1-20 どうでもよくないもの
「あ、あの」
止める間もなくひょいと僕の手の上のゴミをかっさらった怜さんが「そういえば」と俺たちを見下ろす。
「よかったら、気分転換にプラネタリウムで星空でも見るかい?」
どうやら煮詰まったことを見透かされていたらしい。俺たちは揃ってこっくりと頷いた。
◇◇◇◇◇
「じゃあ、春の星座の夜空でも」
怜さんがそう言いながらコンソールを操作すると、部屋はゆっくりと夜へと変わっていく。そしてあっという間に、宝石箱をひっくり返したような夜空が広がった。
「お、あったあった。あれがこの前のケーキの下になった『うみへび座』な」
そう言いながら桐山が夜空の一画を指すけれど、俺にはこの星の海の中でどれがどれだかよく分からない。
「正解。これだね」
怜さんがコンソールを操作すると、夜空の星を線でつないだ星座絵が浮かび上がる。
「そんでもってこれがしし座。で、この隣の、ぼやっとした暗い星たちの集まり、『プレセペ星団』」
「プレセぺ星団?」
「蟹座にある散開星団」
怜さんの質問に首を傾げた月島に、説明を加える桐山。俺も俺で分からないので、ぼんやりと桐山の説明になるほどと頷いた。
「そうそう。それを囲むようにある四角形、そこから足を伸ばした姿が『かに座』なんだ。暗い星が多いから、もし見つけることができたら、そこは星空が綺麗に見える場所だってことだね」
普段の俺たちには絶対に見つけることのできない星座、ということだ。
「ヘラクレス座はないのかしら」
「それは夏の星座だから」
肩をすくめる桐山の隣で、俺はこの前月島に話した『可哀そうな化けガニ』――蟹座の神話を思い返した。
女神ヘラも、目立たない星座だとしてもわざわざヘラクレスの邪魔をしてくれた『化けカニ』を夜空に上げるとは。
しかもかに座は誕生星座、結構重要なポジションじゃないか。ヘラクレスに『ついで』として踏み潰された、可哀想な星座なのに。
「……ん?」
ついで? 踏み潰された?
俺はその瞬間、思い出した。
クラスの女子はあの洋菓子店のことを、何と言っていただろうか。俺がさっき踏みつけてしまったものは……。
横っ面を引っ叩かれたような感覚が俺を襲う。
「なあ、桐山。蟹座だ」
「……ん?」
俺の唐突な言葉に、こちらに顔を向けた桐山が首を傾げているシルエットが見える。
「俺たちにとっては『ついで』――どうでもよくても、人によってはどうでもよくないものがある」
女神ヘラが、ヘラクレスにとっては『どうでもよかったついでの存在』を大事にして、夜空に『星座』として上げたように。
俺はそれを、誤ってとはいえさっき『踏み潰した』けれど。
「ん? どういうこと?」
「桐山。お前さっき言ったよな、『中に何かがあったのかも』って。あれ、惜しいかもしれん」
「言ったけど……ってまさか」
桐山が、はっと息を呑む。
「中じゃないなら『外』ってことか」
さすがだ、呑み込みが早い。何かを考えこんだ奴の前で、月島がさらにゆっくりと首を傾げるのが見えた。
「外って、何が? さっきのクッキーの話?」
「そうだ。やっぱり、クッキーを配ったその女性は、クッキーそのものが目当てじゃなかったってことだ。用があったのは、多分その『外』」
満月のランプに照らされ、月島が眉を顰めるのが見える。
「外? 外なんて……何もないじゃない。クッキーを詰めた箱くらい。箱だって、特別なものでも何でもないわよね? そんな面倒なことをして手に入れるものなの?」
「その通り。でも、箱の他にもう一つ『外』にあるだろ」
まだ釈然としない様子の月島。桐山は呑気に何も言わず紅茶を啜るのみなので、俺は月島の右手元にある、クッキーの空き袋を指さした。
「その袋、なんでそんなに綺麗に開けたんだ」
「これ?」
月島は先ほど、自らハサミで袋の綴じ目ギリギリの部分で開けたクッキーの空袋をしげしげと見つめた。
「ええと……この綺麗な模様を分断するのはちょっと勿体ないかなって」
「だろうな」
「はい?」
「そんなら見た方が早いよ。叔父さん、クッキーの箱の包装紙ってまだある?」
俺と月島のやりとりの隣で、桐山がくるりとカウンターの方へ体を向ける。「あるけど、見るなら電気付ける?」と怜さんから答えが返ってきた直後、さっきまでのプラネタリウムが昼下がりの喫茶店へとチェンジした。
「……って、ああ!」
桐山のセリフを受けて、どうやら月島にも分かったらしい。彼女は大きく頷いて納得の表情を見せた。
「そうか、包装紙ね……どうして気づかなかったのかしら」
月島がぼそりと呟く。その隣の俺は俺で、さっき自分が踏みつぶしてしまったクッキーの包装ビニール袋の模様を思い出していた。
銀色の蔦に繊細な葉が描かれた、凝った包装。あんな細かいところにまで模様が刻まれているのだから、きっときちんと外装にもこだわっている店に違いない。
月島の、まるで大切な手紙でもあけるような手つきでビニール袋のふちを切っていた様子を思い出す。
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