096 案件No.006_旅行バスの運転代行(その10)

 昔から……他人に評価されるのが嫌いだった。


 ――ダンッ!

『ぎゃっ!?』

 どんな評価だろうと、その全てを素直に受け止めてしまう。褒められれば嬉しく、貶されればその点を気にする。

『ちっ……』

 通常であれば、(都合の)良い評価以外は聞き流すのだろうが……発達障害者荻野睦月の場合は違った。

 忖度が、人の気持ちを推し量ることが難しく、その言葉通りに受け止めてしまう。

 その度に喧嘩すれば長引き、相手の気持ちの裏側が分からずに擦れ違い、最後には……『騙し易い奴』だと、侮られてきた。

『てめっ!』

『このっ!』

 しかし、幸か不幸か……睦月は、『裏社会の住人』達に育てられた。

 扱える金銭も、巻き込まれる問題トラブルも……扱える道具武器も、格段に違う。

 ――ダン、ダンッ!

『ガッ!?』

『ゲッ!?』

 単に『いい人』だとおだてられ、慣れない女遊びで美人局に出会でくわす。人にとってはよくある、大したことのない出来事だとしても……


 ……それを繰り返してきた睦月が、人付き合いを諦めて・・・しまう・・・には十分過ぎた。


『やっ、やめっ……』

 手に持っていた自動拳銃オートマティックを反転させ、銃身を握り込む睦月。そして、目の前に居る年上の女キャバ嬢の脳天目掛けて、銃把を鉄槌ハンマー代わりにして叩き込んだ。

『ゴッ!?』

『……くっだらね』

 銃弾の無駄だ、せめて9mm口径にしとけば良かった……等と考えながら、睦月はかつてのボウリング場内を歩き、レーン横の座席へと腰掛けた。古びてはいるが革張りは健在で、破れてないところを見ると、単純に客入りが悪くて潰れたと見るべきだろう。

 けれども、今の睦月には関係ない。

 美人局を仕掛けてきた連中に銃弾を叩き込み、誘い込んできたを殴って一生消えないだろう傷を負わせた。狩り役共には適当に銃弾を撃ち込んでいたので、生きている者も居れば、死んでいる者も居るだろう。

 もっとも……睦月には、どうでもいい話だが。

『あ~……馬鹿らしくなってきた』

 冷静になると、完全にやり過ぎだった。

 いくら姉妹分弥生達殺し屋師匠が自分達の道を往き、昔馴染みとも疎遠になっていく中、秀吉が遠出の仕事で不在だからと、暇に任せて慣れないことをするべきではなかった。

 適当なキャバクラや性風俗に年齢を誤魔化しては入店し、慣れない酒を避けてジンジャーエールソフトドリンクの入ったグラスを傾けて、大人ぶって女遊びを繰り返すこと数夜。

 意外と見かけが良かったのか、それとも単に金払いが良かったのか。いまさら理由は分からないが……通っていたキャバクラの一つで、問題トラブルに巻き込まれた。単なる美人局だが、その時は偶々機嫌が悪く、護身用に持っていた5.7mm口径の自動拳銃オートマティックを、ただの凶器として振り回した。

(止める人間が居ないと、こうなるんだな……)

 まだ、息のある者達が助かろうと、睦月に縋ろうと手を伸ばしてくる。

 ただ……睦月に助ける気は、一切なかった。

『あ、ああ……』


 自分を獲物カモだと決めつけ、見下してくる奴等が助かるかどうかなんて……睦月にとっては、どうでも・・・・良いからだ。


(うるせぇな……)

 心の底から、どうでも良かった。

 ただ、『運び屋』としての生き方を決めても、その為に努力を続けられたとしても……独りだと偶に、妙な虚しさを感じてしまう。


 ――人が、人を愛するのは、その虚しさに耐えられないからだろうか?


 そんな下らないことを、考えている時だった。誰も来ないはずの、廃ボウリング場の扉を開けて、誰かが入ってきたのは。

『まだ……仲間が居たのか?』

 ボウリング場内には睦月以外にもう、まともに動ける者はいない。

 弾切れに近い自動拳銃オートマティック弾倉マガジンを差し替えた睦月は、座席に腰を降ろしたまま、視線と銃口を侵入者へと向けた。

『…………』

 もう、頭は冷えていた。

 感情に呑まれて、誰かを平気で傷付けられる人間を、怪物人外を見た者の行動は、大体二種類に分かれる。戦える戦えないを問わずに逃げ出すか……戦えずに腰を抜かすか、だ。

 同じ怪物人外ならまだしも、ただの一般人人間が凶器を振り翳されてしまえば、正気を保つことなんてできるわけがない。

 だからこそ、そのを見た時、睦月は驚いた。


『…………ちっ』


 ズタボロの格好でも、感情の削げ落ちた表情でも……端を握って引き摺っていた鉄パイプでもない。

 この惨状と……凶器拳銃を持つ睦月を見て、舌を鳴らすその胆力に。


 それが、續木絵美と出会った日の出来事だった。




 何故今になって、絵美とその時出会いことを思い出したのか?

