽坂は状況が良く分からない方向へ転がっている事を自覚して、冷や汗を掻く。
異能持ちなんて、数年間自分が探し求めてきて全く手掛かりを得られなかった存在にもかかわらず、燐香と出会ってから、若しくは氷室区へ飛ばされてからの遭遇率が異常だ。
それも、凶悪かつ攻撃的で、一つ間違えれば容易く人の命を奪いかねないものばかりだから、出来る事なら遭遇したくないと言うのが本音なのだ。
「状況から考えて、ICPOが異能持ちを抱えているって言う筋書きが一番しっくりくるんだが……」
「まあ、そうですね。私は日本の状況しか分からないから断言は出来ないですけど。恐らく、日本は異能と言う存在への認知はかなり遅れている方だと思います……少なくとも、日本の警察よりも国際警察の方が、そういう事件の対処をしていると言われて違和感を感じない程度には」
「相坂少年が捕捉されることは?」
「普通ならされるでしょうけど、前にアイツがそっちはどうにかするって言ってました。取り合えず今はアイツを信じるしかないかと」
今、神楽坂達がいる場所は屋上。
病室の中とまでは言わないが、他の入院患者も多くいる。
そんな中で、異能持ちと言えいきなり暴れることは無いだろうとは思うものの、2人の脳裏にあの凶悪な犯罪者、“千手”が過る。
異能持ちとそれ以外を明確に差別し、無能は死ぬべきとまで言い切ったあの男の考え方がもしも、世界における異能持ちの常識的な考え方だった場合。
この場に血が流れることが、否定できなくなる。
「……いや、腐っても国際警察だ。そんな無法を起こすなんて外聞が悪すぎるだろ」
心のどこかで、異能持ちを最近対峙してきた犯罪者達と同じくくりにしていた自分に突っ込みを入れる。
“紫龍”も“千手”も、他人を容易く害する犯罪者だ。
だが現に、同じ異能持ちでも燐香や飛鳥はしっかりとした考え方を持って、不用意に人を傷付けるような人間ではない。
『異能持ち』と言うくくりを悪人と同義にしようだなんて、とんだ見当違いだと理解している筈なのに、何を考えているんだと自分を戒める。
「……神楽坂先輩、来ますよ」
「っ、ああ」
屋上の扉を開けて入ってきた、日本人離れした風貌の三人に気を引き締める。
流石と言うべきか、三人とも背がかなり高く、三人の内の唯一の女性も170以上はありそうだ。
先頭を歩いていた白髪の若い女は屋上を見渡して神楽坂達を探しているようだったが、彼の後ろにいた二人は真っ直ぐ飛鳥へ視線を向けている。
右後ろに位置していた褐色肌の男が、短く口を開いて神楽坂達を指し示すと、白髪の若い女は柔和な笑みを浮かべ神楽坂の元へとやってきた。
「――――どうも、初めまして。貴方にお会いしたかった」
お互いに敵意は見せていないのに、ピリリと空気が張りつめ、何事かと周囲の人達が神楽坂達に目を向ける。
「神楽坂上矢さんで間違いないですね?」
「…………ああ」
頷いた神楽坂に、白髪の女は片手を差し出して握手を求めながら自己紹介を始める。
「ICPOの特別顧問をしています、ルシア・クラークと申します。どうぞよろしく」
差し出された彼女の手を払うことなんてできず、神楽坂は緊張した面持ちで握手に応じた。
‐1‐
お互い顔を初めて合わせた者同士。
視線に警戒が含まれていることに気が付いたのだろう、白髪の女、ルシアは握手を終えた両手をヒラヒラと上に上げた。
「――――まず、お互い下手な隠し事は無しにしましょう。前提として、“異能”、非科学的な才能の存在について、お互いに認識している。これに間違いはないですね?」
「っっ……」
ルシアからの問いかけに、神楽坂は慌てて周囲を窺うが、周りの人間はこちらの会話が聞こえていないのか、それぞれの会話に戻っている。
神楽坂の様子をクスリと笑ったルシアは、安心させるように話す。
「安心してください、周りの人間に私達の話が漏れることはありません。隠し事なども気にせずお話しされて良いですよ」
「……何が目的だ」
多くは無いが決して少なくはない周囲の人々に一切漏れないと言うのはほぼあり得るようなことではない。
ここまで確信を持って言うとすれば、それ相応の根拠がある筈で。
つまり、彼らは自分達の異能の力を誇示しているに等しいものを口にした。
「貴方が持つ戦力に興味があるのですよ。我々ですら中々捕らえられなかった、あの“千手”を捕まえた貴方が持つ力に」
「戦力ね……悪いが話せるようなことは何もないな。実際、俺はこうして死にかけてギリギリで捕まえた訳で、アイツの妙な力をどうこうする力は持っちゃいない。捕まえられたのは本当に偶然、運が良かっただけだろう」
