第10話 強欲
「人間の魂……だと?」
エクサードの身から、またしても声が溢れる。聞いていて耳が痛くなるというのは、なかなかある事ではないのだが、どうやらこの声はそれに値するらしい。電子音で送られる男の声を聞くたびに嫌悪感が絡みつくようにしていた。
「既に死して行き場を失った魂だ。俺が生前の身に何かした訳ではあるまい」
「果たして悪魔の言葉を人間が信じると思うか」
白いボディはなんらかの金属で作られ、簡素な光を反射させている。ところどころにラインを引いて、その内より青白い光が放たれていた。プラズマの類か、その中に波打つ雷のようなものが形を作ってはすぐに崩れてを繰り返す。
「貴様が人類の総意だとでも言いたそうだな」
そんな単純な思考を持ち合わせている生物などこの世には居ないと考えるのが正しい。種の全てが同じ意見の元に成り立っているなんて、脅迫などの行為を用いない限りは実現する筈もない。
「当然だろう。先日のDR本部が襲撃を受けた件について、一人の隊員が死亡。これを受けて尚悪魔に情けをかける奴など人間でない」
こちらを睨む電子の目は、下卑た笑いを見せる。それを遮る鋼鉄がその顔に張り付いていたとしても、突き抜けるようにして、己の苛立ちを増長させるシステムと化していた。
当然だ。サルガタナスが確認したこの少し先にある牢には、現在死亡したとして扱われている隊員が囚われているというのだから。生きた人間を監禁し、死した扱いとして世間に報じる。このような存在が種の総意を語るには当然相応しくないだろう。
「その隊員が、地下に監禁されていると知れば人類の総意はどう傾くだろうな」
いい加減に気分が悪くなる会話はやめるとしよう。時間稼ぎの為とはいえ、己のコンディションを損なってしまえば大事に至るケースもあるのだから。
有効打となる人間の魂はあまり数を持ち合わせておらず、できるだけ節約をしながら戦わなければならない。相手に恨みを持つ魂を操る事もできるが、この男自ら手を下した事は無いらしく魂の怨念が微塵も付着していなかった。
つまり、全くダメージを与えられない武具で延々と交戦しなければならない。
息を吸い、背後に向けて悪魔の魂を噴出。勢いを加速させてエクサードの右腰辺りに身を屈めて入り込み、回し蹴りにより右脚のバランスを奪う。
しかしその動きを完全に予測していたかのように、空中へ飛び上がった巨体の拳はこちらに向いていた。まるで転がされることすらも作戦の内だと言わんばかりの勢いは、次第に加速している。
唐突なそれに反応するよう、適当な魂を生み出して威力を相殺。跳ね返したついでに、魂と反発しあったエクサードの顔面に向けて斜め上のローキックを放つ。
やはりその金属を破壊する事は不可能らしいが、勢いをつければ吹き飛ばす事は可能らしい。どんな空間であろうと人間は、地球上にいる限り物理法則には逆らえないのだ。
吹き飛んだ先でも相変わらずダメージは無いようで、ジェットを使って体勢を立て直していた。低級悪魔の魂を使ったとてダメージは生まれないが、己自身が繰り出す打撃にはどうやら少しだけ効果が生まれるらしい。
この攻撃を、反撃や体制を整える隙すら与えないよう続ければいつかは追い込むことが出来るだろうか。なにかと理想ばかりを語る自身にはなんとなく嫌気が指すので、その通りに実行することにした。
また同じように、後ろへ向けた掌より魂の噴出。既に距離は詰まっているが、エクサードの体制は整っている。
向こう側からも拳が飛び、こちら側も対応するようにして拳を飛ばす。相殺し合うそれらは金属に触れた側が滑り込み、勢い付いてその身を滑らせた。
隙を見せたなと言いたげな表情を向けているが、彼の視界の端へと逸れていくこの身へ顔を向けようとはしない。身体ごと動かして、追い討ちをかけようと考えているのだろう。
だからこそ、その時間を有意義に使わせてもらおう。そんな心境を浮かべ、向こう側が正面を向き続けているうちに、もう片方の拳に人間の魂を集中させて構えた。
予想通りに大きな身体
そのものをこちらに向けたエクサードは、攻撃を構え腕そのものを振り上げている。だからこそ、滑らせた位置のまま下へ向く腕と上を向く腕が合計二本。
エクサードに防御の術は、ない。
全力と魂を込めて、その顔面に拳を放つ。
当然傷は付かないらしいが、モロに顔面位置へと盛大な打撃が通じた。出来ることなら、脳震盪くらいを起こしていてくれたらこちらがかなりの優勢に回る。
その打撃を受けて、壁と天井の境目へ打ち付けられる白いスーツ。その姿は落下する際にジェットによって体制を立て直すが、ふらふらとしてその目が何を捉えているのかは分からない。
