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舞踏会からはや三日。分家の子爵家へ養子になるための手続きがようやく完了した。両親に署名をもらう段階で、母がごねにごねた。どうやらお母様は舞踏会で一応踊れたことに光明を見出したらしかった。結局双子と私で押し切る形でサインをもらったのだった。
とにかくあとは必要書類を宮殿に提出するだけだ。紙の束を丁寧にしまい込んで宮殿へ向かった。いよいよ明日から宮殿で働くことになる。勤務の前日に、制服の受け取りと事務手続きのために、新人の侍女たちが集められていた。
集団の中に見知った顔が見つかり思わず駆け寄った。侯爵領にある職業訓練校の同級生だ。卒業したうちの数人は、宮殿に登用された。
「みんな! 久しぶり」
「リンジー! 元気そうね」
目立たない程度に再会を喜ぶ。私と同様、王都はみな初めてのようで少し不安げな様子だった。
「あら、素敵な靴」
「ありがとう、親戚が卒業祝いでくれたの」
ヒールの高い革靴はやはり見立てがよかったようだ。目ざとい友人が早速気付いてほめてくれる。学校では子爵家の名字を借りて使っていたので、侯爵家のことは親戚としてぼかして話していた。
「メアリはまだ来ていないの?」
ここにいるはずの友人の名前を出すと、みなが一斉に口を開く。
「あら! リンジーも聞いてなかったのね」
「あの子ったら公爵家からもお誘いが来たんでそちらに鞍替えるんだって」
「まったく器用というかなんというか……水臭いのは確かね」
憤慨したように、しかしどこか寂しそうに口々に言う。
「そうだったの? でもメアリならどこでも上手くやっていそうね」
現実主義で要領もいい彼女のことだ。そういうとみんな同意した。勤務先はどこのお家なんだろうか……領地ではなく王都の街屋敷ならまた会えるかもしれない。
訓練校で慣れない作業にミスを連発した私を呆れながらもよく助けてくれた。慕っていたのであいさつもできずに別れるのは寂しかった。
そうこうするうちに集合時間となり、一人一人に制服が手渡された。その後は先輩の後について主要な施設の場所を教えてもらい、早々と解散となった。同級生はまとまって帰るようだったが、書類を提出するためにみんなとは途中で分かれた。
書類を出し終え帰宅しようとすると廊下の曲がり角で女性とぶつかりそうになった。
「失礼しました」
「こちらこそごめんなさい! 急いでいて……あらあなたちょうどいいところに」
女性がふと私の手元に目を留めて、助かったと呟く。
「始業前に申し訳ないのだけれど、この書類を急ぎで届けてもらえないかしら。式典の関係でばたばたしていて人手が足りなくて……」
懇願するように女性が続ける。どうやら私のことを始業前の侍女だと勘違いしているらしい。かなり慌てた様子だ。
どうしたものか……訂正しようかと迷っているうち、ふと女性の格好が、宮殿に出入りするときの兄の服装と似ていることに気付いた。ということは文官だろうか。
女性が文官や軍に登用されるようになったのはほんの数年前からで、かなり狭き門だと聞く。この人は恐らくとても優秀で、男性社会の中で頑張っているんだろう。
なんとなく助けになりたくて、届け先を聞くとちょうど先ほど案内された場所だった。引き受けることを伝え、感謝を告げる彼女から書類を預かる。
復習がてら道を行くと順調に目的にたどり着いた。指示された受付に彼女の名前を伝えて書類を手渡した。今度こそ帰ろう。
(おかしい……こんな道通ったかしら?)
安心したのもつかの間、どこかで道を間違えてしまったようだ。出入り口に出るはずが見知らぬ通路に出てしまった。
引き返して元の場所に戻ろうとしたが、また別の廊下に迷い込んでしまった。ヒールを履いた足が疲れを訴える。
仕方なく、せめて人のいそうな方向に進むと目の前で左右に道が分かれた。左の廊下に鳥の絵画が見えた。
「困ったときは鳥が導く……か」
なんとなく占いの言葉を思い出して呟く。ここまできたら従うのもありかもしれない。軽い気持ちでそちらに足を進めた。
左に曲がって数歩歩き、間近に迫った絵を眺める。大空を舞う鷹の絵だった。緻密でまるで生きているかのような生き生きとした絵だったが、どことなく華美な廊下には似つかわしくないような気がした。
周りを見渡すが人っ子一人いない。ため息をついて、せめて疲れた足を休ませようと、絵の横に背中を預けた。
ところが体重を後ろにかけたかと思うと、バタン!と音をたてて壁が反転した。急に背もたれがなくなっり、体が付いていけず、私はバランスを崩して固い床に転がった。周囲はやけに暗い。
『――隠し扉や隠し部屋もあるって噂だ。うかつに歩き回ったら出られなくなるかもね』
あっけにとられ固まっていた私の脳裏に、兄の言葉がよぎってぞっとする。
本当に仕掛けがあるなんて……慌てて戻ろうと壁を押してもうんともすんともいわない。次第に暗闇に目が慣れてくる。ここは石造りの通路のようだ。この扉とどこかをつなげているらしい。
不安で胸がいっぱいになるが、絵画の仕掛けが開けられない以上、進むしかない。しばらく立ち尽くしたが、壁伝いにのろのろと足を進める。あまり使われていないようで埃が積もっている。
蜘蛛の巣を避け、上がったり下ったりしながらしばらく歩みを進めるとまた行き止まりになった。目の前の壁を体重をかけて押すと、手ごたえは重いものの少しだけ壁がずれた。今度は開きそうだ。ほんの少し空いた隙間から明るい光が差し込む。
「――にはやはりお越しにならないようです」
助かった。もう一押ししようとしたところで、部屋の向こうで何やら話し声がすることに気付いた。慌てて動きを止め耳を澄ませる。誰がいるのか分からないところへ飛び出すのは得策ではない気がした。
「皇帝の容体はそこまで悪いのか」
「これで決まりでしょう。きっとあの二人がくることになる」
壁越しにいるのは三人の男性のようだ。なにやら議論が白熱している。
「この機を逃す手はない。ナイジェル様を討つ」
全身の血の気がざっとひいた。貴族社会を離れていたとはいえ、いや平民だってその名前は知っている。
ナイジェル皇弟殿下。病に臥せっている隣国の皇帝の弟だ。皇太子はまだ成人していないので皇位継承の順位は一位。そんな尊い御方の暗殺計画がいま、壁越しで宣言された。声を上げそうになるのをぐっとこらえ、全身の震えを必死に止める。
引き返そうと踵を返すが、酷使した足がついに耐え切れず、ぐきりと嫌な音を立てた。
(うそ、やめて――)
よりにもよって目の前の壁に向かって倒れこみながら必死に願う。倒れこむ瞬間をスローモーションのように感じながら、私は壁の前に放り出された。
ぱっと視界が明るくなり、背後で無情にもばたん、と音を立てて扉が閉まった。前に倒れこんだ私は膝をしたたかに打った。膝も痛むがそんなことは気にしていられなかった。これから何が起こるのか、ただただ恐ろしくて顔があげられなかった。
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