28 『音葉薺は勇気を秘めて会いに行く』

 四月九日。

 早朝。

 昨夜の騒動で疲れ切っているサツキが、まだ眠っている頃。

 クコは同室のルカを起こさないようにこっそり布団を抜け出して、剣の素振りをした。

 何十回と振って、息をつく。


 ――サツキ様の集中力には及びませんね。でも、わたしだって、成長しないと……。わたしはサツキ様やルカさん、ナズナさんみたいに、昨日は戦えなかった。サツキ様は、いつも夜遅くまで勉強もしてる。わたしが今できる一番の修業は、剣術です! あと百回!


 また、クコは剣を振った。




 サツキは目を覚ました。

 目を開けると、もうスーツに着替えたバンジョーの姿がそこにはあった。料理の本を読んでいるらしかった。

 バンジョーはすぐにサツキに気づき、明るく笑いかけた。


「ようサツキ、おはよう!」

「おはよう。バンジョー」

「サツキ、赤鬼激辛ソースが戻ってきたぜ!」

「よかったな」

「量も減ってなくてまったく使われてなかったし、変なやつだよな、これ盗んだ怪盗はよ」

「うむ。その通りだ」

「悪いやつじゃなかったのかもな。なっはっは」


 ふふ、とサツキは笑う。あながち間違っていないのでおかしかった。


「バンジョー。今、何時かね?」

「八時だ」


 昨夜眠りについたのが日の出の時間だから、あまり寝ていない。アキとエミが同じ宿だったら眠る前に叩き起こされるであろうことを考えれば、まだマシだった。


「なあ、サツキ。飯食いに行こうぜ」

「うむ。その前に、着替えさせてくれ」

「おう。じゃあオレはクコとルカを呼んでくるぜ」


 サツキも着替えると、バンジョーがクコとルカを呼びに行ってくれた。

 四人そろって、宿の食堂で朝食をいただく。

 そのあと、四人は九時になると宿を出発して、ナズナの家へ行った。昨日結成された、アルブレア王国を奪還する組織『えいぐみ』として。




 音葉家。

 おとなずなの自宅であり、親友のかわなみの家の隣に位置する。

 昨夜サツキは、チナミの家には上がらせてもらったが、ナズナの家にはお邪魔していない。

 家はチナミの家より大きかった。ただ、元将軍家ということを考えると、町人と同様の暮らしをする範囲の中にあり、倹約家のようにさえ思える。

 クコが挨拶して音葉家に温かく迎えられ、応接間に通された。

 大きな応接間では、サツキ、クコ、ルカ、バンジョーの四人と、ナズナとチナミ、それに加えてナズナの父・おとかえでとナズナの母・おとみつを合わせた八人がテーブルを囲む。


「さて。クコちゃん。話を聞かせてくれないかい」

「なんでも言ってね」


 カエデとミツバの笑顔を見返し、クコは言い出しにくそうであった。


 ――普段よくしてくれている叔父と叔母に、娘を危険な旅についてきて欲しいと頼むんだもんな。言いにくいよな。


 サツキもクコの気持ちはわかる。

 が。

 このとき、カエデは膝にやっていた手をテーブルに伸ばしてお茶を飲む。その挙動の中で、手を叩いた。


 ――今、手を叩いた……? なんでもない顔して、自然な動作の中に紛れ込ませた。


 サツキは眼球だけ巡らせて周囲を観察するが、だれひとり、それに無反応であった。


 ――だれも気づいていないようでさえあるけど、確かに……。でも、《いろがん》を持つ俺じゃなきゃ、気づけないか。


 カエデがサツキを見て、にこりと微笑む。

 おそらく、ほとんど確定で、カエデはサツキの視線の意味に気づいている。

 しかし、サツキがそれについて質問するより早く、クコは急に心が平静になったように、至って普通のトーンで話し始めた。

 昨夜、サツキが話した内容とも重複する部分がほとんどだが、これまでのいきさつを簡潔に述べる。

 サツキはカエデに聞くタイミングを逸した。

 ここからは、クコからのお願いになる。クコの声には落ち着いていながらも熱が入ってゆく。


「ナズナさん。わたしたちはアルブレア王国を取り返し、世界樹を守りたいのです。そのためにはナズナさんの魔法が力になってくれると、わたしは思っています。いっしょに来てくださると助かります。どうか考えてもらえますか?」


