第2話 その気持ちがあれば、お前は必ず強くなれる
ハチとの会話もおわり俯きながら、歩いていると、木刀で叩き合う音が聞こえてくる。どうやら気付かぬ間に、目的地にたどり着いたらしい。入り口からそっと覗き込むと、すでにファルとスアロが稽古を始めているところだった。
スアロが型の通りに、木刀を動かし、それをファルが、受け流している。
――相変わらず綺麗な刀捌きだ。
サンが、二人のことをそんな憧憬の眼差しで見ていると、彼の後ろから声がかかった。
「あ、サン! 遅かったね! スアロはもう練習始めてるよ!」
ストレートの黒髪をなびかせ、少しだけ潤んだ瞳を向けて、彼女はサンにそう告げる。
彼女はクラウ。肌は真っ白だが、背中に漆黒の翼を携えた、カラスの獣人だ。
「ちょ、クラウ! 今声かけられるとまずいって」
サンは、慌てた様子でクラウにそう述べた後、恐る恐る、また道場の中の二人に向き直った。すると案の定その二人は、稽古の手を止め、じっとサンのいる方向を見つめている。
「遅いぞ! サン! お前はいつまで寝てるんだ。そんなに遅刻ばかりしてたら、いつまでもスアロに追いつけないぞ!」
灰色に黒い斑点模様のついた翼を大きく広げ、ファルは、全身で怒りを表現する。流石にハヤブサの獣人なだけあって、眼力は鋭く、サンは思わず、体をビクッと震わせる。
「おうおう、そうだぜ、サン! お前がそんなにのんびりしてる間に俺はもっと強くなってるぞ!」
そんな張り詰めた空気を、陽気な声が少しだけ緩ませる。
声の主は、スアロ。クラウに劣らない真っ黒な翼を持ったツバメの獣人である。身長は、サンより少しだけ高く、赤と黒に染まった髪がよく似合う好青年だ。
「わかったよ。すぐに準備運動して、そっちに合流する」
「ちゃんと型の練習もしとけよ」
「はいはい、了解です。ファル先生」
寝坊はしたものの根は真面目なサンは、打ち合っている二人を見ながら、入念に準備運動をして、型の練習に移る。
ファル曰く、陽天流には別段長い歴史があるわけではない。だが、これは彼の幼馴染から受け継いだ、大切な流派らしい。この流派の特徴は、基本的に殺傷を目的としていない点であり、主に木刀などの刃のない獲物を用いて使われる。
また、流派独自の型というのもいくつもあり、陽天流ではそれらの型を日が照りつける様子になぞらえて、『照型(しょうけい)』と呼んでいる。陽天流では、いくつかあるこの照型を取り入れつつ戦うのだ。
どんな照型があるのかは今は伏せておく。ちなみにサンは今のところそういった照型を一つたりともまだうまく使えていない。
「終わったよ、ファル先生」
「ああ、分かった。じゃあ、早速お前も俺に打ち込んでみるか。……いや、ちょっと待てよ」
すると、ファルは、俯き何か考えるような仕草をした。そして、ふと、サンとスアロを交互に見ていった。
「なあ、サン。スアロ。お前ら少し試合をしてみないか?」
「おお、いいじゃん! 楽しそう! なあサン、やろうぜ!」
「嫌だよ。なんでわざわざ負ける試合をスアロとやらなきゃいけないんだ」
師範代の前で全く違う反応を見せる二者。そんな彼らに対し、ファルは鋭い眼光を二人に向ける。まあ、多分当人に、目付きが悪い自覚はあまりないのかもしれないが。
「なんかあまりにもサンの上達が遅いのが気になってな。少し、実戦の様子も知りたいと思ったんだ。サンは、型をまだしっかり使えないが、別に忘れてるわけじゃないんだろ」