「ははは、御冗談を。アレを偶々運よく捕まえた? 私達をあまり甘く見ないでください。私達だって何度も取り逃しているのですから、それなりにアレの凶悪さについては分かっているつもりですよ……アレを個人で捕らえるのは不可能に近い、ですから、貴方はほぼ確実に、いくつかのコネクションを持っていると思っていましたが……その考えは正しかったようですね」
そこまで言って、ルシアは飛鳥へと視線を向けて笑みを消す。
眼鏡の奥から覗く蒼い瞳が冷たさを増す。
そこに浮かぶのは、何かを計算する数学者の様な色だ。
「我々に協力をしてくれた場合、対価を払いましょう。貴方にとって非常に欲しいであろう情報を、こちらも貴方に提示する準備があります」
「対価……」
「数年前、この国を支配し活動していた貴方が追い求める異能持ち、“白き神”についての情報を」
「…………は?」
「……おや?」
話が嚙み合わず、お互いに不可解なものを見るような顔になった二人であったが、後ろでピリピリと神経を尖らせていた飛鳥が口をはさむ。
「“白き神”? 以前裏で支配していたのは“顔の無い巨人”ですけど?」
「おや、御存じありませんか? 今、“顔の無い巨人”は“白き神”を名乗って国外で暗躍しているのです。まあ、元々“顔の無い巨人”は本人が名乗っていた訳では無く一般大衆から呼ばれ出したものですからね。奴が気に入らない可能性も充分ありました」
「…………あの人は、今、国外に……?」
「い、いやいやいや、待てっ! 俺がなんでそいつを追っていると思ったのかは知らないが、俺は別に“顔の無い巨人”とやらを追っている訳じゃないぞ!? 俺が追っているのはっ…………今も詳細が分からない、狂った異能持ちだ。その“顔の無い巨人”とやらでも、“白き神”とやらでもない」
「分からない人ですね。貴方の同僚を殺害し、婚約者を事故に合せ、当時の貴方がたが追っていた『薬師寺銀行強盗事件』を引き起こしたのが、“白き神”だと言っているんです」
ルシアの言葉に息を呑んだのは二人同時。
先に話を理解したのは、飛鳥だった。
「……つまりなんですか? 貴方が言いたいのは、“顔の無い巨人”は先輩の同僚や恋人に危害を加え、今も国外で悪事を働いていると? そんな妄言を本気で言っているんですか?」
彼女にとって到底受け入れられない彼らの情報。
額に青筋を立てて、無意識の内に異能の出力を上げた飛鳥の前に褐色肌の男が立ちふさがった。
「back off(下がれ)、飛禅飛鳥」
冷たく言い放たれた言葉と共に、鋭く怜悧な視線を浴びせられ、飛鳥はその場で足を止める。
目に見える形では何もないが、立ち塞がった男は間違いなく飛鳥の同類、異能持ちだ。
苛立ち混じりにルシア達を睨み付けた飛鳥を、神楽坂は制止する。
「落ち着け飛禅。まだ何も話を聞けていない、感情に任せたところで事態は好転しないだろう。普段飄々としてるお前らしくもない」
「…………すいません先輩」
「で? その俺の持っている戦力を知ってアンタらは何がしたいんだ? “白き神”とやらの情報は確かに俺にとっては必要な情報だが、アンタらの目的を知らんことには肯定も否定も出来ん」
「おや、それは失礼しました」
当然把握していると思っていた情報を持っていなかったことに対する失望か、感情的になった飛鳥に対する侮蔑かは分からない。
だが、ルシアの視線が、若干価値が無い者を見るような色になっていることに神楽坂は気が付く。
(いや、この場合不相応な評価をされている方が苦労する。価値が無いと思ってもらえるならその方が良いか――――)
「私達の目的は、“千手”の然るべき場所への護送。及び、最近この国で再び活動を活発化させている“白き神”のトリガー……活動手段を破壊することです」
「――――なんだと?」
神楽坂の声に憎悪が宿る。
アイツが。
もしルシアの言っている内容が真実ならば。
恩人を死に追いやり、恋人を植物状態へと陥れた奴が、またこの国で活動している。
――――あの悲劇が、またどこかで起きているかもしれない。
熱くなりかけた頭を冷やすように大きく息を吐いた神楽坂は、冷静になるよう努め、不安げな様子の飛鳥を見る。
(落ち着け馬鹿野郎。また一人で暴走すれば、飛禅や相坂少年、それに佐取はどうなる。また昔と同じように、良いように遊ばれて終わりだ。迎え撃つ態勢が万全ならともかく、情報共有もまともになっていない今、俺一人が感情に流されれば迷惑しか掛けないだろう)
そこまで考えて、ルシアを見据える。
