生きてたまるか

黒白さん

01:諦念プシガンガ

 目が覚めたら、世界は終わっていた。

 それに気がついたのは、人生で初めて経験する、静けさに包まれていたからだった。

「あれ? 終わった……?」

 かすかな音のひとつすら、耳に届いてこない。窓から漏れる、朝の光の中で、全ては二度と醒めない眠りについていた。

 ひとりの部屋の、ひとりの寝床の中で、この日を迎えたことの、安堵の息をつく。

「……とりあえず、起きるか」

 したこともないデートの日の朝を迎えたような期待を胸に、寝床から出て、すぐに弛んだ表情を引き締める。ぬか喜びだった時が怖い。

 確実に、世界がちゃんと終わっているのかどうか、まずそれを確認しようと思う。

「ふむ。全部、つかないな」

 狭く物の少ない、自分の部屋にある電化製品をひとつひとつ確かめる。照明もテレビも一切が反応しない。電気は止まっている。スマホを見ると、圏外になっている。

「もう、生存報告しなくていいのか……」

 しかしこれだけでは、ただのものすごい停電かもしれない。

 ボロアパートの二階にある、部屋の窓を開けて、外を伺う。

「……いない」

 静かな住宅街ではあるけれど、普段からひとの通りはそこそこある、窓からの景色の中に、通行人の姿は全くない。静寂に包まれた街の中には、冷たい春の風の音だけがたなびいている。

「間違いない、かな」

 世界は終わった。人間は、消えたのだ。

 だとすれば……。

「……ゾンビ、いるかな」

 世界の終わり方にも、色々ある。

 映画などのフィクションによる、世界の終わりで、一番多いパターンは、未知のウイルスのパンデミックにより、人間がゾンビ化してゆき、社会が崩壊する、というものである。もう、こればっかりだ。

 そもそも、ゾンビという存在を出すことからして、根底から無理があるのだが、ゾンビが出現した時のためのガイドブックが売られていたり、ゾンビ時代への正しい対処法や必勝法が、世界中のネットで本気で議論されて久しいのだ。

 つまり、人類はゾンビが大好きで、ゾンビの溢れた世界は、多くのひとから待ちわびられているのだろう。その期待に応え、今や外には、ゾンビがうじゃうじゃ跋扈しているかもしれない。

 適当に服を着替えて、そろりと警戒しながら、部屋の外に出る。

「……いない、か」

 周囲を伺いながら、しばらく歩いてみるけれど、ゾンビらしき人影もなければ、うーとかあーとかいう、ゾンビの挨拶も聞こえてこない。

 歩いて少しの駅までの道中、信号は消え、店の自動ドアは反応せず、小鳥は囀り、カラスはいたずらしているけれど、人間はいない。

 都心から至近にして、知名度及び人気皆無の、我が駅に着き、改札まで来てみたが、そこも駅員すらおらず、色濃い影が動かない自動改札機に落ちている。

「無人駅になっちゃった。無賃入場しますね」

 高架上のホームに立ち、東京の町を眺め下ろす。……何の音も聞こえてこない。

「火事の煙とかもないな」

 街を破壊せず、人間だけを殺すという、中性子爆弾が使われた、というわけでもなさそうだ。破壊や戦闘の気配も形跡もない。

 ただ、人間だけが消えたのだ。

 その理由も原因も、正直それほど興味はなく、結果だけが嬉しかった。

「ふう」

 ベンチに座り、見たことのないほど澄んだ空を見ながら、深く息をつく。

「これで……」

 ……もう、生きている必要はない。

 自ら死ぬことは罪だった。どれだけ不道徳であり迷惑なことであるのかを、いつからか繰り返し植え付けられ、僕はこれまでを、十九歳のここまでを生きてきた。

 けれどももう、何をしても怒るひとも、迷惑をかけるひともいない。

「……じゃ、遠慮なく」

 ホームのへりで、しばらく立つ。けれどもここに、列車が来ることは、もうないのだ。

 苦笑し、なにをしてるのかと思う。

 どうやろうか、どういう方法でやってもいいな、などと贅沢に、自殺の方法を選んでいるうちに、空腹に気がついた。

 死ぬ前の腹ごしらえをと、駅前のコンビニにお邪魔し、冷蔵庫も換気扇も止まった静かな店内から、おにぎりとミネラルウォーターをいただいてゆく。

「うま」

 好物だったおにぎりを、好きなだけ頬張る。最後の晩餐、ではなく、最後の朝食は、なかなかに愉快だった。

 駅前広場を見渡せる階段に腰掛け、桜の散り終えた四月の空と街を、ひとり眺める。誰の目もなく、どう見られることもない時間が、心の底から落ち着けた。自分の吐息が心地よかった。

「もうこれ、ダメになるんだよね……」

 要冷蔵の食品はすぐに腐ってしまうだろう。そう考えた時、はたと思いつく。

 ……まだ、ものが食べられるうちに、今のうちに。

 よしとひとつ頷き、生きてきた自分へのご褒美でもするかと決める。

 駅前の小さなロータリーで、キーが付いたままの原付バイクを見つけ、お借りしますとそれにまたがり、電車で十数分の都心方面へ向けて走り出す。

 いつもは混んでいる広い通りにも、車は一台も見えない。信号を守ろうにも、信号は消え、事故を起こそうにも、他に車も通行人もなく、警察に捕まろうにも、警察はもういない。なんだか変な笑いが漏れる。壊れたのか自分と思う。

 繁華街のあるターミナル駅に着く。日本で一番人が多いようなこの場所でも、静寂が空気を支配し、人の姿は全くなかった。ちらりと動くものが見えたと思ったら、カラスやネズミだった。

「開いてる……?」

 大通りに面したデパートのひとつに近づく。なぜか、出入り口は施錠されておらず、シャッターも閉まっていない。通り沿いの全ての建物は、客が来るのを待っているかのように、開いているのだ。

 はてと思いながら、館内に足を踏み入れると、真っ暗だった。電気が止まっているので当然かと頷き、近くのコンビニで懐中電灯を見つけてくる。

「うはは、すげえ」

 地下の食品、総菜売り場へ行くと、全てが取り放題だった。大体はまだ痛んだ様子はなく大丈夫そうだ。

 なるべく高級なものを、などと物色し、バックヤードの冷凍室を開けると、そこには冷凍された食肉が、互いを冷やし合い、溶けずに積まれていた。

「わあ、これみんな、高いやつばっかりだわ。……あ、そうだ」

 なるべく高級そうな肉ばかりと、値段の張る順に総菜を漁り、カゴいっぱいに詰め込むと、屋上広場まで運ぶ。

「次に」

 アウトドア用品売り場まで行き、カセットコンロとフライパンを入手し、さらに食用油と調味料を持ってゆく。

 準備が整い、デパート屋上のテーブルで、最高級の霜降り肉を大量に焼き、塩を振るのももどかしく、青空の下でかぶりついてゆく。

「……やばい」

 味から、香りから、舌触りまで、経験したことのない旨味。

 笑顔が零れ、何か涙まで出そうになる。生ハムにチーズとキャビアを乗っけて食べると、これもまた変な声が出るくらいに美味い。

 たっぷりと時間をかけて、腹がはち切れんばかりに、豪華な食事を済ませ、食べ疲れでベンチに横になる。

「はあ……」

 春霞の消えた青い虚空が、頭上に広がる。

 好き放題をしても、許される。

 許さないひとは、もういない。自分を見つめる目はどこにもない。

 世界は今、自分だけのもの。そのことに気がつき、言葉にすらできない、その心地をかみしめる。

「少し……生きてみるかな……」

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