「まあそりゃ忘れてはいないけど」
本当のことだ。上達は遅くとも、サンはサンなりに陽天流に真剣に取り組んでいたつもりである。だからこそ、かつて手本としてファルが示してくれた型の動きは、頭に入っている。
だが確かに、しっかりと頭に入っているのにも関わらず、ファルとの打ち合いの時に、型を使えないのは、自分にとっても不思議で仕方がない。
流石にスアロに勝てるということはないだろうが、ただ負けるだけで上達への活路が開けるというならやるに越したことはないか。
「分かった。やってみるよ」
そしてサンはスアロと、試合の準備を始めた。
木刀を持ち、適切な間合いを保って、お互いに配置につくサンとスアロ。道場の脇では、ファルとクラウが二人のことを見守っていた。
お互いに木刀を中段に構えるサンとスアロ。サンの心臓がバクバクと音を立てて鼓動する。スアロはそんな彼の様子など歯牙にもかけず、のんびりとした様子で言葉を放つ。
「いやぁ、初めてだなぁ。サンと試合するの。俺さ、一回ちゃんと戦ってみたいと思ってたんだよ」
「そうなのか、まあ、お手柔らかに頼むよ」
ファル先生が、両者の様子を伺い、声高く『始め!』と宣言する。
最初から萎縮するわけにはいかない、サンは最初に仕掛けようと合図と共に、足を踏み出し、スアロの頭を狙う。
「そう来ると思ってたよ」
スアロは、中段の姿勢のままで待ち構え、素早く刀を上げて振り下ろし、サンの剣を払う。
「――くっ」
力強く払われ、サンの手に痺れが伝わる。
その隙を見て、スアロが一気に攻め込んでくる。
サンの胸のあたりに目掛けて横に刀を振るスアロ。サンはそれをなんとか上から己の刀で払う。
「ちゃんと武器握れよ。それじゃ押し負けるぞ」
しかし払った勢いを利用して、下段から斜めに脇腹を狙って、木刀を切り上げるスアロ。サンはそれもなんとか防ぐが、スアロはそのままさらに前に踏み出し、連撃を重ねる。
「あーあ、すっかりスアロのペースになっちゃいましたね。ファル先生」
「ん〜、最初に自分から攻めたのは良かったんだけどな」
そんな二人の声もサンの耳には入らない。彼は、ただひたすらにスアロの攻撃を防ぎ、脳の引き出しから逆転の一手を模索する。
――くそっ、このまま押し切られるわけにはいかない。でも、どうしたら逆転できる?
その時、彼の頭に一つの照型が頭をよぎった。そうか、それを取り入れれば、きっと。
自分の肩めがけて真っ直ぐに振り下ろされるスアロの剣。サンはそれを力一杯横に払う。
どうせ、すぐに次の攻撃が来るだろう。しかし、今のサンが出そうとしている技は、陽天流において最速の型。
サンは、払った木刀を、途中で止め、その剣先をスアロの方に突きつける。
全ての攻撃の合間を抜い、最速の一撃を放つ。木々の葉の間に差し込む陽の光のように。
「陽天流一照型、木洩れ日(こもれび)!」
サンは力強く踏み出し、スアロの胸の中心めがけて、木刀に力を込める。
しかし、もうすぐ剣先がスアロに届こうとした時、目の前のスアロの姿が消えた。 いや、正確には、体を左に捻って横向きにし、やや後方に下がることで、サンの剣を避けたのだ。
彼の木刀はスアロの脇腹を掠め、サンは、勢いを止められず、そのまま剣を真っ直ぐに突き出した体勢になる。
――まずい、誘われた! これは、多分あの型が来る!