「……もういいだろう。眠った方が楽になれるぞ」
情けを掛けた言葉に、首をブルンブルンと振り回すエクサードは青白い光のラインから煙を噴出している。どうやら内部構造で何かが起きているらしい。
「まだだ……‼︎悪魔に屈する事など……無いッ‼︎」
噴出する煙は数を増し、見合った擬音を放ちながらエクサードの右腿辺りにあるスロットが解放される。その中に並ぶ光景に、言葉を飲んだ。
「貴様ッ……何をするつもりだ⁉︎」
「見ればわかるだろう?食事だ」
エクサードの右腰から現れたスロットの内には、赤黒い球が3つ並んでいた。エクサードの顔を覆う部分の下半分が開き、羽島の髭を生やした顎が姿を覗かせる。羽島はスロットのうち上二つを指で挟み、顔の手前にて光に透かした。
「なっ……‼︎」
当然と言わんばかりに悪魔のコアを二つ、あっという間に飲み込んだ羽島は大きく息をついて口の部分の装甲を閉じた。
それにより、エクサードの表面を統べる純白の隙間から紺色の結晶が出現。徐々に肥大化するそれに侵食された身は、左右不対象の身を禍々しく表現して佇んでいた。
先程閉じた口元の装甲は、内側から侵食する紺の牙らしきものが形作っている。
「正気か……?あれだけ悪魔の存在を下卑しておいて、その力に頼るなど」
「五月蝿い‼︎私が制御すれば、それはもう私の力だ‼︎」
その禍々しさを帯びた掌を地に広げ、力むと同時にこちらへ向けて焔が迫る。この力を扱ったということは、恐らく内一つはイフリートのコアだろうか。それなりに強力な悪魔だが、それすらも殺しコアを奪うとは、このスーツは一体どういう性能をしているのだろうか。
近づく焔を避ける為、地に向けて魂を飛ばす。反動で浮き上がった身体は無事だが、少しだけ服の一部が焦げてしまったらしい。
空中でそのまま魂を噴射し、異形と化したエクサードに迫る。またも隙を見つけたので、人間の魂をメインウェポンにシフトして拳を放つ。
ふと、その体勢によって映る視界の端にとあるものを発見した。しっかりとそれが何を指すのかを理解した思考は、拳を当てた後に反撃を警戒することなくその場で待機した。
吹き飛ばされるエクサードはいつも通りに体勢を整え、こちらを睨む。そしてその姿を、呼吸を荒くしながら傍観する。
「どうした‼︎遂に体力が追いつかなくなったか⁉︎」
電子音は禍々しく加工され、最早先程の声に面影はない。己の身を壁に付け、二の腕を掴んで組むように呼吸を続けた。
当然その姿を捉えたエクサードは、限界を迎えた己の身にトドメを刺す為向こう側から仕掛けてくるだろう。
だからこそ、それを狙っていた。
偽っていた体力の限界を解除して、魂を右側に打ち込んだ風圧で左側に己を吹き飛ばす。一連によりこの身は攻撃を避け、エクサードの拳は、先程己の身体を預けていた檻と檻の隙間に立てられた柱に直撃する。
「なんだ、まだ余裕じゃないか」
「この程度が限界なら6柱なんてやってねえ」
「サルガタナスも同じことを言っていたぞ」
そう言って笑うエクサードの背後にて、唐突な爆音が響いていた。
時は、サルガタナスとエクサードの交戦。余りにも勝率の無いサルガタナスを傍観する目は檻の中で二つ並んで真剣にその姿を追っていた。
瞬間移動を繰り返し、何度も投げられるナイフは全くと言っていいほどダメージを与えていない。それでも繰り返すその姿に、いつしか悪魔に対して静かながら声援を送るなんてことになっていた。
「……なぁ、もしサルガタナスが勝ったら俺らはここから解放される。でもよ、お前今死んだことにされてんだろ。ここから出て、その後は幸せ見つけれんのか」
隣の檻で縛られる悪魔は語りかける。何かをしようにもどうしようもないこの空間では考えるに至らなかったが、その先に己が何を求めているのかがわからなかった。
ここから出るためには、眼前のサルガタナスが羽島を倒さねばならない。だが、自身をここに収監した羽島への復讐を正義としている今の己が解放の先に求める正義とは。幸せとは、一体なんなのだろうか。
「俺はこっから出たら……そうだな、また太陽に当てられながら昼寝がしてえ。日が傾く頃に目覚めて、甘いものでも食いながらゆっくり獄に帰る。んな生活を一生続けてえな」
「それがお前の正義か」
「ああそうだよ。やりたい時にやりたいことをやれるだけやる。平和で呑気な、己の欲に正直な日常が俺の正義だ」
呆れたものだ。あれだけ外に出たいと垂れ流すからには何があるのかと思えば、ただ己の欲に正直な堕落した存在だったのだ。
「くだらねえと思ったか?」
「あぁ。本当にくだらないな」
