094 案件No.006_旅行バスの運転代行(その8)
人体は普段、脳の無意識下において
機械を常に稼働するのと、休みながら程々に使うのとでは物持ちが違う。それと同様に、人体もまた全力を出せないよう、安全の為に
いや……『火事場の馬鹿力』のように、ある条件下ではその
――
けれども、それはスポーツに限った話ではない。むしろ、より単純な動作であればある程、人間というものはそれに没頭しやすい生き物だ。『何かに集中して時間が溶ける』なんて話は、ざらにある。
つまり、人間は条件さえ揃えば、簡単に
スポーツ漫画等では、
ただ『走る』等といった単純な動作とは違い、競技そのものは複雑な
だが逆に、より単純な動作……『殴る』、『蹴る』といった純粋な暴力行為であれば、人は通常よりも容易に、
感情に支配された人間が、より単純な動機で他者を傷付けられるように。
そして行き過ぎて……簡単に人を、殺せてしまえるように。
「絶対にそこを動くなよっ!」
「睦月さ、っ!?」
鞄から、予備の
由希奈をその場に残した睦月は樹木の陰から飛び出し、雅人に
しかし、銃弾を込めずに
(
睦月が引き金を引く間もなく、距離を詰めてくる雅人。血塗れの拳が突き出されるが、かつて郁哉の攻撃に対応した時と同様に、
そこまでは良かったのだが……その先が、まずかった。
「…………っ!?」
咄嗟に、後方へと飛ばなければ、雅人の膝が迷わず睦月の腹を打ち抜いていただろう。血と暴力に慣れていたからこそ、まだ反射的に動けたのだ。もしこれを受けるのが素人であれば、どうなっていたことか……
(完全に、箍が外れてやがる……)
軽く数発、連射したのはいいが、もはや威嚇にすらなっていない。音で銃弾の来るタイミングが分かっていたとしても、それを避ければいいなんて、表社会で生きている限りは生まれてこない発想だ。
だからこそ、地元では体育の授業やドッジボールと称して、銃弾の回避訓練をさせられていたのだが。
(銃弾の効果は薄い。さて、どうする……?)
この世界にどんな武術があろうと、どのような格闘技があろうと……所詮は人間の技術だ。身体のどこかを動かすことに、変わりはない。
肉体をどう動かせば、一番効率が良いのか?
それを突き詰めたのが、この世に蔓延る格闘技術の共通点だ。
だからこそ……
「があああ……!?」
「く、……っ!?」
……ただの
強引に足を上げて、靴裏でその拳を受け止めなければ、確実に致命傷を負っていただろう。突きに合わせて膝関節を動かし、衝撃を逆に
(まずいな……)
カチッ、ダラララ……!
距離を置き、
むしろ、素人のはずの相手が今や……狂気の獣と化している。
(……完全に
理論上、特に鍛えていない人間でも、本気を出せば100kg以上の物を持ち上げることができる。しかし、それは脳の
『殴る』、『蹴る』等の単純な動作に絞り、使い慣れない選択肢を除外して攻撃してくる。相手の裏をかくことが前提の睦月にとって、純粋な暴力の塊である雅人は……正に、一番相性の悪い相手だった。
「ぐあああ……!?」
(ああ、面倒臭い……)
予備の
かといって、先に
(唯一の救いは、俺しか目に入って…………?)
由希奈の隠れている樹木から距離を取りつつ、雅人の攻撃を捌きながら逃げ回っている睦月だが、ふとあることに気付いた。
(こいつ、もしかして……周囲が
睦月は最初、全開の仕事の時のように、
けれども、視野狭窄で目の前の
(もしかして……だが、それなら、)
さらに数歩、雅人から距離を置いた睦月は……
(手は…………あるっ!)