 それは……睦月の自動拳銃ストライカー鳴らした・・・・銃声・・では・・なかった・・・・からだろう。

「…………」

 視線だけを横にして、銃声のした方へと向く。そこには何故か、睦月の昔馴染みとその会社の人間、そして……

(……何やってんだよ、姫香)

 後ろ手に拘束されているのか、不機嫌な表情を隠さないまま、理沙に引き摺られて来る姫香。実力的に無傷だとは思っていたが、何故こうもあっさりと、勇太達に従っているのか。

「睦月……悪いがそいつの身柄ガラ、俺達に寄越せ」

「あ゙?」




(あ~……やっぱり・・・・キレてる)

 昔よりは、睦月にも精神的な余裕ができてきている。だから、仕事の邪魔をされた程度・・では、ここまでブチ切れることはまずない。大方、あの刺客が禁句・・でも口走ったのだろうと、勇太は当たりをつけた。

 しかし、その正誤は今、関係ない。

 付き合いが長い分、勇太は昔馴染み睦月がキレた時の面倒臭さをよく知っている。だから刺激しないよう、威嚇の為に上空へと発砲したショットガンの銃口を下げてから、声を掛けた。


「もう……そいつ・・・しか・・、生き残ってねえんだよ」


 不運にも、間が悪過ぎた。

 勇太達が姫香の近くに来た時には、すでに最後の一人と対峙し、銃口を向け合う直前だった。そこに割り込んで止めようとしたのはまだ良かったが、タイミングが最悪過ぎたのだ。

「俺達が来た時にはもう、この女が全滅させちまってたんだよ。しかも、最後の一人は目の前で・・・・、だぞ」

 止めようと悪目立ちしたのが、そもそもの間違いだった。

 よりにもよって、今理沙が捕らえているこの娘は、勇太達が顔を見せたその瞬間にを突き、右手の袖の仕込みスリーブガンで撃ち殺したのだ。下手に割り込みさえしなければ、とも思うが……可能性だけを考えていても、仕方がない。

「そいつには知ってること、全部吐いて貰う。その為にも、頼むから……身柄ガラを渡してくれ」

 唯一の救いは、姫香もまた黒幕の正体について探ることに、同意してくれたことだろうか。

 もう実行犯で・・・・生きているのは、睦月が今相手にしているバスジャック犯だけだった。黒幕どころか姿を見せない裏方すら、見つけて捕まえられる保証はない。

 だからこそ、睦月の足元で銃口を向けられている青年の身柄は、確実に確保しておきたかった。

「……で、姫香と人質・・交換でもするつもりか?」

「まさか……」

 顎を振り、理沙に姫香を解放するように指示を出す。今すぐにでも駆け出したいだろうが、さすがの彼女も、無暗に今の・・睦月へと近付くことはない。ただ様子を見つつ、勇太達からゆっくりと離れて行った。

「……お前相手に人質は・・・無駄・・だろうが。いきなり撃たれない・・・・・為の保険だよ」

 威嚇で空に引き金を引いた時、姫香と理沙は、勇太の目の前に・・・・居た。居て、貰った。

 実際……昔の・・睦月なら、誰彼構わず撃ち抜いていたことだろう。盾になって貰った二人に意味があったのかは分からない。だが、少なくとも……話し合いの場に持ち込むことだけは、できた。

 今の勇太には、それだけで十分だった。

「対価は払う。お前だって・・・・・無関係・・・じゃない・・・・はずだ。だからもう一度、いや何度でも言うぞ……そいつを寄越せ」

 頼むから、とは続けない。それ以上は、目の前の男が嫌悪する行為の一つ……誰か、何かに縋る・・ことだからだ。

 そして……結果、睦月の銃を降ろさせる・・・・・ことに成功した。




 人間は基本、一度に一つのことしかできない。実際に、並列処理マルチタスクのできる者は少ないだろう。誰もが同時にできていると思っている行動の、そのほとんどは並列ではなく、ほぼ同時・・・・の連続処理でしかなかった。

 しかも、相手は発達障害持ちだ。一つの物事に集中しやすい傾向にある存在だ。だから、睦月の意識は足元の男と勇太に向けられ……静かに・・・近付いて・・・・来た・・姫香を捉えることは、できていなかった。

「…………」

 何も言わず、何も示さない。ただ、自らの拘束を手早く取り、銃身の上に手を置いただけ。これからの打算の為か、それとも、彼の心を守る為か……だが少なくとも、これは姫香自身の本音だ。

 今……睦月が引き金を引けば、それは心に傷として、永遠に残る。

 睦月が望むのであれば、代わりに殺そう。もし殺さないのであれば、それを受け入れよう。けれども、生殺与奪勝者の特権を感情だけで捨て去ろうとすることだけは、決して許せなかった。


