第三話「身体強化と初めての徘徊」
(さて、今日から本格的にあれの練習に取り組むとするか)
レイオールが生まれ変わってから、早いもので半年が経過したある日のこと。彼はついにあの歩行法を習得するべく動き出そうとしていた。その歩行法とは……そう、ハイハイである。
首がすわるまでは大人しくしておこうと考えていたレイオールだったが、一月半ほど前に首すわりが完了しており、最初と比べて多少なりとも成長が窺えるくらいにはなっていた。
ではその期間一体何をしていたのかといえば、かねてより着手していた魔力の操作を行うためのトレーニングを日々行っており、今では自由自在とはいかないまでもある程度動かせるようにはなってきている。
魔力の操作も一段落着いたという中、次にレイオールが注目したのはやはりというべきか、自分の意志で自由に動き回るための手段を手に入れることだったのだ。
今までは、乳母のジュリアか母親のサンドラが抱きかかえる形で他の部屋に訪れていたのだが、それではただの散歩と何も変わらないため、あまり多くの情報を得ることはできない。
しかも、その散歩も数日に一回というあまり頻度が多いわけでもないため、ますますもってレイオールが得られる情報には限りがあったのだ。
そこで彼は、自分で動けるようになるための方法として、赤ん坊が当たり前に覚える歩行法であるハイハイを覚えようという結論に至ったのである。
(確か、赤ちゃんがハイハイできるようになるのって十か月頃くらいじゃなかったっけ? だとしたら、今の俺じゃあちょっとムズイかも……あ、そうだ。こんな時のために便利な魔法があるじゃあないか!)
レイオールが、この数か月ひたすらに魔力の操作をやっていたのには訳がある。その訳とは、身体強化の魔法を習得するためだ。
身体強化とは、自身の肉体を魔力で覆うことによって膂力を向上させ、通常ではあり得ないほどの力を使うことができる技術のことだ。
前世の娘の小説から、その知識を得ていたレイオールがまず習得するべき力はこれだという答えになることは想像に難くなく、ようやくここ数か月の努力を試す時がきたのだ。
(まずは体内の魔力を増幅させるイメージをして、その魔力を体全体に纏わせるように展開してみるか)
そう思うが早いか、レイオールはすぐに行動に移る。この数か月の魔力の操作トレーニングは実を結び、いとも簡単に体の周囲に魔力を纏わせることに成功する。
まずは四つん這いの状態になるべく、うつ伏せの状態に体を動かし、そのまま両腕を押し付けた状態にする。ちなみにこの数か月の彼の定位置は、四方を柵で囲まれた小さなベッドのような上だったりする。
身体強化が成功している影響か、かなりスムーズに体が動いており、ハイハイの基本姿勢となる四つん這いの状態になることができた。そこから膝で体重を支えながら移動するために腕を前へと突き出し、そのままベッドの底面に体重を掛けながら移動を試みてみた。
「あうあうあー!!(よっしゃあー、ハイハイができたぞ!!)」
二度目の人生初となるであろうハイハイの成功に、思わず声に出してしまったレイオールだったが、未だ言葉を発することができない状態では、他の人間からすればただ赤ん坊が意味のない声を発しているようにしか見えなかった。
そのまましばらくベッドの上でハイハイの練習を行い、ある程度動けるようになったところで問題が発生する。
(ハイハイはできたが、どうやってここから降りようか……)
そう、今彼がいるのは柵の付いた大人の腰の高さほどもある赤ん坊用のベッドにいるのだ。柵を乗り越えようにも、柵自体が高く乗り越えるもの一苦労であり、仮に乗り越えられたとしても待っているのは落下の衝撃なのだ。
高さ七十から八十センチは大人にとってはなんということはない高さだが、まだまだ体の完成していない幼児からすれば、下手をすれば骨折の危険性も孕んでいる。
(くぅー、このままでは俺が自由に行動するという、ささやかな願望が叶わないではないか!)
