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 ――遡ること十一年前、夏を迎えたダールトンの侯爵領では、大勢の大人が屋敷を右往左往していた。せっかくの休暇だというのに、閉じ込めるように子供部屋に残されたカイル、ジャクリーン、リンジーの三人は暇を持て余していた。


「よし、探りに行こうぜリンジー」

 落ち着かなさげに室内をうろうろしていたカイルお兄様が思い立ったように言った。


 年の離れた兄弟が学校へ通い始めて、退屈でうんざりしていた私はその夏、カイルお兄様の後を子分のように引っ付いて回っていたのだった。


 分別をつけ始めた長男と、元々室内での遊びの方が好きだったジャクリーンお姉さまをよそに、まだまだやんちゃの盛りで体力を持て余していた彼は、満更でもない様子で後をついていく私と野山を駆け回ったものだった。


「駄目よ、お母様に怒られるわよ」

 私が何か言うより先に、お行儀よく本を読んでいたジャクリーンが本から顔も上げずに言った。


「じゃあお前は気にならないのかよ」

「そうは言ってないじゃない」

 双子がいつものように諍い始める。こうなると口を挟んでも無駄なので二人を放置して、背伸びして窓から外を眺めていると、母が馬車に乗り込むのが見えた。


「行くわ、カイルお兄様」

 遠くなっていく馬車を見送ってから室内を振り返って言うと、二人がきょとんとこちらを見返す。そうしているときれいな顔の二人はよく似ているなと思った。


「リンジー! 駄目よ……」

「大丈夫、お母様なら今出かけて行ったわ。窓から見てたの」

 胸を張って言うと、カイルお兄様はにやっと笑い、ジャクリーンお姉さまは目を丸くして口を押さえた。


「何か分かったら知らせに来るわ」

 もう止められないと悟ったのか、お姉さまも知りたいと思ったのか、ため息をついた彼女は黙って見送った。


 屋敷には見たことのない大人が出入りして、ひどく慌ただしい。こそこそ見つからないように移動するのは楽しかった。厨房の方まで行くと、料理人らが肉や野菜、小麦の袋などを忙しなく運び込んでいた。


「あんなに食べられないわ」

「馬鹿だな、きっと誰か来るんだよ」

「そうなのね!誰が来るのかしら」

 物陰からその様子を覗いてそっと兄に言うと、呆れたように返された。


 ごほん、不意に背後で咳払いがして二人で振り返ると、アーサーお兄様が手を組んで立っていた。

「二人とも、ちゃんと部屋にいるよう言われただろう」

「ごめんなさい、退屈だったんだもの」

 ため息をついた長男は、私を抱き上げ、カイルお兄様に行くぞと声を掛けて歩き始めた。高くなった視界から見下ろしたカイルお兄様はなんだか青い顔をしているようだった。


 三人の横を見知らぬ大人が通り過ぎていく。

「あの人たち誰?」

「王都から来た人たちだよ」


「王都? なんで?」

「偉い人が来るんだ。ちゃんとお行儀よくしててね」

「はーい」

 元気よく返事をすると兄は困ったように微笑んでいた。


「お前もリンジーを連れまわすんじゃないよ」

「分かったよ」

 長男にお灸をすえられたカイルお兄様は、ぶすっと口を尖らせながら渋々と頷いた


 話をしているうちに子供部屋に連れて来られた。また待たされるのかとうんざりしたが、お兄様が盤上の遊戯を用意してくれて、久々に四人で遊んだ。露骨な手加減をするアーサーとジャクリーン、その反対に全く手加減をしないカイルにも腹が立って、勝てるまでやると駄々をこねて夢中になって遊んだ。


 その日の晩、久しぶりに祖父がやってきた。病気にかかった祖母の療養に集中するため、祖父は早々に爵位を父に譲り、気候の温暖な地域に暮らしていた。陽気で豪快な祖父は食卓を大いに賑わせた。


 独立戦争の話をせがむカイルに応え、祖父は臨場感たっぷりに当時の武勇伝を聞かせ、長男も目を輝かせて聞いてた。おじいさまは馬の名手で、独立戦争で大活躍したらしい。


 食事を終えて部屋を移り、家族と昔から仕えている執事だけが室内に残った。父と祖父、執事は顔を突き合わせて何やら難しい話をしている。久々に会う祖父に、いい加減構ってもらいたい気持ちだったが、いつになくぴりついた雰囲気に黙って大人しくしていた。


 何かをくどくどと確認する執事にうんざりした様子で祖父がため息をついた。ふと目が合った祖父に笑顔で手招きされたので、遠慮なくその膝によじ登った。


「もうこれ以上準備することもないだろう。リンジー、もうすっかり大きくなったな」

「しかし……いらっしゃるのは皇太子のご長男、皇族ですぞ!」

 いつになく興奮した様子の執事が言い募った。


「何かあったら今度こそ首が飛ぶだけだな」

 そう言うと祖父が豪快に笑い、私を乗せた立派なお腹がゆさゆさと揺れた。

「笑えませんよ、父上……」

 諦め半分のお父さんがそう言うと執事も肩を落とした。力強い腕が私を抱き上げて、頬ずりをされる。もじゃもじゃとした顎髭がくすぐったかった。


「ジャクリーンもおいで」

 こちらを見つめる視線に気付いたのか、おじいさまがお姉さまに声を掛ける。少し迷いながらも嬉しそうにした姉が私の腰かける側とは逆の膝にそっと座った。


 私たちに顎を擦りつけるようにして、きゃあきゃあと上がる笑い声を満足げに聞いていた祖父が、ふと真面目な表情で父に言った。

「この子たちが平和に生きている姿を見られただけで満足だよ。あとはお前たちに任せる」


 明日やってくる『皇太子のご長男』という人は、どうやらとても大事な人なんだなとぼんやり理解した。


 その後も大人たちの話は尽きなかった。祖父の温かい体温に瞼が重くなり、ついに舟をこぎ出すと、見かねた母に手を引かれて寝室に連れていかれた。支度を整えて寝台に横になりながら、母に明日来るのが結局誰なのか問いかけた。


「明日来るのはただの男の子よ、リンジーより一つ年下のね」

「ふぅん……じゃあ私の方がお姉さんね」

 眠い目をこすりながら言うと、母がくすりとほほ笑んだ。


「そうね、仲良くしてあげてね」

 そっと毛布をかけた母が優しく言って明かりを消した。末っ子として生きてきた私にじわじわと責任感のようなものが芽生えた。それに年の近い子なら退屈せずに遊べるだろう。期待に胸を膨らませながら、目を閉じた。

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