 ……睦月が後悔するような行動だけは、絶対に許せなかった。


 もし、それを認めてしまえば……自分もまた、睦月の・・・後悔に含まれてしまうかもしれない。それが、今の・・姫香には耐えられなかった。

 だから、いざとなれば……睦月が引き金を引くよりも早く銃を奪い、代わりに殺そうと姫香は身構えた。


「……分かったよ」


 もっとも……姫香の覚悟は、杞憂に終わったが。




 自動拳銃ストライカーの銃口を、雅人から地面へと移した。もっとも、姫香の手が重なった銃身を、そのまま下げただけだが。

「情報は全て、共有しろ。旅行会社依頼人への隠蔽工作誤魔化しはこっちでやっておくが、それ以外はお前が責任を持ってやれ。警察にはいつも通り、京子さん伝手で話を通しておけよ。後……」

 誰が、何を、どう思っていようと……これだけは変わらない。

「こいつがまた襲ってきた時だけじゃない。最後に、こいつを殺すつもりなら……俺に・・殺さやらせろ。いいな?」

「……分かった。それでいい」

 睦月の許しを得て、勇太は部下に雅人を回収させた。

 一歩下がって、その様子を見届けた睦月は姫香に向けて、ある一点を指差す。

「あっちに由希奈が居る。頼めるか?」

「…………」

 コクン、と静かに頷いてから、姫香は由希奈の下へと向かう為に背を向けて来た。

 周囲から、人が去って行く。誰もいない中、睦月は一人立って、空を見上げた。




「僕は……どうなるんですか?」

「……お前次第だ」

 理沙達に拘束され、即席の担架に乗せられた雅人の横を歩きながら、勇太はそう答えた。

「全部話した後、もしやり直したいなら監視も兼ねて、仕事を紹介してやる。清掃業だから色々ときついが、高給取りなのは保証する……まだ・・、誰も殺してないんだろ?」

「……殺せなかった・・・・・・んです、誰も」

 この男が最初に殺そうとしたのが、荻野睦月だった。

 しかし返り討ちに遭い、結果的に人を殺さずに済んだ。ただ、それだけに過ぎない。

「もうそれしか、生きる方法がないと思っていたのに……結局残ったのは、自分が発達障害かもしれない、ってことと……『運び屋あの人』を敵に回した事実、だけか」

「そうだな……」

 勇太は、雅人の味方・・じゃない。

「だから……諦めろ・・・

 けれども……今、となって追撃する気はなかった。

「お前は一つ、生きる理由を失う……それだけは覚悟しろ」

「生きる、理由……?」

「……諦められなかったんだろ?」

 それだけは分かると、勇太は雅人に告げた。

「犯罪者になる人間には二種類いる。生活環境や人間関係とかで影響を受けた奴か……何かを諦めたくないばかりに、やり方を間違えた奴だ。だから、お前は睦月を……『運び屋』を殺そうとしたんだろ? 渡された銃で、自分の頭を・・・・・吹き飛ばそう・・・・・・なんて考えずに」

 まだ、雅人があの世・・・に逝く気がない、逝きたくないことを、勇太は理解していた。

 自分も……同じだったから。

「お前が、どんな決着をつけたかったのかは知らねえけど……諦めるんだな」

 睦月が女に振られる場面を、何度も見て来た。けれども、絵美に振られた理由だけは、一生忘れられない。


「あいつはいい奴・・・なんだよ。本人が嫌がってる意味でも……本当の・・・意味でも、な」




 所詮は憶測でしかない。けれども、同じ発達障害者だからこそ、分かることがある。

『いつか、絶対に別れてやる……』

(ああ……だから、絵美あいつのことを思い出したのか)

 絵美が隣に居た間、ずっと、そう言われ続けてきた。だからこそ、睦月にとってそれ・・は、人が嫌がることなのだろうと刷り込まれていた。

 もし、絵美の立場になったとしても、相手によっては対応を変えてしまうだろう。人によって態度を変えるのと同じ位、睦月にとってはどうでも・・・・いい・・ことだからだ。

 だからこそ……それは睦月にとって、けじめ足り得た。

 その理由を奪われて、手を引けばそれでいいし、生きる理由がなくなって逝こうとも、睦月に気にする理由はない。それで逆恨み・・・してくるならば、それこそ返り討ちにすればいいだけの話だ。

 少なくとも剣術擬き手の内使い明かし、雅人を殺そうと考えた時には、すでにそうすると決めていた。姫香や勇太は何も言ってこなかったが……どちらにせよ、いまさら変更はない。

「ふぅ…………」

 見上げていた顔を降ろし、動き回って乱れたネクタイを解く。弾倉マガジンを替えたものの、その後は結局、一発も撃たなかった自動拳銃ストライカーを腰のベルトに差し戻した。

(どいつもこいつも、外注・・で十分だと、思うんだけどな……ま、いつもの・・・・ことか)

 何も持たず、空になった両手の指を重ね合わせて……睦月は、冷酷な思考回路を稼働させた。


(…………状況を、整理しよう)


『人の復讐を横取り・・・したこと……絶対に許さないから』

 今回襲ってきた刺客の……雅人の目的かもしれない・・・・・・、報復の為に。




 ――Case No.006 has forced to close.

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