第3話 入団からシーズン開始当初まで
ドラフト会議の三日後、静岡オーシャンズの担当スカウトの吉田氏とスカウト部の課長の今村氏が、学校に指名挨拶に来てくれた。
二人とも元プロ野球選手で、僕は特に静岡オーシャンズのファンではなかったが、二人の現役時代を知っている。
今村氏は内野手で、プロ通算で100本近くのホームランを打ち、打撃コーチを数年やった後、スカウトに転じ、今はスカウト部の課長職に就いているとのことだ。
吉田氏は三球団競合の末、静岡オーシャンズにドラフト1位で入団したが、ケガに泣かされて、プロでは十勝するのがやっとであった。
引退後、スカウトに就任したとのことだ。
どちらも僕からすると、元プロ野球選手ということで、憧れの存在であり、そのような方が目の前にいるということで、いよいよプロ野球の世界に入るんだと、実感した。
最初は指名挨拶だけであり、僕は高校の校長と野球部の監督と並んで、校長室で挨拶を受けた。
堅くなっていたので、またしても「はい、はい」位しか話せなかった。
次回は母親、妹も含めて、ホテルで食事することになった。
その時に入団条件も提示するとのことである。
正直なところ、僕は下位指名であるし、高校生だから、契約金も年俸も少ないことは予想していた。
だから、どんな条件でも契約する心構えはしていた。
そして一週間後、ホテルの喫茶店で条件提示を受けた。
契約金1千万円、年俸440万円だった。
いずれも最低に近い条件だと思うが、僕には全く気にならなかった。
これで借金を返せるし、妹の高校入学にかかる費用も賄える。
それだけで僕には充分だった。
ちなみに新聞報道によると山崎は契約金が上限の一億円、平井は七千万円とのことだ。
二人とは実績も期待度も違うから、これだけ差がつくのも当たり前だとは思ったが、悔しくないかというと悔しい。まあ勝負はプロに入ってからだと思うことにした。
そもそもプロに引っかかっただけでも凄いことだと思う。
実際に東京六大学で十一本のホームランを打ったスラッガーや、都市対抗で優勝したエースは、ドラフト上位指名候補と噂されながら指名されなかった。
仮契約の判子を押した後、ホテルのフランス料理レストランで、今村スカウト部課長と、吉田スカウト、そして僕と母親、妹の五人で食事をした。
これまでこんなホテルなど来たことが無いし、フランス料理などフランスパンとエスカルゴしか知らない。
僕と妹は学生服だったが、母親はいつの間に買ったのか、このために服を新調したようだ。
普段何かと喧しい妹も、今日ばかりは借りてきたハムスターのように…、やっぱり喧しかった。
明らかに僕らのテーブルは周りから浮いていた…。
僕はちょっと恥ずかしかったが、まあ家族が喜んでくれるならいいか。
今村氏が一番高いコース料理を取ってくれ、それはそれはこれまで食べたことのない美味しさだった。
特にメインのステーキ。量はそれほど多くないのに、ステーキとはこんなに美味しいものかと思った。
妹は感激しっぱなしで、デザートに至っては、今村氏と吉田氏の分まで貰って、嬉しそうに食べていた。
まるで普段ろくな物をたべていないようだ。
まあ確かにたまに行くファミレスがご馳走だったが。
プロで活躍すると、こういうものが毎日でも食べられると、今村課長が言った。
僕は改めてプロとは何と夢のある世界だと思った。
妹は毎日ファミレスに行けるんですか、と目を輝かしていた。
だからお前は少し黙っていてね。
その一ヶ月後に、新入団選手の合同記者会見があった。
今年の静岡オーシャンズの新入団選手は僕を含めて七名であり、新聞や野球雑誌でのドラフト評価は、十二球団でも最高レベルの成功ドラフトと言われていた。
ドラフト1位は、今年のドラフトの目玉であり、四球団競合の末、クジで交渉権を獲得した杉澤俊介投手。
東都大学野球リーグで大活躍した左腕で、今回のドラフト会議での最大の目玉と言われていた。
ドラフト2位は、谷口浩二外野手。
