ドキドキ“初仕事”
学校の送り迎えを開始して、そう、それでようやく、地に足が付いたような感じがしたんだった。だって、お屋敷の仕事は、掃除洗濯炊事その他諸々、役割がきっちり決まっていて、手の出しようがなかったし。
初出勤から1週間は、まだ自動車で通学している貴禰さんが学校から戻ったら一緒に午後のお茶をして(優雅な風習! カップの持ち方まで教わってしまった)、いろいろ話をして過ごした。これで働いていると言えるのか? と思ったけれど、それを望まれているのだからしかたがない。春休みになったらなったで、
「春休み中は家族旅行に行くから、学校が始まるときにまたいらして」
そう言われて、私はいきなり、2週間近い休暇を与えられたのだった(おかげで、実家に帰ったら『もうクビになったの?』と大騒ぎになってしまった。だけど、私が勤め先で充実した気持ちでいることを、みんなに ―特にお父さんに― 伝える機会が得られてよかったとは思っている)。
***
そしていよいよ新学期。貴禰さんが電車通学を始める日の前の晩。
「いよいよだねえ。だいじょうぶかい? 今からでも、これまでどおり自動車通学にしていいんだよ? え? 嫌だって? そうか、わかったよ。
じゃあね、とりあえず、最初は、車で駅まで送ってもらいなさい。初海さんとね。そこから一緒に電車に乗って、学校近くの駅まで行って、そこからは学校まで歩く。初海さんとね。帰りは、学校が終わる時間に、初海さんに迎えに行ってもらうから。また一緒に駅まで行って、電車に乗って、家の近くの駅には車を待たせておくからね、それで帰っておいで。初海さんとね」
そわそわしながら、何度も、初海さんと、を繰り返し、いいかい、くれぐれも気を付けるんだよ、そう言う九条氏に、貴禰さんは終始不満顔だった。
「駅まで、歩いて15分くらいです。車で送ってもらわなくてもだいじょうぶよ。それに帰りは、家の近くの駅まで初海さんに来ていただければ。わざわざまた学校に来るなんて、たいへんよ」
貴禰さんがそう言うと、九条氏はすぐに激しく首を振った。
「だめだめ! 家から駅まで、駅から学校まで、どちらも結構交通量が多い道もあるし、逆に人通りが無い道もある。子ども1人だけで歩いたりしたら、危ないよ!」
私の言うとおりにできないなら電車通学は認めない、今までどおり、車で送迎してもらいなさい、そう主張する父親に、貴禰さんはついに折れた。
「ごめんなさいね、こんな面倒なことをしていただくことになってしまって。本当に、お父様ったら、言い出したら聞かないのよ」
ふぅ、とため息を吐いて、いかにも大人の女性が言いそうな口ぶりで言う。ちょっと和んでしまい、だいじょうぶです、仕事があった方が嬉しいですよ、と言った。
***
一見EVとは思えない、ごつい黒塗りの車に乗り込んで駅まで。妙にクッション性のいい座席に埋まりながら、外も見れずただまっすぐ前を向いて座っていた。
車を降りて(運転手の木下さんに、『行ってらっしゃいませお嬢様方』(え!?)と丁重に送り出されつつ一緒に電車に乗り込んで、学校の最寄り駅から歩いて登校、校門を潜るのを見届けて、再び電車に乗ってお屋敷の最寄り駅まで戻って―びっくりした。まだあの車が停まっていて、木下さんが、おかえりなさいませ、と言いながら後部座席の扉を開けた。だもんで、周囲の注目が一気に集まってしまった。
***
皆さん違うんです、私はお嬢様じゃなくただの使用人なんです! と叫び出したい気持をぐっとこらえ、会釈をして乗り込んだ。
今思い出しても、頬が熱くなる。本当に、気まずいったらありゃしなかったっけ。じきに慣れてしまったけれど…。
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