顛末、末路、もしくは過程





 東京都氷室区にある氷室警察署。

 公序良俗に反する犯罪者を取り締まり、秩序を守る警察官が勤務するこの場所は今、日本一注目を集めている警察署だ。

 署員がおよそ400人を誇るこの警察署であり、普段であれば人手が足りないということはない場所であるのだが、とある事件によって今は署員のほとんどが駆けずり回っている状況であった。



「――――いいか、最後に誘拐事件が起きたのはここ氷室区だ。これまでの犯行を考えれば、おそらく次の犯行も氷室区となる。未然防止、犯人確保を絶対に行うぞ。各自、各々の警戒箇所を徹底しろ!」



 刑事課が慌ただしく駆け巡り、雑務として庶務課の人間まで駆り出されている状況の中で、交通課に所属する署員たちはそれを横目に自分達の事務に取り組んでいた。

 声を張り上げ興奮したように指示している上司とは違って、あくせく働いている下っ端たちの顔には疲れがにじんでいる。

 ここ最近異動してきた刑事課の課長はどうも熱血漢が過ぎると言うのが、交通課に所属する署員の意見だった。

 あれでは捕まえられるものも捕まえられなくなるだろう。



「いやー、飛鳥ちゃんは幸運だねぇ。見てみなよ刑事課の連中の忙しないこと、新人やベテランの区別なく駆り出されてるよ。飛鳥ちゃんも刑事課に入れられてたら、今頃は休む間もなく働いてたんじゃないかな?」

「えー、じゃあ良かったですぅ☆ わたし、ここの交通課に入れて安心しましたぁ!」

「まあまあまあ、刑事課とは違って、俺がしっかりと手取り足取り教えちゃうからさ! そこんとこは心配しないでよ!」

「キャー先輩カッコいいですー」



 慌ただしい足音をBGMにしながら、交通課に所属する軽薄そうな男と頭に何も入っていなさそうな女の新人が声量も気にせず会話している。

 腹立たし気に刑事課の人達が横目に睨んでくるのもなんのその。

 優雅にお茶に口を付けながら、カチャカチャとパソコンにゆっくりと文字を打ち込んでいる。



「でもぉ、やっぱり凄いですねぇ“連続児童誘拐事件”。どこもニュースはそればっかり取り上げてますし、わたし昨日の帰り道に取材させてくださいってどこかの新聞社の人が話しかけてきましたもん」

「あはははは、まあ、それは刑事課の人達に解決してもらうとして、俺達は俺達の仕事をしっかりやらないとだからね。あっちの手助けなんてしてる余裕ないし。新聞社の人は、きっと飛鳥ちゃんが可愛いからナンパのために話しかけたんじゃないかな?」

「やだー、もう先輩。褒めるのが上手いんだからー」



 ケラケラと軽い感じで話している二人の意見は間違っても交通課全ての総意ではない。

 だが、それを注意するだけの義理を刑事課に感じていないのも確かであり、叱りつけようなどと言う姿勢を見せるものは一人もいなかった。



「それでぇ、次の書類の作り方教えていただいて良いですかぁ?」

「んー? ああ、いや飛鳥ちゃん。今日はもう十分だよ、今日教えたことだけちゃんと覚えてくれれば、あとはゆっくり覚える余裕があるし。なにより飛鳥ちゃんはポンポンと覚えてっちゃうから、これ以上優秀なところを周りに見せちゃうと刑事課に引っ張られちゃうかもしれないよ」

「……そうですかぁ、じゃあ仕方ないですね☆ 教えていただいたことの復習をしておきたいと思います! あ、お茶入れてきますね、熱いの大丈夫ですかぁ?」

「ありがとー、流石飛鳥ちゃんは気が利くなぁ!」



 素直に喜ぶ軽薄そうな男にあざとい笑顔を向けて、頭の軽そうな女はお茶を入れに行った。


 新人への指導を任せられた軽薄男は当初こそ初の新人指導に不安を覚えていたが、想像よりもずっと優秀だった新人にいつしか不安は微塵も残っていなかった。

 これなら上司からの覚えもいいだろう、もしかしたら自分の評価も上がるかもしれないと、一人ご機嫌だった男は隣の席に目を向ける。

 そこには、隣で煩い二人がいたのをまるで気にせず、黙々と自分の作業をこなしている実年齢よりもずっと老けて見える男性警察官がいた。


 神楽坂上矢(かぐらざか かみや)、先日のバスジャック事件に遭遇し、無事に犯人確保を行った警察官だ。



「……神楽坂さんさー、この間のバスジャック事件の時お手柄だったじゃないですか? あれで給料上がったりとか、休みを特別に貰えるとかないんですか?」

「……別に無いな。と言うより、あんなもの手柄のうちに入らないだろう。本当はバスジャックをされる前に犯人を確保するべきだったんだからな」

「うわあぉ、流石元エリート刑事は言うことが違いますね。でも、忠告じゃないですけど、今は刑事課じゃないんだからあんまり派手に動くのは止めた方が良いですよ。そういう態度、刑事課連中は愉快じゃないでしょうから」

「は、あんな只の手足としてしか動けない連中に目を付けられたところで何にも怖くなんてない。むしろあんな連中とはなれ合いになりたくない」

「まあ、俺も後半は賛成ですけど」



 神楽坂は自身のやらなければならない案件を出来る限り早く終わらせ、余った時間を使い、過去の児童誘拐事件についての資料を見比べていた。

 大掛かりな事件は刑事課に任せておけばいいと思っている男にとっては、神楽坂のそんな行動は見習いたくもない。



「まあいいっすよ。神楽坂さんがウチに変な仕事を持ち込まない限りは、俺に負担がかかるわけじゃないっすから」

「お前は事件を解決して出世しようという気はないのか?」

「神楽坂さんだって出世したいわけじゃないでしょうに。俺も出世したいわけじゃなくて、そこそこの仕事をして、その金で私生活を充実させたいだけなんですよ。公務員になったのも安定してるからってだけですしー?」

「正直なのは良いことばかりじゃないぞ、そういうのは心の中だけにしとけ」

「刑事課で出世街道にいたのに荒唐無稽な主張をして、こっちに飛ばされた人の言葉とは思えませんね。ええと、なんでしたっけ――――科学では証明できない超常的な力を持った人間がいる、でしたっけ」

「…………」



 心底馬鹿にしたように吐き捨てた男性職員に、神楽坂は眉一つ動かさず資料に落としていた視線を上げ、男性職員を見据えた。

 くたびれた様な雰囲気で、燃え尽きた煤の様な神楽坂の表情に一瞬だけ言葉に詰まった男性職員は、資料を指さす。



「そりゃあ今世間で騒がれてる連続誘拐事件だって、何か超常的なもののせいに出来れば楽ですよね。自分達には理解できないことを全部超常現象のせいにして、解決できないと匙を投げて。良いですか、警察官としての誇りを持ってない俺だってわかります、科学的な根拠に基づいた法をもとに職務を執行する我々が、科学を否定してしまったら何も解決なんてできないって――――」



 早口に言い立てる男性職員を遮るように、神楽坂ははっきりと口にする。



「――――ああ、それでも……科学では証明できない力が、この世には存在するんだ。存在するんだよ」


「――――……馬鹿馬鹿しい……」



 神楽坂が疲れたように言ったその言葉に気圧されて、男性職員、藤堂はそんなことしか言えなかった。



「はーい☆ 先輩方お茶が入りましたよー☆」



 冷え切っていた空気の部署に能天気な声が響く。

 空気も読まずに入ってきた新人警察官の飛鳥は、それぞれの人達の机の上にお茶を載せていく。



「ほらほらー、藤堂先輩も座って座ってー☆」

「あ、ああ、飛鳥ちゃん。ありがとねー、じゃあ、俺も俺の仕事に移るから、さっき言った通りのことをやっておいてね」

「はーい、分かりましたぁ!」



 毒気を抜かれた藤堂を見送るように、ひらひらと手を振る飛鳥に神楽坂は胡乱気な目を向ける。

 入りたての新人だが、どうにも一つひとつの行動に意味があり、単なる空っぽ頭のようには見えないのだ。



(そういえば、警察学校の教官連中が揃って優秀とは言っていたな)