 クコはナズナを見やり、カエデとミツバにも顔を向けた。娘を危険な旅に出すかどうかを決める大事な話であるため、全員の許可が必須なのだ。

 最初に口を開いたのは、カエデだった。


「クコちゃん。できるなら、ボクが同行してやりたい。でも、ボクには公用があって難しい。ただ、ナズナの魔法なら、きっとクコちゃんたちを助けられるとも思ってる」


 ナズナの両親は、顔を見合わせてうなずいた。今度はミツバが言う。


「ナズナ。お父さんとお母さんは、あなたが行くと言うのなら背中を押すわ。クコちゃんたちは、ワタシたちにとっても大事な家族よ。力になってあげられるなら、お母さんとしてもそうしたいの」


 いとこ同士のクコとナズナだが、クコの母ヒナギクとナズナの母ミツバが姉妹なのである。ヒナギクが姉、ミツバが妹だった。そのため、ナズナの両親のうち母ミツバのほうがよりクコのためになにかしてやりたい気持ちが強かった。


「クコちゃんになら、危険な旅でも娘を任せられる。決めるのはナズナ自身だよ」

「うん。クコちゃんといっしょならお母さんも安心だわ」


 両親に、許可をもらえたことになる。あとはナズナの決断次第であり、それが不安だった。サツキの見立てでは、ナズナは引っ込み思案で臆病なタイプだから、自分から渦中に飛び込むと言うように思えない。だが、昨日いっしょに戦って、ナズナを見る目が変わったのも事実であった。

 ナズナは、ほとんど迷うことなく言った。


「わっ、わたしは! クコちゃんと、リラちゃんの……力になりたい。怖いけど、クコちゃんと行く。リラちゃんに会いに」


 そこまでキッパリ言って、ちらっとサツキを見て、またクコに顔を向けた。


「サツキさんの一生懸命さが、わたしに勇気をくれて……サツキさんと戦って、わたしにもできるって、なにかができるって、思えたから。だから、行きたい。みんなと、アルブレア王国を守りに!」


 力強い言葉だった。サツキは、ナズナの内に秘めた芯の強さを、見誤っていたらしい。ここまで言える子だとは思わなかった。手は震えかけているが、それでも拳は強く握られている。改めて、


 ――頼りになりそうだ。


 と思った。

 クコはすぐにナズナの手を取った。


「ありがとうございます! ナズナさん、リラに会いに行きましょう」

「うん……わたし、頑張るね」


 はにかみ、ナズナはクコの手を強く握った。

 これで、仲間がまたひとり増えた。

 ルカはナズナの加入に対し、喜びと安堵に似た感情を覚えた。それらは、ナズナの能力への信頼から来ている。


 ――治癒魔法の使い手。この子がいてくれたら、医術だけでは超えられない壁を、超えられる。それに、サツキに聞いたけど、パワーアップする魔法の歌も歌えるのよね。これからの旅で絶対に力になってくれるわ。


 よろしくお願いします、とルカはナズナに小さく頭を下げ、バンジョーとサツキも改めてよろしくの挨拶をした。


「よろしくな!」

「ありがとう、ナズナ。そして、よろしく」

「は、はいっ」


 照れたように恥ずかしそうな赤面でナズナはうなずく。

 ナズナの両親は、娘の成長に驚いている。


「まさか、ここまでハッキリ言えるようになっていたなんてね」

「お母さん、感激だわ。頑張ってらっしゃい。くれぐれも、無茶はしないようにね」

「……うん!」


 ナズナは自分で自分を鼓舞するように返事をした。

 ずっと無表情で見ていたチナミも、ナズナの様子に口元をほころばせる。


「……がんばれ」


 声は小さい。ナズナにも聞こえないほどである。それがサツキには、遠く離れることになっても応援してるよという激励に聞こえた。

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