受験生が走る時
向井みの
第1話 当日
私、岩本奈子といいます。試験が始まってまずすることは、この名前を記入すること。え?試験って本当に始まるの?いつ?今日だよ。は?今日?
高校受験というのは、多くの人にとって人生初の試練であり競争だろうと思う。かくいう私も、小学生時代にお受験なんてしなかったから、今が人生初にして一番の試練だ。受験を意識する時期は年々早くなっているらしく、中学一年生が終わる頃にはもう、教師たちは受験をほのめかせてきていた。つまり、受験にかけた時間は約二年。かけた労力の全てが、今日のためにあったと言えるのである。
本日、一月十七日。公立高校入試当日、今私は志望校に向かって歩いている。志望校といっても、田舎の限られた選択肢の中から自分の実力に見合った高校を選んだだけなんだけれど。本当はもっと都会で育って、駅から歩いて十分くらいで着くような高校を選びたかった。うんと勉強ができる人間だったら、都会に通うのも許されたのかな。いや、今はそんなことはどうでも良い。試験本番はもう一時間後まで迫っている。決戦の地へ、あと数分で到着する。なんで試験が始まる一時間以上前に来ているかって?電車の本数が少なくて、余裕を持って辿り着こうと思ったらこれだけ前になるんだよ。
駅から高校までの道を歩いて、改めて思う。本当に何もないな。民家とクリーニング店と田んぼしかない。駅まで行けば、かろうじて小さなコンビニがあるけれど、道中何もない。歩道らしい歩道もなく、狭い白線の内側を縫うように歩く。途中、向かってくる自転車を避けるのに壁に張り付く必要があった。思わずため息が出るけれど、これも仕方がない。無事受かって、三年間通えば慣れるよきっと。
ようやく会場である志望校にたどり着いた。校門をくぐると、右手側に大きな運動場が見える。サッカーをする人工芝と、野球をする土のグラウンドだ。人工芝のグランドは珍しいらしく、サッカーをしたくて志望する生徒も多いそうだ。そういえば隣のクラスに、サッカーのスポーツ推薦ですでにここに受かってる奴がいたな。正面に位置する校舎の前には、広い駐車場がある。そして、グラウンドに向かう形でベンチが数個設置されていた。
周りを見渡すと、私以外にも早めにやって来ている受験生がちらほらいる。探したが、同じ制服の子はいなかった。天気はよくとも、一月の外は寒い。しかし今の私は、緊張で寒さなど感じる余裕すらなかった。迷わずベンチに腰を下ろし、リュックの外ポケットに入れた水筒を取り出す。今朝母が「頑張りなさいね」と言って手渡してくれた熱いほうじ茶。なんだか泣きたくなってくる。熱い応援が、プレッシャーにすり替わって肩にのしかかってくるようだ。ダメダメ、気持ちを切り替えなくちゃ。ノート出して復習しよう!
「あ」
ノートをめくるのに邪魔な手袋を取りはずした時である。左の手の甲に目が留まった。間抜けな声と共に身体が固まる。
『数Ⅰテキストp.14~18、㋁まで』
手の甲にあったのは、数日前の自分が油性ペンで残した宿題のメモであった。全身から勢いよく汗が湧き出す。半年前に塾講師に言われた言葉が脳裏によみがえった。
「あなた手の甲にメモする習慣があるでしょう。それ試験の時残しとくとカンニングと思われるから、気をつけなさいね」
つづく・・・
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