悔しいけど、君が好き。
矢凪來果
もしも明日が人生最後なら
『今日がもし人生最後の日だったら。』
ある実業家は、毎日そんなことを考えて、どう生きるかを決めていたらしい。
そして最期まで世界に革新を魅せ続けた。
平日の夜中、珍しくかかってきた電話で、お互いの近況報告の話題が尽きた後、あいつはそんな話を私にした。
「へえ、その人すごいね…。じゃあ、ヒロトもそんなふうに生きてるの?」
「たまに考えてみるけど、流石にそこまでストイックじゃないな」
「いや、起業して海外で仕事してみるって十分頑張ってると思うよ」
顔が見えないから、素直に相手を褒められる。こういうところは電話のいいところだなと思っていると、一拍置いて、電話でも素直じゃないあいつが皮肉っぽい賛辞をくれた。
「ありがとう、ミサキもブラック企業で頑張ってるよ」
「おう」
色気ゼロの声で返すと、電話口で少し笑う声が聞こえた。
一拍置いて、電話の向こうから聞こえていたヒップホップが止まった。
「…じゃあ、そろそろ仕事行ってくるわ。」
「そっか、電話ありがとね」
「ミサキの業界の話教えて欲しかっただけだし、こっちこそ助かった。」
その言葉で、ヒロトの電話の用件を思い出した。業界の話なんて、五分で終わって、私の会社の愚痴の方がよっぽど長かったから、すっかり忘れていた。
大学時代の友人のヒロトは、大学時代はよく遊んだが、卒業と同時に起業して海外に行ってしまい、ほとんど会えていない。なのに、私が弱った時に限って、今みたいに何かと理由をつけて連絡をしてくるのだ。
「ミサキはお休み、明日も頑張れ。」
「ヒロトはいってらっしゃい、頑張って。」
名残惜しさを隠すように、エールを返してから電話を切る。
ディスプレイを見ると、午前二時。
通話時間は1時間56分。
明日はきっと、寝不足間違いなしだ。
それでも、きっと今日の自分よりはマシな顔で働いてるだろうな。
会社からの帰りの電車では、息が詰まって仕方がなかったのに、あの少し掠れた低い声を聞いているうちに、ちゃんと息ができるようになった。
次の日、鏡を見ると、予想通り寝不足だけど、血色の良くなった顔がこちらを見ていた。
ふと、昨日聞いた逸話を思い出して、鏡の前で問いかけてみた。
『今日がもし人生最後の日だったら?』
最後の日にボサボサはいやだと思って、SNSサーフィンを我慢して、寝癖を丁寧に治してみた。
会社は…行かないと思ったけど、案件が燃えていたからそれはできなかった。
そして、昨日電話したばかりの顔も浮かんできたが、慌てて打ち消す。
「移動だけで最後の日が終わっちゃうし、無理無理。」
言い訳をして、いつも通り電車に揉まれて会社に向かう。
納期まで時間がないのに収集がつかなくなっていた「燃えまくっている」案件への、客先からの二転三転する戻しに、同僚と愚痴を言い合いながら対応して、終電に駆け込んだ後、家でコンビニのご飯を食べながら見る必要のない動画を夜中まで身漁る。
そして、あいつは仕事を始めた頃だろうか。今日も頑張れって心の中で少しだけエールを送って瞼を閉じる。
そんな私の日常。
私の平凡で平和な日常。
たまにこの問いかけを思い出しては言い訳をして、死なないように仕事をやり過ごす。そんなふうに生きていたら、数年はあっという間に経ち、その間に少しずつ連絡の頻度は減っていた。
少なくなった頻度が、ほとんどゼロになってかなり経ったある日、平凡で平和な日常は、当たり前なんかじゃないということを知った。
会社に行くための化粧をダラダラとしている時、いつものように流しているニュースの映像は、ある日を境に、教科書でしか見たことのなかった惨劇を映すようになった。
『他人事じゃないですよ。僕らだって、明日があることが当たり前じゃない。』というコメンテーターの言葉がやけに耳に残って、ふと鏡に映る、自分の顔に小さな声で問いかけていた。
「今日が、本当に人生最後の日だったら、私は…どうしたい?」
しばらく鏡の自分と見つめ合った後、未読が溜まっているSNSのアプリを開いた。
随分と遡って見つけた名前に触れて、メッセージ画面を開く。
『そっちに』
そこまで打って一瞬止まった後、そのまま続きを打ち込んで、深く考える前に送信ボタンを押した。
『旅行行くんだけど、会えない?』
「旅行って言い訳がましさが、ダサいけど…」
まあなんでもいいや。
それより、やっぱり、会いたい。
振られたって、ダサくたっていい。
だって、忘れようとしても、誰と出かけても、寝る前に思い浮かぶ顔は君だけだったんだ。
どんなに遠くても、距離を詰められるのは生きてるうちしかない。
パスポートはいつかのために更新しておいてよかった。
どうせ飛行機は空席だらけだろうし、シーズンじゃなかったら行きの電車でも取れるって、あいつが昔言ってたな。
そんなことを考えながら、スーツケースを引っ張り出していると、珍しく早い返信がきた。
『いつ出国?』
また言い訳を探しそうになるのを我慢して、簡潔な返事を打つ。
『今日』
送信と同時に既読がついて、すぐに着信がきた。
「も、もしもし」
「まだ飛行機乗ってない?」
「うん、これから空港行くつもり。」
久しぶりの声は、懐かしくて、胸の奥がツンとした。
ただ、バックで流れるのは、ヒップホップじゃなくて、やけに聞き馴染みのある人の声とSEだった。というよりもむしろ、ミサキの目の前のテレビから流れるものと、全く同じ音だ。
「じゃあ、空港でちょっと待ってて。近くのホテルで今日隔離終わるから」
「隔離…?わかった。着いたらカフェで待ってる」
「飛行機間に合わなかったら差額払うから」
「ファーストクラスだから高いよ」
「任せとけ」
電話を切ってすぐ、もう一つの携帯で電話をかけながら、家を飛び出した。
「あ、もしもし部長。当日ですみません!有休消化します!」
財布とパスポートしか入ってないスーツケースは、軽くて走りやすかった。
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