第二部 第8章―6
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「グリューネワルト夫人とマグダル様が同郷の方だったとは……」
ハルヒコはわずかに遠いところを見つめるような目をした。あらためてこの奇縁に感慨深いものを覚えているようであった。
「もちろん当時は会ったこともありませんでしたよ。ですが、辺境の村からマギアに進学するという魔法の才にあふれた素晴らしい青年がいるという噂は、都では一時大きな話題になったのです。それからしばらく経って、今度は若くしてルアン国の宰相になられましたでしょう。もう本当に驚きました。同郷の方にそのような方がいらっしゃって、私も誇らしい気持ちになりましたわ――ね?」
グリューネワルトは同意を求めるようにサイアスの方に向いた。話を振られたグリューネワルトの息子は、一瞬、居心地の悪そうな渋い表情を浮かべた。
「この子はマグタル様のことをとても尊敬しているのですよ」
「母上……」
もう小さな子どもではないのにと、非難めいた目を母に向ける。サイアスは自分に集まった注目を誤魔化すように、んんっと咳払いを一つもらした。
「――素晴らしい人物だ。私もできるなら、あの方のようになりたいと思っている……」
それから、はばかるようにこう付け加えた。
「惜しい方を亡くした……」
テーブルを囲む誰もが言うべき言葉が見つからぬように押し黙った。この部屋にはマグダルと関わりの深い者達たちばかりが揃っているのだ。
「マグタル様には大変お世話になりました……」
ハルヒコがその沈んでしまった場の雰囲気を破るように口を開いた。
「この世界に来て、右も左も分からない自分と家族にいろいろと気をつかっていただきました。あの方がいなければ、今ごろ私達はどうなってしまっていたことか……」
おそらく、荒野でのたれ死んでいたことだろう――。
その可能性は否めない。ハルヒコはあらためて背中に冷たいものを感じる。
「王城でも、陰ながら私のことをかばっていてくれたのでしょう……」
そのハルヒコの言葉に意外な人物が合いの手を入れる。思わずといった感じであった。
「それはそうだろう」
皆の耳目がサイアスに集まる。サイアスはしまったというように一瞬、表情をゆがめた。だが、すぐに観念したかのように言葉をつむいでいく。
「そうに違いなかろう。こんな危うい人間をどうしてほっとくことができるというのか――」
サイアスの言葉を聞いた瞬間、ハルヒコはアクラ国の王城で初めてバナム王と謁見したときのことを思い出していた。今になって、ようやく気づかされたのだ。
――もしや、サイアス様は……。
ハルヒコの探るような視線に、サイアスは即座に否定する。
「勘違いするな、ハルヒコ。お前がどうなろうと知ったことではない。迷いなく……思ったように好き勝手に振る舞うお前など……」
それでも――だが、とハルヒコは思う。
私が疎まれ孤立しないように、サイアス様は省庁の仕事から私を遠ざけようとしたのではないか――。
私がもっとも活躍できる場としてマギアの仕事を推してくれたのではないか――。
そんな思いを抱いたものの、サイアス本人に確かめる機会などきっとこの先も訪れないのだろうなと、ハルヒコは確信するのだった。
そのやり取りをうかがっていたグリューネワルトは、突如として話題を変えるように口を差しはさんできた。目の前で息子がハルヒコに悪態をついている――それを咎めるような口調ではない。むしろその表情は自分の息子のことをひどく理解した、満足そうな母親のそれであった。口元には微笑みさえ浮かんでいたのである。
「ところで、今日は王城でどんな話があったのですか。こんな急な呼び出しなど、今までなかったことではないですか」
とたんにサイアスは母親の声に真正面から向き合わなくてはならなくなった。ちらとザインを一瞥する。
「言いにくければ私は席を外しますが……」
それはつまり、その危急の懸案事項を――おそらくは国難であろう――ハルヒコにも伝えるべきだとグリューネワルトは促したのである。
少し時間を置いて、サイアスがぽつりともらした。
「水が……都の井戸の水が出にくくなってきているのです……」
――ああ……。
それを聞いた瞬間、ハルヒコは腑に落ちた。思い当たる節が自分にもあったのだ。
そして、必然にというべきか、ハルヒコはこの問題に深く関わっていくことになる。だが、そのことがまさか息子のシュウや娘のカナを巻き込む一大事件へと発展していくことなど、このときのハルヒコには知る由もなかったのである。
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