「……俺の戦力を測ろうって言うのは、その協力をしてほしいからってことか?」
「ええ。こちらも“白き神”には手を焼いている……いえ、違いますね。現在、我々の目下最大の敵は“顔の無い巨人”改め“白き神”。世界最悪の異能持ちとどのような経緯であったとしても、一度奴とやり合っている貴方の協力があれば頼もしい、そう思ったのですが……」
そう言って失笑したルシアは、肩を竦めて口を閉ざす。
予想以上に、想定以下だった。
そう言わんばかりの彼女の態度は業腹だが、神楽坂はさして気にした風も無く神妙に頷いた。
「なるほど事情は分かった――――だが、協力は出来ない」
「……その理由は?」
無感情に理由を問われ、すぐに出した結論を答える。
「見ての通り俺らは今、“千手”との闘いでできた傷が治っちゃいない。ICPOが手を焼いている相手をこの状況で相手取れると思う程、俺は思いあがっちゃいない。悪いが他を当たってくれ。もっとも、アンタ個人としても俺らの協力なんて必要ないと思っているようだが」
「なるほど、分かりました。それらしい理由を答えてくれて私の立場としては助かります。それで、貴方が持つ戦力はその隣にいらっしゃる女性の方だけと言う認識で構いませんか?」
「ああ、そうだ。柿崎なんかは同期でそれなりに連絡を取ることもあるが、“千手”を捕らえるのに協力してくれたのはコイツだけだ」
「……ふむ、“千手”が今なお脱走をしていない理由は何かしらの不調が関係しているかもしれませんね。まあ、この後“千手”に直接聞くとします」
提案を断られたとは思えない軽々しい態度で、ルシアは自分を守るように立つ褐色肌の若い男と髭を軽く伸ばした中年くらいの男に目配せさせた。
話は終わり、そう言うかのように、何の心残りも無いように踵を返したルシア達を、神楽坂は呼び止めた。
「一つだけ教えてくれ」
「“白き神”の情報は貴方が協力しないのであれば教えることは出来ません。不用意に私達が持つ情報を共有して、貴方が何かしらのへまをして奴に気取られたくないですから」
「いや……“白き神”を名乗る前。“顔の無い巨人”と呼ばれた異能持ちは一体何をやらかしたんだ? こっちではそんな情報何も知らされていなくてな。警戒するにしても出来ないんだ。基本的なその部分を教えてくれ」
「三年前のあれを知らない? ……ふっ、なるほど。本当にこの国は異能の危険性に対しての認識が遅れている」
“顔の無い巨人”は。
そう言葉を繋いだルシアは若干血の気を失った唇を震わせて、神楽坂を見る。
「……一度、完全に世界を支配した、他人の精神に干渉する系統の異能持ち。ある日突然、顔も名前も記憶も同じ別人が何人も作り出されました、いえ、作り替えられたと言う方が適切ですか。昨日までの人間と顔や体が同じでも、別の思考を持つ別人が世界に溢れかえった。誰も奴の存在に気が付けず、誰も奴の浸食を止められなかった。ICPOが推定している被害者の数は――――およそ10億人。地球上の10億人の人間が同時に、奴の手に掛かり洗脳された暗黒の三半期。それこそが、三年前に起きた『三半期の夢幻世界』の真相で、今なお、世界最悪の異能持ちと呼ばれる“顔の無い巨人”の正体です」
神楽坂の思考は停止した。
想像をはるかに超えた、理解不能な事件の詳細に総毛立つ。
それはこれまで見て来たあらゆる異能持ちと比べて、あまりにも規模が違う。
「じゅっ……10億っ……!? ま、待て……話が壮大すぎて理解が追い付かないっ! ……なんだ、それ……? そんな怪物的な異能持ちがこの世にいるのか……?」
「ええ、にわかには信じられませんが、その化け物はこの世に存在します。支配に飽きたのか、継続するだけの出力を維持できなかったのかは定かではありませんが、現在世界は以前の状態に戻っています。現在のICPOが何としても捕らえたい最大の犯罪者は奴です。……協力関係にはなれませんでしたが、貴方がたも充分気を付けてください。隣にいる人間が、昨日までと同じだとは思わないように」
それだけ言うと、ルシア達は今度こそ神楽坂達に背中を向けて去っていく。
振り返り、扉に向かって足を進め、『自分達の真後ろに立っていた少女の姿』がまるで見えていないかのように去っていく。
同じ異能持ちである筈の彼らは一瞥すらすることなく、『少女』の横を通り過ぎる。
路傍の石を見るような目で彼らを見ていた『佐取燐香』は、自分に気が付いた神楽坂と飛鳥に気が付いて、はにかみながら手を振った。
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