高校時代は投手もやっていたが、プロでは野手としてやっていくようだ。
前にも触れたが、高校生スラッガーとして、東の谷口、西の平井と並び称されていた程の逸材だ。
高校三年夏の甲子園は、予選で敗退したが、負けた試合でも二本のホームランを打つなど、高校通算ホームランは80本を超えている。
ドラフト3位は、社会人野球出身の竹下洋外野手。
高校、大学とドラフトにかからなかったが、今年の都市対抗野球では一番を打ち、三試合で11打数9安打、盗塁10と驚異的な成績を残し、年齢は26歳と少し高いが、一気に即戦力として、ドラフトの有力候補に名前が上がるようになった。
俊足、巧打の選手という評判である。
ドラフト4位は、三田村清投手。僕と同じく高卒であり、和歌山の無名高校出身であるが、上背が190センチメートルあり、長身から投げ下ろす速球が武器とのことだった。
甲子園の出場経験はないが、将来性を高く評価されての指名だろう。
ドラフト5位は原谷徹也捕手。大学ナンバーワンの強肩捕手といわれており、東京六大学野球で活躍した選手だ。
パンチ力もあるということで、スケールの大きな捕手となることを期待されている。
そして、6位は飯島武投手。大学を出て、社会人、アメリカのマイナーリーグ、日本の独立リーグを、経由して入団した選手だ。
年齢は既に28歳でアンダースローの投手。僕とは入団時点で10歳も離れている。
もちろん即戦力としての期待を受けての指名だ。
そして7位が僕だ。
今年の静岡オーシャンズのドラフトが大成功だったことは、ドラフト会議後の田中大二郎監督のコメントにも現れていた。
記者からマイクを向けられて、満面の笑みでこう話していた。
「いゃあ、最高のドラフトでした。1位で杉澤を取れたし、谷口と竹下を2位、3位で取れたのは嬉しい誤算ですね。実は二人とも杉澤の外れ1位でリストアップしていたんですよ。
そして、4位の三田村は元々将来のエース候補ということで、上位指名も検討していたし、5位で大学球界ナンバーワン捕手の原谷を取れたのも大きいですね。
うちのチームは捕手が不足しているので、1年目から期待しています。
あと面白いのが6位の飯島ですね。彼は年齢的にも即戦力として期待しています。
投げ方が独特ですし、うまく填まればかなりの成績を残すポテンシャルがあります。
あと、7位だけど高橋は素質は高校生の中でもトップレベルだと思っているんですよ。彼は担当スカウトが是非欲しいということで、取りました。」
僕はテレビのスポーツニュースでの田中監督のこのコメントを見て、自分の事にも言及してもらえたことが嬉しかった。
新入団会見の中心は、やはり1位の杉澤投手と2位の谷口だった。
記者からも多く質問を受け、写真も沢山取られていた。
その点僕は集合写真では、後列の一番右だったし、個別写真も少なく、待ち時間も多かった。
だが、ユニフォームに袖を通すと、プロ野球選手になったという実感がひしひしと湧いてきた。
すぐにでもグラウンドに飛び出して、走り回りたいとも思った。
背番号は58だった。
この番号には特に意味はないだろう。たまたま空いている番号が、この番号だったのだ。
それでも僕はこの番号をとても気に入った。
5番も8番もスター選手の番号であり、それを組み合わせたと考えると、悪くない番号だと思う。
入団会見の後は、年明けの新人合同自主トレまで、公式行事は無い。
僕は最後の高校生活を満喫した。
バカな仲間とバカをやれるのも、あと僅かと思うと、寂しさを感じなくもなかった。
もっとも練習は継続したし、後援会の発足式だの市長への表敬訪問だの様々な行事もあり、かなり慌ただしかったが。
年が空けると、まずは入寮である。
静岡オーシャンズでは、新入団選手は必ず寮に入ることになる。
社会人、大卒は最低二年間、高卒は五年間だ。
僕は野球道具と、着替え、あと好きなアーティストのCDを数枚と小さなCDラジカセ、彼女から貰った熊のぬいぐるみだけをカバンに入れて入寮した。