『……単に、状況に応じて
と、郁哉に言ったことがある。
『
と、勇太にも言ったことがあった。
だが睦月は、あえて伏せていたことがある。
――『
『痛ぅ……』
『ボッコボコだなぁ、今日も』
『……やらせてんのは、親父だろうが。ったく』
服の下に隠れている痣に冷えたジュース缶を押し付けながら、中学生に上がりたての睦月は秀吉と並んで、帰路に就いていた。もう片方の手に掴んでいる、銃の仕舞われたケースを取っ手ごと肩に載せながら、まだ成長途中の息子は父親を見上げて問い掛ける。
『にしても……これ、意味あんのか?』
『何言ってんだよ。
先程まで、
『そもそも、裏で買収した
『まあ、サヴァン症候群の例もあるしな……特に実感湧かないけど』
『本当自己肯定感低いよな、お前……本当に俺の子供?』
睦月の漠然とした不安に付き合いつつ、秀吉は
『どうせ完璧な人間なんて、いやしないんだ。弱点の一つや二つ、別に有ったって良いんだよ。問題は……その弱点と、どう向き合っていくかだ』
ポン、と頭を撫でてくる手を、睦月は照れ臭さから、無理矢理払ってしまう。それを気にすることなく、秀吉は自宅のある前方を見つめた。
『だから覚えとけ、睦月』
当時、言われた睦月は、その言葉の意味を理解することはできなかった。
『仕事は
その時の言葉の意味を理解したのは、英治からの送迎依頼を
(大丈夫、
その技を、かつての睦月は、何度も受けた。
何度も、何度も……その度に、
(まったく、厄介な生き方してるよな……
いや……通用すると、睦月は自身に言い聞かせながら、
(イメージしろ……)
柄を持ち、鞘から刃を抜き放つ。
(イメージさせろ……)
刃渡りは気にしなくていい。
「夜桜夢幻流――……」
別に今、
(……刃物を抜く、俺自身のイメージをぶつけろっ!)
だが睦月は、持っている
「……――
――居合い切りの姿勢で、
雅人は本能的に、睦月から数歩下がった。
映画や漫画でよく見る、剣術の居合いに酷似した姿勢。そして放たれた抜刀の仕草。
刀を持っているようには見えないが、事前に渡された鞄の中にナイフ等の刃物が入っていたとしても、不思議ではない。それに、
だから……
そう思っていた雅人だが……睦月が、自身の懐に飛び込んでくる方が早かった。
――夜桜夢幻流、
簡単に言ってしまえば、合気道の呼吸投げと相撲の猫騙しを同時に放つような技だ。抜刀の姿勢と気迫で威嚇し、動作のみで相手の体勢を崩させる。睦月の場合は所詮猿真似の為、技名を叫んで
(上手くいった……)
無論、ただの威嚇技である以上……次に繋げなければ、意味がない。
体勢を崩す雅人の懐に入り込み、事前に決めていた技を
(……後はこっちのもんだ!)
かつて、睦月はその技を受けた後に何度も、何度も竹刀で叩かれた。
相手は達人どころか、才能があるとはいえ同年代の少女。それだけに
だからこそ、身体が覚えていた。少女の流派、『夜桜夢幻流』の技を。
後は、相手が体勢を崩している隙に、間髪入れずに放つ
弾切れの
何故なら……睦月は、『
十分に距離を詰めた睦月は地面に手を突き、片足と共に土台にして、もう片方を雅人の腹目掛けて打ち放った。
動作こそ
何より……
「……『全部振り切ってやる』っ!」
雅人と同じ、いやそれ以上に
――ドゴッ!
「ごふぉっ!?」
おそらく、雅人は知らなかったのだろう。
猿真似とはいえ、睦月が剣術の一つを使えることも……100%の
ゆえに、腹部に強烈な一撃を受けて地面を転がり、仰向けになった雅人は……
「ふぅ……」
しかし、その影響を受けるのは、雅人だけではない。
睦月もまた、
そもそもの話、睦月が
シビアなタイミングでクラッチ操作を行わなければならない
――その
それが……この
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます