黄昏、そして霹靂⑤
「い、嫌……」
どさり、と人一人と買い物袋かなにかが落ちる音。
か細くも聞き覚えのある少女の声色が、しかと良太郎と月彦の耳に届いた。
「っ!?」
――晴花だ。
記憶に新しいエコバッグの中身を撒き散らし、
「晴花が……なんで!」
一刻も早く助けなければ……!
月彦よりも一拍先に飛び出した良太郎が、なにもないところでつまづいて転ぶ。
「クソッ!」
気が動転して足がもつれた、というだけではない。良太郎の様子は明らかに異質だった。玉のような脂汗を垂れ流し、膝が笑ってうまく力が入らない。明らかに原因の窺い知れる転倒だった。
間違いなく、聖剣で体を酷使した反動だ……月彦が疑うまでもない。
たとえ損傷が回復されたとして、限界を超えて動き続けていた疲労までもが解消されるわけではない。副作用のごとく、脱力感が良太郎を苛んでいた。
気持ちが追いつかない困憊の体を引きずって、それでも尚、良太郎は大切な幼馴染のために進むことを止めない。
「…………っ」
良太郎の状態を見れば、今魔王の蟲に戦いを挑むのは無謀極まりないことは明らかだ。無策であれば尚更。生憎魔王の蟲はこちらに興味はなく、逃げおおせれば生存の可能性は大いにあり得る。
だとしても、
――「良ちゃんは私にとって、凄く大切な幼馴染です」
だとしても、だ。
「肩支えるぞ……っ」
あの日聴いた心からの言葉を裏切ることなど、できるわけがなかった。
「月彦……」
「俺だって黛さんには世話になってんだよ」
皆まで言うなと毒づいて、月彦は己が恐怖から目を背ける。気休めだと思いつつも、掴んで肩に回した腕は左を選んだ。
歩くこともままならない中でも握り締め続けている聖剣……もといステラは、人の姿には戻らないでいる。いつ新たなる戦端が開かれるか予期できない今、警戒を一切怠っていない証拠だろう。
「ああ、やっとだ」
こちらが牛歩に焦れているのをよそに、どこ吹く風だと魔王の蟲は朗々と語る。
「この生贄をもって、我が忠義は結実する」
「っ!」
生贄――最悪のワードを聞き逃さず、良太郎は声を荒げた。
「晴花から離れろ!! このムシ野郎ッ!!」
弦であれば青筋を立てて歩みを止めたであろう、軽率な罵倒の挑発も、魔王の蟲には届かない。晴花まであと数歩というところまで迫り来ている。いつでも手を下しかねない状況に、月彦も死力を振り絞って進むが間に合わない。
「嫌だ……っ」
食いしばった歯の隙間から、弱々しい本音が漏れ出る。
……二度目の生において、敵の本拠地で寝食しているに等しい月彦にとって、気の休まるホームは間違いなく皆本家だった。
あたたかな食卓と団欒。それは月彦だけでなく、良太郎や暁奈、アイの心をも優しく包み込んだはずだ。
「珠玉の喜びを甘受する、幸福なる我が身よ」
それを出来る限りの対策を講じて警戒してきた敵役が、前触れもなく突如割り込まれ、無残にも刈り取られようとしている。
「やめろ……!」
遂に怪物が魔の手を伸ばす。
腰が抜けたまま動けない晴花は、眼前に立つ魔王の蟲を凝視することしかできない。
「永遠、なれ」
刃の切っ先に似た指先が、青ざめた頬へと触れる。
「やめろおおおおおおおおおおおおおおおおッ!!」
――ぐしゃり。
ばきばき、
ぞりぞり、
むしゃむしゃ。
聞くに堪えない貪欲な咀嚼音が、爪先から頭のてっぺんまで、まんべんなく、骨の髄までむしゃぶり尽くす。
――ごくり。
「あ、あ……」
獰猛な
「あぁ、美味しかった。枯渇していた力が満ちてくる」
絶望。戦慄。
混沌。慟哭。
言葉にならない感情が、胸中で渦巻く。
こんなことにならないよう動いてきたはずだった。運命の悪戯か、迷い込んでしまった最悪の袋小路の果てで、良太郎と月彦は『それ』を瞠目した。
「晴……花……?」
「ええ、晴花ですよ」
なにごともなかったかのような返答。
尻餅で汚れたセーラー服をぱたぱたとはたきながら、『それ』は実にあっけらかんと。
「やだなぁ良ちゃん。まさかこの短時間で、最愛の幼馴染の顔を忘れたんですか?」
そんなわけがあるものか。魔王の蟲を貪食せしめたドラゴンを――月彦のものとは比べものにならないほど巨大な、闇の魔法で生み出した第二の手足を従えておきながら、白を切れるわけもない。
良太郎は
晴花だと名乗った『それ』は、魔王の蟲を上回る禍々しい威圧感と殺気を振り撒きながら、愛らしく小首を傾げる。
「それともあなたには、こう名乗った方が分かりますかね?」
――魔王、と。
「!!」
くすくすと悪戯っぽい微笑みを湛えながら、つぶらな瞳は闇で濁っていた。
「五年前、あなたに倒されて生死の境を彷徨い、こちらの世界へとまろび出た――私こそは死滅と否定を冠せし魔王」
そして、原作ゲーム『
「勇者のあなたに復讐せんと、黄泉路より舞い戻りて雌伏し、遂に再臨した魔王ですよ」
――ラスボス。
それこそが、黛晴花の正体だった。
――――――――
第六章『黄昏、そして霹靂』は以上となります。
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