熊のぬいぐるみは静岡オーシャンズのユニフォームを着ており、市販のぬいぐるみに彼女がユニフォームを作って着せてくれたものだ。
「しばらく会えないけど、私の替わり」と言って、彼女が渡してくれた。
彼女はこの春から大阪の看護学校に入学する。
静岡と大阪と遠距離になるので、しばらくは会えないだろう。
またチームメート達が書いてくれた寄せ書きも持ち込んだ。
公序良俗に反する内容もあり、誤字脱字だらけでなので、知性を疑われるのでここでは紹介できないが。
寮は五階建てとなっており、1階はミーティングルームと球団事務所、2階は大浴場と食堂と談話室になっており、地下にはトレーニングルームがあった。
さすがプロ野球チームの設備とあって、トレーニングルームには、これまで見たことの無いような最新のトレーニングの器具が備え付けてあったし、風呂は湯船が広く、ジャグジーとミストサウナまであった。
3階以上は選手の居室となっており、上に上がるほど部屋が広くなるそうだ。
つまり、5階は1軍選手、4階は時々1軍ばれる選手、3階は2軍選手専用ということだ。
僕はもちろん3階の部屋であったが、それでも8畳以上あり、高校時代には四畳半を二人
で使っていたことを考えると、とても広く感じた。
部屋にはベッドと棚、タンスがあらかじめ備え付けられていた。
すぐ近くには二軍の本拠地である球場と室内練習場があり、窓から見えた。
野球の練習には最高の環境だろう。
そして夜、食堂でちょっとした歓迎会があった。
寮にいる選手は若手だが、それでも既に一軍で活躍している選手もおり、その前で新人選手は指名順に一言ずつ挨拶した。
挨拶には個性がでる。
ドラ1の杉澤投手は、「今日からお世話になる杉澤です。一日でもチームの役に立つように頑張りますので、よろしくお願いします。」と無難な挨拶だったし、ドラフト2位の谷口選手は「遠くに飛ばすことだけは自信がありますが、それ以外は自信が無いので、公私含め色々と教えてください。」と言った。
ドラフト6位の飯島投手はさすがに落ち着いていた。
「多分この中で一番年上だと思います。年齢的にこの寮に長くいるようなら、出るときはクビになる時でしょう。
若い選手は一年一年が勝負でしょうが、僕は一日一日が勝負だと思っています。夜露死苦。」
最後の夜露死苦は誤変換ではない。声のトーンから本当にこのように言ったように聞こえたのだ。
ドラフト3位の竹下選手は「ここにいる選手はみんなライバルだと思っています。
自分はすぐに一軍でやるために入団したので、この寮にはほとんどいないように、そしてすぐに出られるようにするつもりです。」と顔をしかめながら言った。
本人としてはドラフト3位でも納得いっていないようだ。そういえば、竹下選手の笑顔をまだ見たことがない。
翌日からいよいよプロ野球選手としての生活がスタートした。
朝、寮生は7:00から球場周りの散歩がある。
噂には聞いていたが、起きてすぐ歩くのは辛い。
みんな寝起きの寝ぼけ眼で参加していた。
入寮して二日後からは、新人合同自主トレが始まった。
そこで僕はいきなり自信を失った。
同期入団の選手は、いずれもこれだけは誰にも負けない、というような能力を持っており、僕はその中で突出したものが無いことを思い知らされた。
例えば、1位の杉澤投手の球は、ストレートなのに小さく変化するし、カーブは完全なボールゾーンから図ったように、ストライクゾーンの隅に決まる。
スライダーは、鋭く曲がりながら落ちる。
チェンジアップは、ストレートと全く同じフォームから、30キロくらい遅い球がくる。
更にツーシームまで投げる。
投球練習を見ていると、とてもとても自分には打てそうに思えなかった。
さすがドラフト1位で競合されるだけのことはある。
2位の谷口は同じ高校生だが、パワーが高校生離れしていた。
同じ高校の平井のバッティング練習を見慣れていたので、それなりにパワーヒッターの打撃は見たことがあったが、谷口と平井では打球の性質が違った。
