3.クレーニャの葛藤
「いーやーだー!」
ファロマビル王国のイルソーレ宮殿一室にて、クレーニャのけたたましい駄々が響く。
今日は、クレーニャがルーベン王子に「
脱走という抵抗も虚しく、再び宮殿にしょっ引かれたクレーニャは、その夜伽を前にめかし込められていた。白と黒の髪をした二体の侍女型のクリーチャーが、体をくねらせて暴れるクレーニャを鏡の前の椅子に押さえつけている。
「いい加減諦めたらどうだ?」
だだっ広いクレーニャの居室の扉に背を預け、腕を組んだグレイグが問いかける。
「……ッ! あんな、イカれた、変態トンチキ野郎……は、お断り……フンッ!」
クレーニャは黒髪の侍女型クリーチャーが差し出したルージュを、顔を勢いよく逸らして回避した。くちびるに逃げられたルージュは、代わりにクレーニャの頬へきらびやかな薄桃色の線を引く。
「確かにあれは妙ちくりんだが、歴史に名を残す英傑は案外ああいう奴かもしれんぞ」
「なるとしたら、
今度は白髪の侍女型クリーチャーが、片手でクレーニャの両頬をむんずと掴む。それから、クレーニャの無防備となったくちびるへ、ルージュを丁寧に載せていく。
「白馬かは知らんが、紛れもなく王子様じゃないか。それに、さすが王族といった顔立ちに加え、学問に長け、軍事コマンド、軍事カルディアの才覚もある。伴侶とするには中々いい男だと思うが?」
「だから––––」
「それを差し引いても有り余る変態なんだな?」
「……分かってるなら聞かないでよ」
ハァ、とため息をついたクレーニャはついに暴れるのをやめ、二体の侍女型クリーチャーのされるがままになった。
「だって、そもそもおかしいもん」
顔に粉をはたかれながら、クレーニャは椅子の背にもたれて天井をあおぐ。
「何もかも急すぎるよ。わたし、三年も寝たきりだったんだよ? 目が覚めたら、この国の王子さまとの婚約が決まってて……パパとママは『大好きなお前の為だ』って言ってたけど、ほんとにそう?」
クレーニャは目にじんわりと涙を溜める。
「パパもママも、ほんとにわたしのこと好きなのかな?」
「……そりゃ、いろいろ事情とやらがあるもんさ」
「事情……ね。だいたい知ってるわ。みんな親切に教えてくれるもんね。レアタール領のこともあるし、双額紋だからでしょ? 都合いいのよね」
クレーニャは少しばかりあざけりつつ、目に溜まった涙を拭う–––– 前に布で不愛想に拭き取られた。化粧が落ちるからだ。
「事情」というのは、嫌でもクレーニャの耳に入ってきた。宮殿内のありとあらゆる人がクレーニャを見かけるたびに、噂し始めるためだ。
飽きもせず繰りかえし噂話のタネにされる「事情」は大きく分けて二つあった。
ひとつは、クレーニャの家系のことだ。クレーニャは、ファロマビル王国レアタール領主の娘という家柄だった。
レアタール領は十年前、ファロマビル王国が隣国に侵攻した際、国境戦の最前線として矢面に立たされ、甚大な被害を被った領地である。従って、かねてから王国との確執が噂されていた。今回の婚約については、レアタール領主の国王への和解と忠誠の証だとか、レアタール領主が不穏な動きを見せたから人質として娘を王都に連れてきたんだ、などと、様々な憶測が飛び交っていた。
もうひとつは、クレーニャが「
額紋とは、ほぼ全員の人類種が額に持っている小さな菱形の紋様である。普段は見えないが、魔晶核に近づくと呼応して光り、それに込められた魔力を起動できるというものだ。大抵の場合、額紋は額の中央にひとつあるだけだが、ごく稀に額の左右両端に一つずつ額紋を持つ「
双額紋は古来より神聖視されているため、ぜひとも血を交えて王室の威信を高めたいという思惑があった。
よってクレーニャは、レアタール領主を牽制し、なおかつ王室に箔をつけることができる都合の良い材料であったのだ。
「ハァ……ほんとわたしったら、都合のいい女ね……」
クレーニャは一息つくと、髪をかきあげ、憂いを含んだしとやかな目つきで、小さく呟いて見せた。不安を隠すように、ややおどけてみせたのだ。
「ませてんな、ちんちくりんのくせに」
「ッ! グレイグあんたねえ……!」
それはそうと辛辣なグレイグであった。
しばらくして、侍女型クリーチャー達の手が止まる。ようやくクレーニャの化粧が終わったのだ。
「それよりグレイグ、あんたは早くジョルドを直しなさいよね」
「わかっている」
グレイグは組んでいた腕をほどき、クレーニャに扉を譲る。
(変なことしてきたらとっちめてやるんだから……)
クレーニャは廊下に不機嫌なヒールの足音を響かせて、ルーベンの部屋に向かうのだった。
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