「陽天流三照型――」
危機を感じるサンに対して、スアロは小さく口ずさむ。
スアロは、小さく飛び上がり、捻った勢いを利用して宙で横に一回転する。スアロの翼も大きくはためき、彼の回転の勢いを増長させる。
相手の攻撃をかわす勢いを利用して、宙で横に円を描き、敵を大きく薙ぎ払う、陽天流のカウンターの型。
「日輪(にちりん)!!」
スアロの木刀が、サンのこめかみめがけて薙ぎ払われる。
サンは突き出した武器を慌てて戻そうとするが、スアロの刀のスピードには届かない。
そして、スアロの木刀が、サンの顔に届くその瞬間、空気を裂くようなファルの声が聞こえた。
「そこまで!!」
ファルの言葉を受けて、スアロは、サンの頭上に剣を通す。そして、そのまま体を捻って着地する。
サンの頭上には剣が掠められ、彼は思わず、その場にへたりと座り込む。
目の前で翼を広げ、悠々と立ち上がるスアロ。翼もなくただ座り込み、その彼を見上げるサン。
誰が見ても勝者は明白だった。
「ありがとな、サン。楽しかったよ」
スアロはそう言葉を放ち、サンに向かって、片手を差し出した。
その手を払いたかった。そして、そのままこの道場を立ち去りたかった。
けれどもサンは、どうにかそういった感情を自分の中で押し殺し、スアロの手を取るのだった。
それから午前の稽古が終わり、昼食の時間になる。いつもは、このまま道場で4人とも昼食を食べ始める。だが、今日だけ、サンは弁当を忘れたと嘘をつき、今野外の水道で頭だけを突き出し、水を浴びていた。
井戸から汲み出した水はとても心地よく、色々な感情でないまぜになったサンの頭を冷やしてくれる。
このまま嫉妬とか、僻みとか、そういう感情も全部溶け出して流れていけばいいのに。そんなことを思いながら頭を上げ、タオルで水気を拭き取っていると、右方向から声がかかった。
「ボロ負けだったな」
それは、他でもない彼の師の声であった。
「なんだよ、ファル先生。笑いにきたのかよ」
「笑ってやったら気持ちは晴れるのか?」
彼の言葉を受けて、サンはただ押し黙ることしか出来なかった。
その様子を見てファルは言葉を続ける。
「世話焼きでごめんな。俺は弟子が凹んでる時に、呑気に食う飯が美味いと思える男じゃないんだ」
「そんないいこと言うなら、もっと優しい目つきすればいいのに」
「これは、生まれつきなんだよ」
すると、ファルは屋外に設置された椅子に腰掛けて、サンに隣に座るよう促す。
サンはため息を吐いて、大人しくそこに座り込む。
「全く歯が立たなかった」
「そうだな、あそこで『木洩れ日』が決まってれば、全然勝てる試合だったと思うが」
「誘われてたんだ。先生もわかるだろ。それにかわされてる時点で、そんな遅い突き技は『木洩れ日』じゃない。ただの質の悪い模造品だ」
「まあ、そうかもな」
そして、サンたちはまるで図ったかのように、ほぼ同時に、弁当に箸をつけた。冷めても全く味の落ちないケイの料理を噛み締めながら、サンは、ぼーっと空を見上げる。こんなに晴れやかな天気だと言うのに、サンの前にどこまでも広がる青空は、不思議とどこかくすんで見えた。
「でも、悔しかったんだろ」
サンは、コクリと小さく頷く。そんなサンの様子を見て、ファルは、安堵した様子で続ける。
「実はな、それが心配だったんだよ。お前とスアロの差はどんどん開いていく一方だ。だから、もうサンには勝ちたいって気持ちがないんじゃないかって不安だったんだ」
サンは、弁当の箸を動かしながら、ファルの言葉を聞く。ファルは、そんなサンの方を向いて、なおも優しい口調で話す。
「でも、今回で安心した。お前はちゃんと悔しかったんだもんな。サン、大丈夫だよ。焦らなくていい。ゆっくりでいいんだ.その気持ちがあれば、お前は必ず強くなれる」
その言葉が終わると、ファルは静かにサンの頭に手を置いた。そして彼の頭を優しく撫でた。
不意にサンの目から涙が溢れそうになる。サンはそれをすんでのところでなんとか堪える。
ファルの手は暖かく、彼の手は、嫉妬とか妬みとか、そういった雲を少しずつ晴らしていってくれるような気がした。
だが、それによって、心が浄化される反面、サンの心には、少しのわだかまりが残った。
確かにゆっくりと強くなればいいのかもしれない。焦らなくていいのかもしれない。
でも、それじゃあ――。
『今』みんなに何かあった時、守ることができないじゃないか。
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