平井の打球は、打った瞬間に角度を付けて上がり、きれいな放物線を描くが、谷口の打球はまるでロケット弾のように、鋭く打球が飛び出し、ライナーで外野スタンドに突き刺さるイメージである。
こんな打球は自分にはとても打てない。
身長はあまり変わらないのに、何が違うのだろう。
そして、僕は走攻守では足に一番自信があったが、ドラフト3位の竹下選手と一緒に走って、その自信は粉々に砕かれた。
一緒に50メートル走をすると、最初は併走していても、グングンと離され、ラストでは二メートルは軽く離された。
4位の三田村は長身から投げ下ろす直球の威力が凄かった。
速さだけでは、1位の杉澤投手すら凌駕した。
打席に立つと、上から投げ下ろされた球が、最後に浮き上がるように見えた。
正に火の玉ストレートだ。
一度、シートバッティングで打席に立ったが、芯で捉えたと思ったら、バットが折れてしまった。
5位の原谷捕手の売りは何と言っても肩である。
自分もショートをやっているくらいだから、肩は強い方だと思っていたが、ホームベースから軽く投げたように見える球が、低い弾道で正確に二塁ベース上に、しかもほとんど百発百中で、セカンドのミットに納まるのを見ると、とても適わないと思ったし、自分が走者だったら、盗塁しても刺されるだろう。
そして、ドラフト6位の飯島投手の球は、アンダースローであることから、速さはそれほどでもないが、地面すれすれから投げた球が、ホームベース近くで浮き上がり、しかもそこから落ちる。
こんな軌道の球は初めて見た。
例えバットに、当たっても、内野ゴロだろう。
このように、彼らと練習をしていると、自分がいかに井の中の蛙だったかを思い知らされ、また大変な世界に来てしまったことを改めて実感した。
自分はそこそこまとまっていたが、彼らと比較して、突出したものは何も無かった。
自分はプロで生きていけるのか。
出だしから不安に思った。
二月から春期キャンプが始まった。
僕と谷口、三田村、原谷捕手は2軍キャンプ、残りの三人は1軍キャンプであった。
キャンプは一言でいうと、ついて行くのがやっとであった。
午前中の基礎練習だけで、ヘトヘトになり、一日の練習が終わると、気力、体力を使い果たし、泥のように眠り、また次の日ヘトヘトになるという、繰り返しだった。
別メニューのピッチャーの三田村はともかくとして、同じ高校生野手の谷口は、なぜ涼しい顔をして、練習についていけるのだろう。
僕も高校時代は、全国制覇したチームの一員として、相当練習したつもりである。
しかしながら、プロの練習は、質量ともに高校時代のそれを上回っていた。
キャンプも終盤になると、何とか練習に慣れ、彼女に電話をかけるくらいの余裕はできたが。
オープン戦が始まると、谷口は1軍に帯同し、オープン戦に出場した。
僕は相変わらず、2軍の球場で、基礎練習中心のメニューだった。
焦る気持ちはもちろんあったが、他の選手を見ていると自分のレベルの低さを思い知らされ、地道に練習して、全体的にレベルアップしないとこの世界で生き残るのは難しいと思った。
来る日も来る日も、ライトとレフト間の全力走、ウェイトトレーニング、そして大量の食事。
僕は周りと比べても、体の線が細いのは明らかであり、まずはプロの体つきにする必要があった。
谷口はオープン戦の半分くらいの試合にスタメンで出場し、ホームランを三本放った。
同じ高校卒なのに、僕と谷口では何故ここまで違うのだろう。
僕は早くも完全に自信を喪失していた。
そして、シーズンが始まった。
新入団選手では、杉澤投手、竹下外野手、そして飯島投手が開幕1軍に選ばれ、僕、谷口、三田村、原谷捕手は結局2軍スタートとなった。
谷口はオープン戦の最初は好調だったが、各チームの投手が開幕に合わせて調子を上げてくると、次第に打てなくなったため、キャンプ終盤になって2軍に落ちてきた。
だが、谷口は2軍の試合では、開幕戦から五番でスタメン出場し、三打席目でホームランを打った。