「まぁそういうもんだよ。人それぞれ同じ幸せなんて持ってねえの。他人の幸せなんか理解しようとするだけ無駄だぜ」
いつしか傍観の意識は会話に飛び、眼前の出来事を全くと言っていいほど見ていなかった。ふと意識を自然に戻す頃には、地に膝をつけたサルガタナスが巨体の影に迫られている光景だった。
「おいっ逃げろ‼︎」
その声も虚しく、限界を迎えたサルガタナスの体力。動くことができないその姿に、希望の灯火が消えかけるような感覚を受けた。
だが、振り下ろされるエクサードの腕は空中で停止する。現れた二つの姿のうち、一つがその身を受け止めたからだ。
「おおぅ、ネビロスまで参戦かよ。6柱やる気満々じゃん」
隣の檻から聞こえる呑気な声は、まるでネビロスの登場を元から知っていたような口調を示していた。
開戦した眼前の細い通路にて、吹き飛ばされては追いついてを繰り返していた彼らの戦闘は、檻の中からでは充分に観ることができないらしい。
「なあ、お前の正義はあの男に復讐することなんだろ」
「……そう解釈しているのなら、そう思えばいい」
「それなら俺らの幸せ、両方実現できる方法があるんだが乗る気はねえか」
相変わらず顔は見えないが、随分と笑っているようだ。何を企んでいるかは知らないが、彼は語る。羽島に一矢報いて、ここから脱出し平穏な日常を過ごすことができる方法を。
「……その言葉に偽りは?」
「ある訳ねえだろ、俺は欲に忠実なただの悪魔だ。自分の為なら手段は問わねえ」
眼前の高速というに相応しい戦と、悪魔のルーズな喋り方。この二つが異様な空気を作り出し、少しずつ三半規管を弱める。だが理解できるのは、己が今悪魔との契約を結ぼうとしているということだ。
「いいだろう。乗ってやる」
「おぉ、それはありがてえ。お前、名前は?」
「皆倉蓮磨だ」
「そうかい」
「お前は?」
「あぁ、俺か。俺は『マモン』だ」
そう残した後、自身とマモンの檻の間に立つ壁にネビロスがもたれかかる。その目標物を目掛けたエクサードの拳が、ネビロスの回避によってその壁に大きな打撃を与えた。
「今なら人間のお前でもこの壁壊せるぜ。俺んとこまで来てくれ」
言われた通りに、脆く崩れかけて塗装が剥げた壁を強く叩く。鉄筋とコンクリートが使用された壁だが、先程エクサードが放った馬鹿のような力で鉄筋は折り曲げられていた。壁はヒビを作り、人間の力で叩いても少しずつボロボロと崩れ落ちていく。
だが、これでは少し効率が悪い上に時間がかかってしまう。ふと、初日に剥がされた鎖がそのまま放置されているのを見つけて、それを壁に向けて打ち付けることにした。
「はぁぁぁッ‼︎」
「おおいい感じだな。つかもういいぞ、これくらいの穴なら通れる」
「は?」
おそらくバスケットボール一つ分くらいの穴が完成したが、これを通るというのは無理があるのではないだろうか。
なんて考えていると、その穴の向こう側から何かが飛んできた。瞬時に右手でキャッチしたこの赤黒い球は、先程エクサードの右腰辺りから取り出されたものに酷似している。
「俺のコアだ。それを飲み込め」
「なんだと?」
「乗るんじゃなかったのか?」
「……わかった。飲み込めばいいんだな」
多少ねっとりとした正体不明のものが付着しているが、それすらもこの際どうでもいい。右手に握りしめたマモンのコアを喰らうために口を大きく広げ、半ば強引にその球体を飲み込んだ。
「さぁて、俺らの求める幸せのためだ。奴の正義を喰らうぞ」
己の身は、どうやらマモンに乗っ取られてしまったらしい。下半身からなぞる様に次々とあらゆる物質が次々に錬成され、悪魔とはこうあるべきかと言わんばかりのフォルムが素の皆倉蓮也を覆い、最後には口元だけを覆い隠すペストマスクの様な形をしたものが視界の下半分を隠した。
『俺、復帰直後で動くの慣れてねえから身体の操作はお前に任せるわ。あと、俺の能力は片っ端から使える様になってるぜ。指示はしっかりしてやるから安心しろ』
精神の奥から、数日聴き続けたマモンの声が響いた。どうやら乗っ取られたわけではなく、己の身体にマモンの能力やスペックを上乗せしているらしい。
だが、この悪趣味な格好はどうにかならなかったのだろうか。
「普通に動くだけでいいんだな?」
『あぁ、とりあえず今のお前ならパンチ一発でこの檻も壊せるはずだぜ』
その言葉通りに、いつもの戦闘訓練で繰り出していた拳を眼前の縦横に向けて繰り出す。マモンの語る通り、かなりの勢いを付けてその鉄塊は吹き飛んで反対側の檻と衝突。大きな金属音を立てて、己の身は解放された。
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