047 ペストマスク
それは、一人の少女の物語だった。
少女には、同世代の子供達が周囲に何人もいた。その数、自分を含めて十二人。
その中には、『お兄ちゃん』や『お姉ちゃん』と呼ぶ程に慕っている者達もいて……少女はいつも、『お兄ちゃん』の傍を離れなかった。
いつも引っ込み思案で、泣き虫だったが……特にいじめられてはいなかった。
地元に人間が少ないからか、それとも『村の外』からの客人が少ない為か……どちらにせよ、幸か不幸か、地元には『人を見下す』という考え方があまり浸透していなかった。
しかしだからといって、その全員が『優しい』わけではない。
全員の背負っているもの、家庭という背景が違い過ぎる為か……考え方が一緒な者が、一人もいなかったのだ。それでも同世代かつ、遊び相手が他にいないからと、仕方なく一緒に居たというのが、一番大きな理由でもある。
ある意味では、『血の繋がらない
その中でも、少女が特に懐いていたのが、家庭同士の付き合いも多い『お兄ちゃん』と、口の悪さに比例して面倒見のいい『お姉ちゃん』だった。
物心付いた頃はまだ『血縁』と言った、具体的な家族の繋がりについて理解しておらず、ただ自分が『十二人の中で一番年下だった』からという理由で、少女は『末っ子』だと思い込んでいた。
やがて歳を取り、少女にも『血縁』というものが理解できるようにもなったが……思考は、そこで止まってしまっている。
……少女は、『恋愛』というものが分からなかった。
自分達の関係がどういうものなのかが分かった後でも、『お兄ちゃん』の背中にべったりしたままだった。そこに恋愛感情はなく、ただ懐いているだけだと、彼女を含めた全員が理解している。
ただ、少女漫画や他の子供達の恋
『この馬鹿野郎っ!』
――ドゲシッ!
『あぎゃっ!?』
ある時、『お兄ちゃん』はある一件から、家に引き籠っていたことがある。
それでもごたごたが片付き、当人同士でもけりが付いた後のことだった。
……少女の『お姉ちゃん』もまた、『お兄ちゃん』を文字通り蹴り飛ばしていたのは。
『人に心配ばっか掛けやがって……いつからそこまで偉くなったよ、ああ!?』
『いや、だから悪かったって……あがっ!?』
今度は防がれたものの、『お姉ちゃん』は『お兄ちゃん』への攻撃を、止めることはなかった。ただ……少女は何故か、その光景を見てむしろ、安心感を覚えていた。
『てか何でお前がしゃしゃり出てくるんだよっ!?』
『
『いや、俺達全員
互いに両手を握る、拮抗状態が生まれる。
『前から思ってたけどっ! お前ちょっと過保護過ぎっ!』
『てめえがほったらかし過ぎだからだろうがっ!』
少女は、いつも妄想していた。
自分が『子供』となり、『お兄ちゃん』と『お姉ちゃん』が『夫婦』となって、家族になる。恋愛というものが分からず、ただ好きな人達と一緒に居たい……
……自分が恋愛というものに触れるまで、少女はずっと、そんな妄想を抱いていた。
「ん? ぅ、ぁああ…………」
廃工場を改造して生み出した自宅兼工房の、二階に位置する居住区のワンルーム。そこにあるベッドの上で、弥生は伸びをしながら起き上がった。
その居住区にはベッドとハンガーラックやプラケースといった、最低限の家具しか置かれていないものの、衣類や書物(雑誌含む)が雑多に散らかり、足の踏み場もなくなる程に埋め尽くされている。唯一綺麗に飾られているのは、壁に打ち付けた釘に引っ掛けられている、いくつかの
軽く身体を解した後、弥生は上半身だけを起こした状態で、飾られているマスクを何ともなしに眺めていた。
「なんか……懐かしい夢を見ていたような…………」
視線は、複数あるマスクの中からたった一つ……もっとも古びた物で止まっている。
「あいつが……弥生が卒業した後、高校に進学したってのは知ってるよな?」
「聞いてはいたけど……」
公園のベンチに、二人の青年が腰掛けている。
それぞれ片手に自販機で購入した飲み物を持ち、ただ正面を見つめながら、二人は会話を続けた。
「詳しいことは何も。全員てんでバラバラに散ったからなぁ……」
「さっさと
缶コーヒーで口内を潤しながら、睦月は英治に向けて、話を続けていく。
「過去の経歴を
「まあ、そうなるわな……」
いじめが起こりやすいのは、不満やストレスを溜め込みがちになる環境で、かつそのはけ口を他の人に向けてしまうこと
だから他に発散の方法を知らない小中学生、そして成長しきれていない高校生以上の中から、いじめの加害者が生まれてくる。
しかし、本当に頭の良い人間からすれば、いじめによるメリットよりも、デメリットの方が大きいことにすぐ気付く。そして進学校ともなれば、やることが多すぎるので、かえってそんな時間が取れないのだ。
おまけに、偏差値の高い高校というものは、得てして『いじめ
起こり得るとすれば精々、『人間関係が上手くいかない』程度だろう。
「ただ……それは弥生の居た、高等部での話だ。中等部では違った。入学したての中学生が、小学生の
「よくある話だな……」
睦月と同じく中卒の、外国暮らしの長かった英治からすれば、日本の高校生活自体が無縁だった。ゆえに、上辺だけの知識を貼り付ける位しかできないでいる。
