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「それじゃあ、リンジー・ダールトン。君にはそこの公爵と結婚してもらおう」
軽い調子で言われた言葉が頭の中をぐるぐるとまわる。結婚? 私とそこの公爵って……。
「なっ、何考えてるんですか!」
「いいじゃないか。君も早く身を固めなければと言ってただろう」
「それは今関係ないでしょう!」
あまりの展開についていけず、声も出せないでいると、一足先に事態に追いついた公爵が激高した様子で陛下に詰め寄る。口調が随分と乱暴になっている。
「舞踏会で会ったんだっけ? その時に一目ぼれしたということで」
公爵の怒りもどこ吹く風。あっけにとられる三人をおいて、陛下の計画が練られていく。
「身柄は見えるところにおきたいな……君、王立学園へは入らなかったよね?」
「は、はい」
王国に一体貴族の家がいくつあるか……侯爵家だって複数ある。四人兄弟の一番下の、しかも娘のことまで把握されているとは。若くしてこの国を治める我らが君が、名君と称されているのは知っていたが、感服を超えて空恐ろしかった。
ふうん……と少し考えた陛下がにこりと笑って言った。
「こうしよう。二人は婚約したばかりだが、王立学園へ通わなかった令嬢は、公爵夫人になるための素養に欠ける。しかし恋する二人はひと時も離れたくない。二人はすでに公爵家での生活を始め、公爵自らが必要な教養を教えることにした」
どうかな、と朗らかに問いかけられて絶句する。恋する二人が一体どこにいるのか。
「軍から見張りに人をおいてもいい。できるか?」
「可能ですが……」
「お待ちください」
陛下が今度は将軍に問いかけ、茫然としていた将軍が答える。あれよあれよという間にどんどん話が進んでいってしまう。このままでは私と公爵の結婚が本当に決まってしまう。勇気を振り絞って口をはさんだ。公爵にも迷惑をかけるわけにはいかない。
こちらに向けられる陛下、将軍、公爵の視線に身がすくむ。
「お、恐れながら申し上げます。私は子爵の家に養子に出るつもりで、もう書類も提出しています。あの、ですから公爵の結婚相手にふさわしくないかと」
つっかえながらもなんとか言葉をつないで、暗に侯爵家から別離したことを告げる。
「あぁ、その書類なら差し止めして却下するよ。それに君ちょっと事情があって出るだけで、家族仲は極めて良好だろ? 君と侯爵家とを切り離してはみれないね」
陛下には全部お見通しのようだ。なにか他に手はないんだろうか。時間稼ぎのつもりで悪あがきを続ける。
「もし私がお断りしたら……」
横の公爵が眉を顰めるのが尻目にみえた。
「意外に粘るな。……ダールトン公爵は今日は領地、夫人は王都の屋敷でサロンを開いてる。アーサーはもうすぐ宮殿に到着するところか。カイルとジャクリーンの居場所も言ったほうがいい?」
尻つぼみになる私の言葉に続けて、天気の話をしているかのような気軽さの陛下に、家族の所在地があげられていく。
目の前が真っ暗になるような気がした。目の前のこのお方は、必要があれば私の家族をどうとでもできるし、行動に移すことをきっといとわない。
「……お受けします」
背筋をのばして奏上した。こらえきれなかった涙が一筋頬を零れ落ちた。
「あれ、泣かせる気はなかったんだけど」
ちょっと困ったように陛下が頬をかく。
同じように諦めたらしい公爵が問いかける。
「それで決定ですか」
「うん、じゃあ早速公爵家に送ってあげて。将軍ももういいよ」
三人は下がるように告げられ、私は公爵の後に続いた。ここはどうやら陛下の私室らしかった。知らなかったとはいえ恐れ多くて震える。
「あ、ちょっと待って」
戸口のところで思い出したかのように呼び止められる。
振り返ると陛下がじっと目を見つめている。
「君、動物好き?」
「いえ、苦手です」
「そっか」
不思議な問いかけをすると、陛下は疲れたような顔で眉間をもみ、行っていいよというように合図をした。
そっと扉を閉めると公爵が待ち構えていた。なんとあいさつしたらよいのか。
迷っているうちに、はっと大切なことを思い出した。兄の所属する軍のトップ、将軍を探す。その姿はすでに廊下の先にいた。
「申し訳ございません、すぐに戻ります」
少し待ったが返事がない、将軍が遠のいていくのが見えて、礼をして駆け出す。
「リンジー、」
背後で焦ったような怒ったような声が聞こえたが、将軍にきちんとお会いできる機会は今しかない。心の中で無礼を詫びる。
駆け足をするとひねった足がずきずき痛むが、それどころではない。
「将軍! お待ちください」
たくましいその背が近づいたところではしたなくも声を掛ける。
驚いた様子の将軍が立ち止まってくれた。
足を止めた彼に追いつき、肩で息をする。グレーヘアの軍人らしい立派な体躯。年かさはお父様ほどだろうか。
「なにか用だろうか」
「この度は……大変申し訳ございません」
暗殺計画を立ち聞きして、なんて言えず、ひとまず遠回しに謝罪する。
「私の……兄のカイルが、軍に所属しております。今日の件には一切関与しておりません。どうかお目こぼしを」
息を整えながら言い切って、深々と礼をして頼み込む。将軍は情に厚い人だと聞いたことがある。噂が真実でありますように、必死で願った。
「カイル……あぁダールトンの倅はカイルというのか」
顔をあげると将軍はやや怪訝そうな顔をしていたが、少しして腑に落ちた様子を見せる。ひょっとして墓穴を掘ったんだろうか。陛下がすべてを把握していらっしゃる以上、将軍もご存じかと思っていたがそうではなかったらしい。
「安心していい。君の立場は分かっておる」
「ありがとうございます」
「では失礼。くじいた足はちゃんと冷やしなさい」
口数は少ないものの、将軍は評判通りの御方のようだ。遠ざかっていく後姿を見送りながら、やはり追いかけてよかったと思った。
ほっと息をつくと、音もなく隣に公爵が並んだ。怖い顔をしていて強面が二割増しに見えた。一難去ってまた一難。今日はあといくつ難があるだろうか。心の中でため息をついた。
「こそこそと何を話していた」
「身内のことで……大したことではございません」
空回りしたことが恥ずかしかったのでぼかして小さく返答する。少し鼻を鳴らし、公爵は歩き出してしまった。
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