失せし魔鏡が照らすもの
るいの日課
この世にある全てのものは、大いなる流れの中にある。
自然も、生命も、時間も、霊的なものでさえ。
全ては、大いなる流れに乗って、この世界を巡っている。
『――よ。お主は何に、世界を見出す?』
陰陽術には、それを扱う陰陽師それぞれに適性があり、その全ては『どの系統に世界を、生命を見出すか』によって決まる。
系統は、陰陽五行論に基づいた、火、水、土、金、木の五つ。揺らめく火に生命を見出す者、潤す水に生命を見出す者、豊穣の土に生命を見出す者、己を鍛え切り開く様に生命を見出す者。そして実りに生命を見出す者。
見出す形は、術者によって千差万別。けれど必ずは、このいずれかに分類されるのだ。
そうやって、周囲は皆早い段階で己の系統を見出し、才ある者は早くも師を持ち、教えを乞うていく。
それなのに、当時の僕は未だに系統を見出せずにいたことから、才無き者として蔑まれ、孤立していた。
そんな僕を見かねた恩師が、ある日僕にこう問うたのだ。
『――よ。お主は何に、世界を見出す?』と……
「んんーー! 美味しい」
冬の足音が近づいてきた、秋空が広がる昼下がり。るいは一人、駅前広場のベンチに腰掛けていた。
その手に、小豆色の大きな物体を携えて。
「やっぱり飯田屋のおはぎは、いつ食べても美味しいね」
『全く。甘味を幸せそうに頬張る癖は、いつなっても変わらんな』
「だって、こんなに美味しいんだよ? こんなの、綻ばない方が難しいよ」
そういってまたひと口、おはぎを口にするるい。本人は変わらず「んぅ……」と満足気に頬張っているが、剛濫からすれば最早呆れ事案である。
ここは人が行き交う駅前広場、当然人通りも多い。
そんな場所でこの無自覚破壊兵器を投入すれば、自然と往来の眼を引いてしまうのは、容易に想像が付くだろう。
案の定、先程から行き交う数人がこちらに気づいては、様々な視線をるいへと向けており、るい自身もそれに気がついている。
しかし本人は、相変わらず視線を向けられる理由が分からず、視線に気付いては小首を傾げる程度だ。
「なんだかさっきから、ちらちら視線を向けられるんだけど、どうしてだろう……?」
『……さあな』
全く、いつになったらこの阿呆は、自分の無自覚っぷりを自覚するのだろうか。
剛濫はあまりの鈍感さに、思わずため息をついた。
『それだけ気に入っておるなら、坊主の甘味ランキングが変動するのも、そう遠くないかもしれんな』
「それはないから安心して! 小福堂の饅頭以上に、美味しい甘味はないと思ってるから」
『ああ、そうかい』
小福堂は、秋葉神社の近くにある和菓子屋で、るいはそこの饅頭が一番の好物なのだ。
「……そういう割には剛濫も、『ここの和菓子は、酒の肴にピッタリだ!』とか言って、絶賛してたじゃない」
『それは仕方あるまい。俺とて、酒と和菓子の組み合わせなど、これまで試したことがなかったのだ。……どの時代であろうと、新たな発見というのは、いつも驚きと興奮で溢れるものだ。そうであろう?』
「まあ、否定はしないかな」
そういって当時の状況を思い出しながら、るいは笑う。
神社で暮らしていた頃は、鈴香や俊彦がよくお土産に買ってきてくれていたが、家を出てからはその機会も少なくなっていた。
思い出すと食べたくなってしまうのは、無理からぬことだろう。
「そうだ! 今度お札を取りに行った時、久々に寄ってみようか。もしかしたら、新作が出てるかもしれないよ?」
『うむ、それは良い考えた。俺もそろそろ、新たな酒のつまみを開拓したいと思っておったのでな』
「なら、決まりだね! 今から楽しみだなあ」
そういうと、るいは嬉しそうな表情でおはぎを頬張り、さらに溶けるような表情を浮かべては、幸せそうに笑う。
そんな彼に『やれやれ』と言わんばかりのため息をつく剛濫だったが、その表情はどこか嬉しそうなのだった。
