眠れない夜へ

夏瀬縁

タナカといきてるじかんじく


卑屈で天邪鬼で、常に気だるげ。

病人みたいな顔色で、目の下に大きなくまをこさえて笑わない。

自分から主張はしないのに、何か間違った物を見ると裏で毒を吐く。

その間違いのおかしさを共有する友もいないから、心の中に声を押し留める。


そんな人間、生きてていいのだろうか。


ひとつの大きな過ちへの議論を批判し、自分の意見は述べない。

批判だけする。


そんな生き物、人間と言えるのだろうか。


一人の、いや、一匹の怪物だか人間だか機械だか分からない黒い塊。

タナカがひとつ、部屋の右端のベッドの上。




薄く家具が見えるくらいに暗闇に慣れてしまったこの部屋で、ぱっちり目を開け真剣に天井を見つめた。

最初はぬくかった布団が暑く発熱したかのように居心地が悪くなった。

しかしまだ外は寒いもんだから、寒いよりは暑い方がまだ幾許かマシだろうと、僕は諦めて布団を顎まで上げた。


タナカと生を受けて、一時一時をはしゃいで過ごせば16年。


かの太宰の小説の冒頭で恥の多い人生を送ったとあるが、あの時の太宰はこんな気持ちだったのだろうか。

今までの時間がいかに無駄で、不必要に満ちたものだったのか。

気づいてから戻りたくなれども絶対に戻れない。


某海賊の登場するアニメでは、自らの一生を

いい人生だったと振り返って命を落とすキャラクターが登場する。

僕はそのシーンがお気に入りで、何度も何度も繰り返し読んだものである。

今ではどっかの物置の中でホコリを被っているであろうあの聖書。


何度も読み返しても、あの感動はもうやってくることは無いのだ。

初めて見た時の感動は直ぐに忘れてしまうものなんかではなくて、脳にこびりついて離れない。

僕はあの感動を手にする代償に、胸の奥から感情がせり上がってくるあの感覚を得る力を失ってしまったのだ。

あの頃に時間を巻き戻すことができない限りは。


あのキャラクターは自分がこの世から完全に消滅する、死という終わりを目の前に何を思って、いい人生だったと言ったのだろうか。


僕にも得られるだろうか。

僕は自分の死を目の前にして、いい人生であると胸を張って言える材料を手にするのだろうか。

いいや、無理だろう。

それこそ、時間を巻き戻すことと同じくらい。






「高校生は無敵」

SNS上でよく見る言葉である。

彼ら彼女らは輝いていて、それぞれ高校生活を謳歌している。

テストで悩んでみたり、恋愛がどう、推しがどうと言った具合に。


悩んでいることイコール謳歌しているというのはちと違う気がしないでもないが、僕からしたら謳歌と言える。

何故なら、悩むという発想自体が自分が変わろうとしていることの証拠だからだ。

僕のように、他人の悪いところしか指摘できないような腐った生き物からしてみれば、自分自身を見つめ、そして改善しようとするなんて高度なことはとてもではないができっこない。


で、彼彼女らが「高校生」であり、なおかつ「無敵」であるのには理由がある。


それはただ一つ、「時間を巻き戻そうとしていないから」。それだけ。


僕は真っ暗な顔のまま僕を見つめ返す天井に脳波を送ってドヤ顔をかました。


「過去」や「未来」と言った、「今」以外のことを考えると言うことは多くの人にとって苦痛を伴うことである。

例えば、〜の締切が、だったり、老後は、とか、未来の事を考えると何となく生きるのを急かされている気がする。

かと言えば、過去は過去で、楽しかったあの頃に〜、と昔を懐かしむのだ。どうせ。


その点、高校生は「今」。

ピンポイントで、間違いなく「今」を生きている。

どんなに悩み事があったって、それは比較的短時間で解決することが出来、なおかつ、それのサポートまでしてくれる先生という便利な人物もいる。


つまり、「高校生」が「無敵」であるためには、彼らがめんどくさいと口々に言う「学校」が必要不可欠なのである。

学校にさえ所属してしまえば、何かあっても友達や先生、社会が守ってくれる。


高校生は学校があることによって、過去や未来を気にする事を忘れるほどに、今を生きている一種の別の生き物。


いわば新人類「高校生」であるのだ。


新人類「高校生」は比喩でもなんでもなくまさに無敵で、あっという間に3年を謳歌する。


常に今に対する上昇志向が高い彼彼女らは、こう言うんだ。

「あおはるさいこう」

最高だろう。

日々守られている生活は。

何故なら、無敵で最強で唯一無二の存在なのだから。




でも、不思議なものだ。


どうして揃いも揃って信じ込んでいるんだろう。

僕は不思議でたまらない。


無敵で無知で無力な高校生は、どうして「今」が続くなんて信じているんだろう。

いい人生だったと、そんな綺麗に振り返る間もなく死が来る可能性もあるはずだ。

今日が終わったと目を閉じて、夜越せば明日が来る。



明日が来るとは誰も保証出来ないのに。


「今」をどうして騒げるのだろうか。



田中が見ていた天井は、いつの間にか真っ暗に染められてしまっていた。


田中の眠れない夜は明日も、明後日も続く。

彼が疑問に思う限り。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る