そんな心の声を上げたその時、ちょうどいいタイミングで乳母であるジュリアと母親のサンドラが部屋に入ってきた。すぐに俺のいるベッドに駆け寄ってくると、優しい微笑みで語り掛けてくる。
「レイオールちゃん、今日も可愛いわねー」
「サンドラ様、公務の方はおよろしいのですか? 宮廷医師の話では、もうそろそろ出産による体調不良は改善されているという診断を受けていたはずですが?」
ここのところ、ほとんど毎日といっていい程にレイオールの部屋を訪れているサンドラに向かって、そんな質問をジュリアは投げ掛ける。彼女としては決して意地悪でこのようなことを言ってるわけではないのだが、サンドラとて王族の一人であり、彼女自身も国の政に関与している役職を賜っている以上、そちらを優先してもらわなければならないのだ。
「んもう、ジュリアは意地悪ね。最愛の息子を優先する以上のことなんてあるもんですか! 例え国の今後が左右される仕事があっても、私にとってはレイオールが一番大事なの」
「いやいや、そこは仕事を優先させてくださいよ!」
王妃としては問題となる発言を、さも当然とばかりに宣うサンドラに対し、的確な鋭い突っ込みをジュリアが入れる。この半年の間、ちょくちょくと顔を合わせるようになった二人の仲は良好で、今ではこういったやり取りが飛び交うほどにまで親密になっていた。
ジュリアの言葉も意に介さず、我が子であるレイオールを抱き上げると愛で始める。この半年間でサンドラの言動にもすっかり慣れたレイオールであったが、未だ中身が成熟した大人の魂を持つ彼にとっては、そんな母が与えてくれる愛情は、少しこそばゆいというか恥ずかしいものであった。
「あうあうあうー!」
「うん、どうかしたのレイオールちゃん。床に降りたいのかしら?」
そんなサンドラのいつもの行動を受け入れていたレイオールだったが、そんな彼女を見てふとあることに思い至る。何かといえば、“自分で降りられないのなら誰かに降ろしてもらえばいい”である。
今の彼にとってベッドから降りる行為は危険なことだが、裏を返せばそこをクリアすることができれば何の問題もなくなるということなのだ。
そして、今この部屋にはその問題を解決してくれる人物がいるわけで、レイオールがその人たちに頼らないという選択肢は皆無だ。
「あう! あうあうあー!!(よし! ベッドから床に降りられたぞー!!)」
「あっ、レ、レイオールちゃん!? 四つん這いができるようになったのね! すごいわ!!」
「レイオール殿下、おめでとうございます!」
初めてレイオールが四つん這いになっている様を目の当たりにし、二人とも喜びの表情を浮かべる。だが、そのあとの彼の行動が二人の表情を驚愕のものへと変貌させる。
「あうあー! あうあうあうあうあうあうあーあー!!(よし! さっそく部屋の外へと行ってみようじゃないかー!!)」
そう言うが早いか、そのままハイハイで部屋の外へと向かう。そんな彼の姿を見たジュリアとサンドラは、呆然とした表情のまま彼が部屋を出ていくのを見送った。そして、レイオールが部屋を出てから数秒後に二人の焦った声が聞こえてきたのである。
「レレ、レイオールちゃんが! ハイハイまでできるようになっているなんて!!」
「サ、サンドラ様! 今はそんなことよりも殿下を追い掛けないと!!」
「はっ、そ、そうだったわ! レイオールちゃんの初めての徘徊を見逃さないようにしなくちゃ!!」
「そうじゃありません! 一人で出歩くのは危険だと言っているんです!!」
サンドラの的外れな言葉に、相変わらず鋭い突っ込みをするジュリアなのであった。
☆ ☆ ☆
一方、部屋から出たレイオールは身体強化の力を借りているということもあり、順調に他の部屋への徘徊を行っていた。たまにすれ違う使用人が目を見開いて驚いていたが、追い掛けてくる前に素早く移動をしているため、ちょっとした騒ぎが起きつつあった。
「たたたたたたたたたたたたたたたた」
勢い良く進撃するレイオールを止める者など皆無であり、仮に彼を捕まえようとする者がいたとしても、すでにその場を去った後なので、後手に回ってしまっていたのだ。そんな中、レイオールがどこを目指しているのかというと、本が保管してある書斎または書庫だ。
以前、抱きかかえられて連れてきてもらった場所の一つに、大量の本が保管してある部屋があることをレイオールは覚えていた。本というものは、情報がぎっしりと詰まった宝箱のようなものであり、今の彼にとってこの世界の情報というのは金銀財宝と同等の価値を持ち合わせている。
未だに知り得ていない数多くの情報が記載されているであろう本を彼が求めるのは、ごく自然のことである。
(確か、書庫あそこだったな。よし、突撃じゃー!!)
大人でも広いと感じてしまう回廊を右往左往しながら突き進み、ようやく目的の扉の前までやってきたところで、不意にレイオールの体が宙へと浮かんだ。
「あう!?(なんだ!?)」
「こらこら、元気なのは結構なことだが、あまり勝手に動き回るのは感心しないぞ。息子よ」
「あっ、あう……(げっ、国王……)」
彼を抱き上げたのは、この国の頂点に君臨する男であり、彼の父親でもある国王その人であった。なぜ彼がここにいるのかは知らないレイオールだったが、目的の書庫を目の前にして行く手を阻まれたことに変わりはない。
「さあ、部屋に戻るぞ」
「あうあうあー!!(あとちょっとだったにぃー!!)」
こうして国王の手によって部屋へと戻されたレイオールが部屋へ戻るなり、ジュリアとサンドラの二人からお説教を食らうことになったのは言うまでもない。
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