それからしばらく、往来を眺めながらおはぎを堪能していたるい。しかし、剛濫が話を切り出したことで、口に運びかけていたその手が止まった。
『だが例の件、親父さんもよく承諾したものだな。話を持ち出した時は、電話越しでも随分渋っておっただろう』
「……そうだね。最終的には承諾してくれたけど、結局そこは変わらなかったよ」
『まあ、ものがものだからな。親父さんが作成を渋るのも、無理はなかろう』
「うん……」
るいは、当時電話越しでしていたであろう俊彦の表情を想像し、自嘲気味に眼を伏せる。
そんな彼に、剛濫はやれやれとため息をつく。
『自分から言い出しておいて、そんな顔をするでないわ。それこそ、親父さんに失礼であろう』
「あ、ごめん! つい……」
『はぁ……。坊主、おまえさんが心配を掛けたくない気持ちも、それ故に今回の件に負い目を感じておることも理解できる。だが今回の件、これ以上の最悪を起こさぬためには必要であると、陰祷師として判断したのであろう?』
「それは……」
『今回親父さんが承諾したのも、陰陽師としての坊主の判断が、正しいと分かっていたからだ。ならば、その判断に間違いはない。であれは、今の坊主にできるのは、親父さんへの感謝と、最悪を起こさぬよう、己を今一度戒めることではないのか? ……親父さんの厚意を無駄にせんためにもな』
「……そうだね。そうならないためにも、僕自身がしっかりしなくちゃ! 僕だって、こうやって眺めながらおはぎを食べられなくなるのは嫌だからね」
『うむ、それで良い!』
おはぎが食べられなくなるのが嫌だ、という理由付けには少々呆れるところはあるが、理由が何であれ、るいが前向きになってくれたのは、剛濫も素直に嬉しかった。
そんな彼の気持ちを感じ取ったのか、るいは小さく笑うと満足気におはぎタイムを再開した。
『それにしても、平日の昼下がりだというのに、ここはいつも人が多いな。この目まぐるしさは、未だに慣れんわ』
「渋谷なんかは、ここの比じゃないくらいの人で溢れているって、鈴香さんが言ってたよ?」
『そうらしいな。だが、ここを行き交う者たちは、いつも忙しないというか、ゆとりがないように思えてな。俺としては、見ていて息が詰まることがある』
「そんなに気負わなくても、その内自然に慣れるよ」
そういうと、るいは再度おはぎを口へと運ぶ。
『その点、坊主は順応が早かったな。流石は流転を司る者とでもいうべきか。確か指針は、”あらゆる視点で世を捉え、流れを感じよ”、であったか?』
「”この世に集う陰陽五行、その全てを感じ、流れを捉えよ。それが、流転を極める第一歩である”ってね。移ろう世の流れを捉え、それに順応するのは流転術の十八番だよ」
『……そうであったな。伊達にあの男から、教えを乞うておらんか』
「そういうこと!」
修行時代、耳にタコができるほど聞いた、恩師の言葉。
それは陰祷師になってからも変わることなく、彼はるいと会う度に口癖の如く話していた。
まるで、それが挨拶だと言わんばかりに。
それに対して、るいはいつも困ったように苦笑いし、いつしかそれがお約束となっていた。
毎度同じことを言わなくても、流転術の使い手として、それくらいのことはわかっている。
それでもこの一連のやり取りについては、呆れることは多々あれど、鬱陶しいと感じたことは一度もなかった。
「"何に世界を見出す"、か……」
『どうした坊主、突然黄昏おって』
「いやね。剛濫と話していたら、初めて恩師と出会った時のことを思い出してちゃって」
『坊主と、あの男のか?』
その問いかけに、るいは頷く。
「周りの子達は、みんな自分にあった系統を見出して、中には有名な術師に師事し始めた子達もいた。なのに僕はまだ、自分の系統すらわからなくて……。周囲からも『才がない』って馬鹿にされて、孤立してた。そんな時だったんだ。恩師が僕に声を掛けてくれたのは――」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます