第10話
節操のない人間のように言わないで。
たしかそんなことを以前、北見から言われたのを彼女の部屋で思い出す。
今、節操なく人の腕にかじりつく吸血鬼を見ながら。
「おい、もういいだろ」
「も、もうひょっほ」
「飲むか喋るかどっちかにしろ」
同級生、しかも学校一の美女と名高いそんな女子に自分の腕を噛まれている光景は、実に妙な気分にさせられる。
血を吸われる感触も、慣れれば少し気持ちいいというか。
そんなことも相まって、長い間こうしていることがいけないことのように感じてしまう。
やがて、貧血になる。
「お、おい。クラクラしてきた」
「もう、情けないわよ。もう少しだけ」
「いい加減にしろ。今日はここまでだ」
俺に悪態つこうと、腕から口を離している隙にパッと手を引っ込める。
すると、血を吸うために伸びた八重歯がシュンと小さくなり。
赤い目がすうっと元の色に戻る。
「……ごちそうさま。でも、あなたの血って少し脂っこいわね」
「人様に血をいただいておいて文句言うな」
「あら、血を譲ったくらいで随分と大きくでたものね」
「じゃあこれっきりにさせてもらうけど」
「ま、待って! 何も感謝してないとは言ってないじゃない」
「言わないとわからねえなあ」
「……ありがと」
ぽそり。
悔しそうというか、恥ずかしそうに北見はようやく礼を言った。
しかしプライドの塊みたいなお嬢様がこうもたやすく折れるのだから、よほど血が飲みたいのだということだけはわかる。
しかしこんな態度を見せられると、またしても疑問がわいてくる。
「なあ、お前確か血を飲んだのは五十人くらいって言ってたよな?」
「え、ええ。それが何か?」
「ほんとは何人だ? こんな依存症みたいなお前がそんな人数で済んでるとは思えん」
「なによ、私を疑ってるの?」
「ほんとのこと言わないと血やらないぞ」
「……百人くらい」
「やっぱり」
まあ、わかってたことなので素直に答えたことに免じてそれ以上は訊かなかった。
「まあ、とにかく血はあげたんだし、俺は帰るぞ」
もう、眠気もなにもなかったがそれでも早く帰ってゆっくりしたかった。
しかし、
「待ちなさい。いただくだけいただいて何もお礼もしないで帰すなんて、そんな失礼なことはできないわ」
それが令嬢たる自分の作法だとか。
言って、俺の肩をとんと押して、ベッドに座らせる。
「そこで待ってなさい。お茶、淹れてくるから」
そのまま、北見は部屋から姿を消す。
だだっ広い部屋に一人残されてしまった。
まあそれはいいが、しかし随分と信用されたものだなと。
普通、友達だって自分のいない部屋に残していくのは少々気が引けるものだが。
それとも舐められてるのか。
俺なら何も悪さなんてできないだろうと。
……まあ、実際その通りだ。
別に引き出しを開けて下着を盗もうとか、何か面白い写真の一枚でもないかと捜索してみようとか、そんな無邪気な気持ちにはなれない。
でも、むしろそんな気になって悪戯して、それが見つかって出禁でも喰らったほうが楽だというのに。
なぜか、北見にそう思われるのは勘弁だからとか。
柄にもないことばかりが頭をよぎりながら、みるみる修復されていく彼女のつけた咬傷を見つめていた。
「あら、大人しいのね」
と、北見。
すぐにティーカップを乗せたお盆をもって戻ってきた。
「別に。人の部屋って落ち着かないんだよ」
「そ。てっきり私の下着でも漁ってるんじゃないかと思って慌てて戻ってきたけどそんな度胸もないようね」
「なんだよその言い方。下着を見られたいのか?」
「ち、違うわよ! 変態!」
お盆をカタカタさせながら赤面。
そんな彼女はやはり滑稽で、マヌケに見える。
「まあいいわ。今だけは客人ですものね。お茶、どうぞ」
「ああ、いただくよ」
ずずっ。
やはり紅茶の味はよくわからない。
いい香りだなあってくらいの感想しか、出ない。
「さて、お茶飲んだら帰るよ」
「いいけど、どうしてそんなに早く帰りたがるのかしら。逆に失礼よ」
「そっちこそ、どうして俺を引き留めたがるんだ。いてほしいのか?」
「そ、そんなこと言ってないでしょ。でも、さっさと帰ろうとされると少し腹が立つだけよ」
北見は、自身の部屋に招かれるということをもっと感謝しろと。
そう言いたげに少し頬を膨らませながら怒った表情を見せる。
ほんと、自意識の高いお嬢様だ。
「あのな、どうせ招くならもっとましな時間に呼べ。休みの日くらい寝させろ」
「……私だって寝たいわよ」
「?」
さっきまで鼻息荒くぷんすかしていたお嬢様は、しかし急にトーンダウン。
何か変なことでも言ったかと心配になったが、どう考えてもそんな発言はなかったはずで。
何か気に障ることを言ったかと尋ねてみても、知らん顔をされた。
やがて、沈黙が続いた後にお茶を飲み干して部屋をでることにした。
「もう、見送りはいいぞ」
「ええ、誰もするなんて言ってないわ」
「あ、そ。じゃあな、今日はもう血を飲みたいとか言うなよ」
「どうかしらね」
「勘弁してくれ。じゃあ、おやすみ」
部屋を出て、迷路みたいな廊下をさっさと抜けていき、勝手に大きな玄関から外に出るとちょうど日が昇り始めていた。
うっすら明るくなった外の光に目を細めながら、おやすみというのはちょっと違ったかななんて余計なことを考えて。
早朝の散歩を勤しむ老夫婦たちとすれ違いながらアパートに戻った。
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