「神楽坂先輩ー、私に見とれちゃいましたぁ? まー私ってめちゃ美人だし仕方ないですけど、あんまり不躾に女性を見てるとセクハラになりますよ☆」

「ああ、悪い」



 少なくとも空気を読み、あえて周囲の状況に合わせない度胸もある奴なのだろうと、神楽坂は自分の中での飛鳥の評価を一つ上げる。

 言われた通り、視線を彼女から集めた資料へと戻して、自分の考察をまとめていたメモにまた筆を入れる作業に戻る。

 事件発生場所、日時、それらから算出される拠点と取引場所。

 それらを自分なりにまとめ、少しでも事件を解決に導くためにといくつか考え付いたものを書き記して。


 まだ、隣にいる飛鳥が興味津々と言うように神楽坂の手元を覗き込んでいることに気が付いた。



「なんだ? お前もやることがあるだろ、さっさと自分のデスクに行け」

「……神楽坂せんぱーい、先輩は今回の誘拐事件も超常的な力が関わってると思うんですかぁ?」

「だからなんだ、言っておくが散々いろんな奴からあり得ないと言われている。お前に言われるまでもなく、多くの奴が否定的な意見を持ってるのは分かってる。だが――――」



 これまで何度も言われてきた言葉だと、めんどくさそうに切り捨てようとした神楽坂の言葉に重ねる様に飛鳥は口にする。



「――――だけど、確信してるんですよね? 神楽坂先輩は“異能”の存在を」

「……お前……?」



 耳元に口を寄せて、囁くように言った飛鳥の言葉に神楽坂は目を見開く。

 彼女の声には確信が含まれているように感じたからだ。


 弾かれた様に振り向いた神楽坂の額に手作り感のある青色のお手玉が押し付けられた。

 お手玉越しに見える彼女の顔はいたずらに成功した子供のようににやにやとしている。



「――――なーんて、私はUFOとか、ネッシーとか信じないんですけどね。まあ、可愛いとは思いますけど☆」

「…………テメェ……おちょくりやがったな?」

「神楽坂先輩がこんなにかわいい後輩に構わないからですよ☆ このお手玉私のお手製なんです、非日常が好きな先輩のために今度ネッシーのぬいぐるみ作ってきてあげますね☆」



 わざわざ家庭的な部分をアピールしてから自分の机へと帰っていった飛鳥に、また個性の強そうなやつが入ってきたもんだと神楽坂は頭痛を覚える。

 あんな飄々とした態度なのに、この部署の男どもは揃って飛鳥に甘々なのだ。

 少し風にでも当たってこようかと、神楽坂は煙草に手を伸ばした。



(……そういえば、バスジャックの時の死んだ眼をした女子学生。あの子は事件に巻き込まれたのに随分落ち着いてたな。ああいう子が警察になってくれれば、きっと文句なしに優秀になるんだろうが……頭もよさそうだったし、どこか大手企業にでも就職するだろうな……)



 以前顔を合わせた少女のことを思い出し、小休憩を挟もうと席を立った時、タイミング悪く署内が少し慌ただしくなる。



「――――緊急通報がありました。この警察署の近くの家に住む少女からの通報です。ただ……家に凶器を持った男が乗り込んできたとの通報なのですが、少女は酷く落ち着いていて……もしかすると狂言通報かもしれません」