僕はベンチにずっと座っていた。
この日、僕の出番は無かった。
その頃、1軍も開幕を迎え、杉澤投手は開幕第三戦を任せられた。
更に竹下選手は一番レフトとして、開幕戦のスターティングメンバーに入った。
昨年、一番打者に苦労した静岡オーシャンズに取って、俊足巧打の竹下選手は切り込み隊長として、相応しいと思えた。
そして、竹下選手はこの日5回打席に立って、4打数3安打、1四球で、盗塁も二つ決め、順調なスタートを切った。
そして、開幕3戦目、杉澤投手はプロ初先発を果たし、大物ルーキーらしく7回をヒット三本、1失点に抑え、勝ち投手になった。
飯島投手は開幕4戦目に、敗戦処理ではあったが、初登板を果たし、2回を1安打、無失点に抑えた。
僕は2軍でもセカンドの控えの立場であり、たまに途中出場するものの、打席に立つことは少なく、4月を終えた時点で7打数無安打であった。
それに対して谷口は凄かった。
ほとんどスタメンで出場し、4月末時点で5本のホームランを放っていた。
これは二軍とは言え、リーグ1位だった。
そして外野の守備も無難にこなしていた。
僕は打撃で結果を残せないだけで無く、守備でも既に三つのエラーを犯していた。
同い年にも関わらず、谷口とはドラフト順位以上に差があるように感じ、焦りを感じた。
だが例え練習したとしても、すぐに能力が向上するわけでは無い。
1年目ということを差し引いても、自分には足りないことが多すぎて、キャンプで失った自信を更に失っていた。
こういう事は、実は高校時代にもあった。
僕のいた高校は名門だったので、新入部員だけで百名近くなる。
しかもそれぞれが中学時代にそれぞれ名を轟かした猛者ばかりだ。
セカンドの希望者だけで、8名もいた。
僕は中学時代は地域ではそこそこ名の知れた存在ではあったが、全国大会には行ったことが無く、そういう意味では無名の存在であった。
その中にあって、山崎と平井は別格だった。
山崎は入部初日にいきなりブルペンに入り、その能力を披露した。
前年に甲子園に行った時のメンバーも何人か残っているチームにあっても、山崎の球は驚きを持って受け止められた。
そして平井はいきなりシートバッティングに入り、外野ネット越えを連発した。
「こういう奴らがプロに入るんだろうな。」
隣で球拾いをしていた、中学時代からの顔見知りがため息をついて言った。
彼は中学時代は地区大会を勝ち上がり、全国大会の経験者だ。
そんな彼ですらこのチームでは球拾いからスタートするのだ。
いかに山崎と平田が群を抜いていたということだろう。
僕は野球特待生として、授業料と寮費免除で入学しており、苦しい家計を考えると、このまま野球で名をあげるしかなかった。
だから苦しい練習にもついていくことが出来た。
百名近くいた新入部員は夏には三十名程度に減っており、一年経つときには更に半分程度となっていた。
僕は二年生の夏に当時の三年生が引退してから、ようやくショートのレギュラーをつかんだ。
その時は自分がまさかプロに入るなんて思いもしなかったが、大会を勝ち上がり、一番打者として経験を積むことで、急激にレベルアップしていることが自分でも感じるようになった。
山崎や平井を目当てに来ていたプロ野球のスカウトの視線が、自分の打席の時も感じるようになってきた。
恐らく最後の1年間の成長という意味では、山崎や平井にも引けを取らなかったと思う。
伸び代だけは自分は誰よりもある。
そう思い込むことで、何とか自分自身のモチベーションを保っていた。
だが僕は下位指名であり、悠長なことを言っている立場では無いことは理解していた。
「三年でものにならなかったら、クビだな。」
ある日の2軍の練習場で見物人の誰かが連れと僕を指差して、言っている声を耳にした。
悔しかったが、確かにそうなんだろう。
「今に見ていろ。」
僕は唇を噛み締めるしかなかった。
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