第一章 誘拐 ⑧
*
「やっと勘定が合いました!」
凜がこの世界に来て一ヶ月後の午後、成王府の変人こと燕文火がそろばんをはじいた。
足元では呱呱が
「今月の支払いはできそう?」
「はい。借金が減るとまではいきませんが、なんとか今月分は払えます」
「よかった!」
凜は複式で書かれた帳簿を見つめる。
宗室の王族の結婚式があり、祝いをしなければならなくなったが思っていたよりも足りず、焦ったことを思い出す。それでもなんとか工面できたのは、成王府のみんなのおかげだ。燕じいや、手伝ってくれていた小葉からも
「こうなったら祝いましょう」
先日行った絹屋が「今後ともどうぞよろしくお願いします」と
「なにか酒に合いそうなものを探してきます」
毎晩こっそり酒を飲んでいる隠れ
「じゃ、赤字でなかったことを祝して乾杯!」
全員が集まり、高々と
――友達もできたし、お酒は美味しい。家は賄い付きで、お小遣いまでもらえる。最高よね。子陣は口
凜は決意した。
――どうせ帰り方も分からないし、帰っても問題ばかり。うん、そうよ。ここにいよう。少なくとも帰ることができる日までは――。他にどうしようもないんだもの。
凜はもう一度、盃を掲げて言った。
「わたしの異世界生活を祝して、もう一度乾杯!」
なにやら分からないが、ほろ酔い加減の小葉、燕じい、燕文火は「乾杯!」と唱和した。鳥の手羽肉を手づかみで頬張りながら、やれ、どこの料理は
「騒がしいな」
紫の官服をまとった子陣が、
「まだ金策に悩んでいたのか」
「ううん。今月は大丈夫」
「いい知らせがある」
彼は片腕に抱えていた盆を凜の円卓の上に置いて意味ありげな顔をする。
「これは?」
凜が恐る恐る紫の布を取ると、そこには
「皇帝陛下より盗賊の一味を捕らえた褒美としていただいた。これを借金の返済に使ってくれ」
「本当?」
「ああ。盗賊のねぐらから貯めに貯めた黄金が山のように出て来て陛下の懐に入った。そのおこぼれにあずかったのさ」
盗賊の頭、元健の首には懸賞金もかけられていたという。多くの
「腰斬ってなに?」
「腰から人を半分にする刑だ」
「…………」
とにかくこの世界では人権などというものがないらしい。
凜は、悪いことは絶対にしないと心に誓う。
「盗賊たちは、凜と陳赫、張黄の三人を
しかも面倒なことに、どうやら凜の殺害を依頼した者と、陳炭鋪の二人の息子を誘拐するよう命じた者は別の雇い主で、それぞれの雇い主についてはいくら拷問しても吐くことがなかったらしい。
「金の受け渡しも秘密裏に行われていた」
「つまり私は盗賊たちに誘拐されたけど、誰がそれを依頼したかはまったくわからないってこと?」
「そう言われると身も
凜は不満で口を無意識に
「心配するな。秦影を凜につけるし、燕文火――はあまり役に立たなそうではあるが、一応、男だ。なるべく連れて歩くといい」
凜は金が置かれた盆を受け取る。
「金はありがとう。これで借金を返すわ。借金があるのに、ただ飯ばかり食べていることを気にしていたのよ」
「そうか? それなら凜によい仕事を紹介しよう」
「仕事?」
窓の外が急に暗くなった。
雨がぽたりぽたりと地面に落ちる音がし始める。
見れば、庭院に植えられた
「
「は? わたしが女官? 香華宮ってどこ? 皇上って誰?」
「皇上とは皇帝陛下のことだ。香華宮は皇帝のおわす皇宮だ」
「わたしが? どういうこと?」
凜は目を見開いた。
「働いて給金を仕送りしてくれ」
「なんでわたしが――」
「勅命だ」
凜が反論しかけたその時、ぴかりと稲妻が斜めに走り、大きな音が
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