「チッ……ただでさえ誘拐事件の対応で忙しいってのに。今、手が空いてるやつはいるかー? 誰でもいいから現場に行って確認してきてくれー。おーい誰かいないかー?」


「…………はあ」



 手にしていた煙草をデスクの上に放り投げ、神楽坂は上衣を羽織りつつ駆けだした。





 ‐1‐





「ね、ねえお姉ちゃん……? もう私部屋から出ていいよね?」

「……まだ部屋から出ちゃダメ、かな」

「さっきまでしてた変な音はなんなのっ……!? 何が起きてるの? やっぱり帰ってきたのお父さんじゃなかったんだよね!?」

「なんでもないよ、もう少し待っててね」



 扉越しに不安そうに声を掛けてくる妹に適当な返事をして、背中で扉を開けられないよう押さえつける。


 パキリと、指をならして、視界の正面で立ち尽くしている男の様子を窺った。

 肩で息をしながら凄まじい形相で辺りを見回している男は目が血走り、震える手で大振りのサバイバルナイフを握り込んでいる。


 彼は今なお私を探しているようだが、正面に立つ私を気にする様子を見せることは無い。

 壁や家具を凶器で裂かれ傷だらけにされてしまったが、何とか妹がいる部屋までは辿り付かせなかった。


 時間は掛かった、だがもうこの男は私の手中の上だ。

 張り巡らせた蜘蛛の糸に巻き取られるように、彼の感覚のほとんどは拘束し終えた。

 正常に周りを把握することは出来ないし、私や妹の部屋を見付けることも出来はしない。

 私が“精神干渉”と呼んでいるこの才能は、時間を掛ければこんなことも可能なのだ。



「通報も終えたし、無力化も出来た。言い訳は……薬物でもやってたで良いですよね?」

「……ッ!! ……ァッ!!?」



 妹を不安にさせないように、相手の声も封じたのだがどうも完璧では無い。

 普段、こんな使い方をしないから、こうしていざという時に上手く出来ないのだろう。

 気にするべき点は多々あるが、動きを封じれただけで充分か。

 この状態まで持っていければあとはどんな風にでも私の思うように弄繰り回せる。


 私は今なお暴れ、何とか私達姉妹を見つけようとしている犯人をゴミでも見るように眺める。



(家の中も傷だらけになっちゃいましたし……コイツ。どう代償を払わせてやりましょうか)



 私の力はあくまで精神に作用するもので、直接危害を加えられるような力ではない。

 だから怒りに任せてぶん殴れない代わりに、証拠を残さず相手をぐちゃぐちゃにすることが可能なのだ。

 何に対しても恐怖を感じるようにしてやるべきか、はたまた、あらゆることに楽しみを感じないようにしてやるべきか。

 そんな風に悩みつつ、手のひらを藻掻く男へと向けて精神に干渉を始める。


 まずは、他人を快楽のために傷付けようとすると恐怖を感じるように。

 次に、普段から感じていた快感を何に対しても一切感じないように。

 次に、ごく一般的な善人としての行動を行うよう刷り込み。

 最後に、行動原理の核に自分自身の身を粉にしていままで迷惑をかけてきた家族に対し奉仕すると言うものを付け加える。


 ――――そんな風に目の前の危険人物を根本から作り替える。


 そうすれば、ほら、先ほどまで足掻いていた男が嘘のように静かになり、その場で呆然と立ちすくんだ。



(――――これでコイツも私の操り人形)



 もう男に自由意志などない。

 私が規定した通りの善人として、この世の中で生きるしか道はない。


 ――――文字通り、死ぬまで。



「お、お姉、パトカーが……」



 この家へと向かってくる複数の人間を感知する。

 通報なんて初めてだったが、幸い家が警察署の近くにあるからか、数分と掛からずに駆け付けてくれたようだ。



「佐取さんー? 入りますよー?」

「……」



 玄関から聞こえてきた警察官の声にも男は一切反応しない。

 ガチャガチャとドアを開けて、複数人の足音が家に響きだした。

 妹の動揺する声を聞きながら、上ってくるだろう階段に視線をやる。



「……」



 生気が抜け落ちた顔で玄関の方向を気にする犯人はピクピクと身体を痙攣させている。


「逃げなくては」と思うのに、「贖罪をしなければ」と思う。

「目的を果たさなくては」と思うのに、「目的が酷く悪いことのように」思えて行動に移せない。

 そんな風に、この男は自分の感情に板挟みになって動けない。

 結局何の行動もこの男は起こせない。


 そんな状況で、つい先日も見た顔が階段を駆け上がり私の視界に飛び込んできた。



「――――な、なんだこれは……?」

「あ、すいませんおじさん先日ぶりです。彼が刃物を持って暴れているんですが、どうも言動がおかしくて」

「君は……!? 災難ばかりだな、全くっ」



 バスジャックの時も出くわした、老け顔の警察官だ。

 警察官のおじさんは異様な現状に目を白黒とさせていたものの、すぐに口をパクパクと大きく開閉させ、硬直している犯人に掴み掛かった。

 あっと言う間に刃物を取り上げ抑え込み、即座に手錠を掛ける。

 バタバタと他の警察官が加勢して、全身を抑え付けられた犯人は碌な抵抗も出来ていない。



「――――通報のあった被疑者を確保した! 抵抗はあるが激しい暴れはないっ、連行の準備をっ!」



 背中に扉を押す力を感じてそっと身体をどければ、顔を青くした妹が様子を窺っている。

 多数の警察官に目を丸くして、抑え付けられている凶器を持った男を見て表情を引き攣らせる。


 大丈夫だよ、なんて声を掛けてみたが、目尻に浮かべた妹の涙を止めることは出来ない。

 勢いよく私に抱き着いてぐすぐすと鼻をすすり始めた妹の頭を撫でながら、抑えつけられている犯人の方向へ視線をやる。

 険しい顔をしたおじさんと目が合った。

 先日のバスジャックの時とは比にならない疑念を抱いた、おじさんの視線が私を捉えていた。





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