だから弥生が、どんな高校生活を送っていたのかは、想像することも難しい。
それでも、いじめが生まれやすい環境だということについては、知識や伝聞だけでも容易に理解しえた。
「で、人間関係上手くいかずにつるんでいた相手が……中等部でいじめられてたガキだったんだよ」
「……あいつ、
「『体格的に近かった』んだと」
小柄な弥生と、成長期真っただ中の中学生男子。身長が近くなっていても不思議ではない組み合わせだった。そしてようやく、睦月の話の核心が、これまで関わりのなかった英治にも理解できてきた。
「そのいじめられてたガキに、何かがあったから……
「それだけなら、まだ良かったんだけどな……」
言い辛くなってきたのか、睦月の口調が少し沈んでいる。
「ほらあいつ、泣き虫だったけど、昔から頭が回っていただろ? ……
「
今でも苦手意識が拭えない程に、ある意味最強の存在だった。いや、二人にとって……昔馴染み達にとっての『最強』の象徴が、その
「郁哉もそっちに喧嘩吹っ掛けりゃいいのによ……」
「まだお前に喧嘩売ってんのか、あいつ……そろそろ話、戻してくれるか?」
自らの腕時計を指で叩きながら、英治は話を促してくる。睦月は缶コーヒーを飲み干すと、決定的な事実を口にした。
「あいつの考えた
そう、いじめをなくすだけであれば、手段はいくらでもある。
「
一呼吸置いてから、睦月は続けた。
「……相手の往生際が悪かった。いや、今思えば、理性的になれなかったんだろうな。感情的になったいじめの加害者達や、それを見て見ぬふりしてきた教師達は寄って
「…………」
英治は、口を開かなかった。いや、開けなかった。その状況に、覚えがあるからだ。
人が理性ではなく、感情で全てを台無しにしてしまう場面を、何度も見てきたから。
何度も……見せつけられてきたから。
「あいつはさ……多分、自立したかったんだと思う」
英治の心境に構わず、その余裕もなく、睦月の話が深くなってくる。
「だから……自分の力で、何とかしたかったんだろうな。俺や『
あれは、睦月にとっては初めての経験だった。
訓練で撃ち合ったことはあっても……弥生と殺し合ったのは、あの時が初めてだったのだから。
「
「……殺せなかったのか?」
「いや……」
少し、歯切れが悪くなる。
「運良く、いや最悪だな。弥生との戦闘中に、俺が落とした銃を奪われた……ただの教師に、だ」
それこそが……弥生の下腹部に、銃痕が残っている理由だった。
「それで戦闘は一時中断。銃を奪った……
当時の惨状を、睦月は語ろうとしない。いや、凄惨過ぎて、言葉では語り尽せないのだ。
「以来、弥生は狂ったままだ。いや……歪んだ自立心が、生まれちまったんだろうな。殺されたいじめられっ子との話を、自分で再現しているのかもしれない。二人で話して盛り上がっていた……他愛もない
それが、弥生が『
「その事件の後、あいつは高校も辞めた。
「そう、か…………」
睦月の話を聞き、英治は顎に手を当ててから、どこか得心が行ったかのように頷いている。
「……それでようやく解けた。この件の、殺し屋に依頼した奴の正体が」
「ああ……俺も話していて気付いた」
二人は、同時に口を開く。
――『……
ずっと、睦月の中で何かが引っ掛かっていた。その正体が、ようやく分かった。
英治はこう言っていた。
『次の
と。そう、
弥生が『ペスト』として誰かに恨まれるのは分かるが、その前の、『爆弾魔』になる前の彼女が恨みを買う要因に、心当たりがなさ過ぎた。むしろ、睦月を含めた
弥生が一番、色々な意味で目立っていなかったのだから。
「それで婆さんも動いているのか……というか
「その辺りは分からないし、興味もねえよ……助かった。これで心置きなくやれる」
そう一言告げると、英治は先にベンチから立ち上がった。
「依頼人の方に変な
「……殺せるのか?」
英治の抱えているものを知る睦月は一言、そう問い掛けた。
英治の家は、『傭兵』を生業としていた。
ただ、
何度も、戦場を見たことがある。
「……殺さねえよ」
見るも無残な戦場にいた。その時の経験が、彼に
人は撃てても……
「俺はただ……――するだけだ」
「……そうか」
睦月はそう、返すことしかできなかった。
「じゃあな。また連絡する……ああ、そうだ」
最後に、これだけは聞いておこうと思ったのか、英治は立ち止まって振り返ってくる。
「弥生の件だけどさ……『
「ああ…………ガチでブチ切れてた」
睦月は英治から空へと視線を移してから、答えた。
「怒られて、殴られて…………最後には抱きしめられたよ。俺は『
少しだけ、沈む気持ちを綯交ぜにしながら。
「相変わらずみたいだな……」
「俺は……あいつの方が『蝙蝠』じゃないか、って思ってるけどな。『都合のいい時』だけ戻ってくるし」
「『心配な時』も、じゃないのか?」
その時に、睦月がどんな表情を浮かべていたのかは……言い残してすぐに消えた英治には、窺い知ることができなかった。
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